私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレス(2017'11月迄)から自己破産→人生再生中←今ココ)

親愛なる僕へ殺意をこめて


親愛なる僕へ殺意をこめて

つい先日。
ある人の話題の中で来月から始まるドラマが楽しみだと耳に飛び込んできました。

そのドラマの内容は原作が漫画らしいです。
二重人格の人が記憶の無い間に人を殺したり喧嘩をしたりという内容なのだそうです。


この話を始めた人は私が「解離性障害」である事を全く知らない人です。
私の病名の事は担当医を除いて言うとこのブログを読んで下さっている方しか知らない事。

以前このブログで書いたあとの反応は想像以上でした。
自分自身が悲しいとか悔しいとか、ありがとうございますという気持ち。
そういう事も含め想像以上でした。

たかがブログ。
されどブログ。

私がどこの誰なのかもわからないとは言え今の時代にこれだけのヒントで私を探そうと思えば探せてしまうかもしれません。
それでも私の事を一生懸命応援してくれている方々に嘘偽りを持ったまま
在り続けたくなかった。
その気持ちで書きました。
削除する予定も今のところありません。

同じ悩みを抱えた人が相談してくれる事もあるので。

今後。
理由が全く別だとしても私から離れてしまう人が居てもそれは何も不思議ではありません。
仮に私に病がなくても性格や感覚の不一致は世界中のどこへ在っても在り得るから。


解離性障害も二重人格が同じ。
そう言われればそういう部分が全くないわけではありません。
ある記憶がごっそり抜けている。
実際にそういう事もあるので。

ただ今のところ私の日常生活で私から被害を受けたという人に会ったり
警察の人が来る?などの事実はありません。
どうやら誰も殺していないです。

でもね。
冒頭で話をしてくれた人のドラマの話題の中で
「楽しみ」「面白そう」「周りに居たら怖い」というワードが何度も何度も何度も出てきて。

私はちょっと落ち込みました。


そうだよね。
私が嘘を言いたくないという気持ちを突き通したとしても
事実を知って「恐怖」に思う人が居るのだから。

ブログであっても関わりたくないと思った人達もいました。
それはねその人それぞれの感覚だからとても自然な事だと考えています。


正直に私の本音を書くと私の病気はちっとも面白くなんかありません。
日常に不便な事が沢山あるのだから。


私がダンスを始めた事は事の成り行きみたいな面もあるけれど結果的に良かったと思う事がある。
大きな音を聴いてパニックにならなくなってきる事。
あくまでも私の場合だけれどダンスは「スタート」がわかるからなのかも。


掌蹠膿疱症という皮膚の病。
関節の痛み。
乾癬まで追加されてきて。

それはね。
一緒に行動する人たちには話して理解されてる感がある。
今もお薬を飲んでる。
特に今年の春先から夏はこのまま耳がちぎれるのかも?と思う程に
何度も切れて血が汗と一緒に流れて大変だった。

それでも周囲にいる子達や職場の人達が可愛いバンドエイドをプレゼントしてくれたり。
めげすに皮膚科で処方される薬を必死で塗り塗りして。
隠せない両耳全部から血が出ている事が何よりの凄いストレスだった。
皮膚がボロボロになっているのは自分が気持ち悪く怖い病。

9月に入って耳の後ろや耳たぶ全部が嘘みたいに綺麗に治った。

痒みや痛みで「うぅぅぅ・・・」となる事も何度もあったけど
めげずにお薬を飲み塗り薬を塗り。

何よりも周囲の言葉に助けて貰えた事が1番の特効薬だった。
そう思ってる。

今もまだ自分で見るのも気持ち悪くなる程ひどい手の平。
クッキング、洗い物どころか手を洗う事も痛くてシャワーのたびにぎゃーーーーっ!!となる。
耳もいつまた再発するかもわからない。
でも考えてもしょうがない明日の心配はやめた。


あのね、「解離性障害」は面白い病じゃない。
次回を楽しみにしてもらう病でも無い。
怖い。
気持ち悪い。
と思われる病でも無い。

私は「病」をいつも連れ歩いてる。
でもね。
ここまで生きたなら連れ合うか。
そう思ってる。

だけど。
そうか。
社会は違うのかもしれない。

そう先日の数人の話を聴いていて思った。

神様。
私が誰かを傷つける事が絶対におきませんように。

私は犬ちゃんが天国へ行ってからしばらくして日記を書くようになった。
最初はね1行だけとかだった。
あとはおまじないワードと自分への約束事を書いてた。


前日の日記が空白だと不安になった時もありました。
家から出た形跡が無いとホッとしたり。
今思うと不思議な時間の経験。

アトピーや喘息は市民権をかなり持つ時代背景になってきていても
どうやら解離性障害はまだまだ先のよう。


私が病名の事を誰にも話さないって事は
もしも同じ病の人がお隣さんだったら怖いって思うからなのかもしれない。


全ての人に私自身を受け入れてほしくてブログに病名の事を書いた訳では無い。
私を応援してくれたり今でも応援してくれる人に黙ったままいられなくなった。
これが正直な気持ち。

「知っていたら応援なんてしなかった。」
「今も違う人格なんじゃないの?」
「二重人格の人間は信じられない」

そういう他者から頂いた言葉を読み聴き流せば良いと思われてしまうかもしれない。
私に限らず誹謗中傷問題が起きるとこう言う人は多かれ少なかれいる。

私の場合だけで言うと。
ごっそり抜け落ちてる記憶がある分なのか?
めちゃくちゃ細部まで記憶してしまう事が日常に多々ある。

あの日は誰とどこへ行きどんな服を着て何を食べてどんな香りがしたかとか。
何を話してこう言った。
ああ言われた。
そんなしょうもない記憶。


明日や来週の心配をしなくなってから「今日」だけを大切に丁寧に生きようと
思えたのは犬くんの「死」が物凄く大きな理由で。
あの時。
何もかも大切な存在を失って私が生きる理由がなくなったような気がした。

それでも私の事を大事に考えてくださる存在があったからこそ今の私が在る。
生きていたからこそ今の日々があったり
環境や人との出逢いが生まれた。

嘘偽りを言い続けているような感覚に突如なってブログに書いたのはどうしてかな。
決して人を試したわけじゃない。
自身の心や日常が前向きになったからかも。


それがここ数日で崩れそうになって不安になってる。
ドラマを観る人達が私の病気について「怖い」とか「面白い」と思うような作品だったらどうしよう。
そんな事を考えても無意味な不安や心配が続いて。


原作は漫画。
ただそれをドラマにするだけ。
何度も何度もそう自分に言い聞かせて。

昨日の休みは気づいたら9月25日だった。
ブログの更新もずっとしていなくて。

変わらずお仕事へも行き。
遊びにも行き。

なんだかんだで充実した日々を過ごしてる。
時に笑い転げながら元気で過ごしてる。

この私は誰?
このブログを開く時は同じ同一人物。
嘘は書かない。

どうか今日のこの私を信じて。
心の中でそう願って今書いています。

作品は実在する人物ではありませんが漫画やTVドラマの影響は社会にとって大きいと思います。
でも病が実際のものであれば社会からの目や感じ方は大なり小なり影響を受けるのだと思います。


昔は「多重人格」「二重人格」と呼ばれていて。
日本で「解離性障害」と呼ばれるようになったのはいったいいつから?

実は私は私の病気について調べないようにしてる。
避けてきたから。

きっと今も避けてる。


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