私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

ハンガーストライキの意味

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私は今日も無事です。

下記ニュースを読んで思い出した事と私と娘の事を書きます

www.bbc.com
www.mofa.go.jp

私の解釈が間違っていなければ記事の中身としてはフランス国籍の男性(父親)が「日本人母親が勝手に帰国した為に子供2人と会えなくなった。子供達に会わせろ」という主張。父親は一時期日本でハンガーストライキをしたそうです。その後フランスから母親には逮捕状が出ましたが現在裁判中との事。

耳にした方や学んだ方もいらっしゃると思いますが国際結婚の離婚には「ハーグ条約」というものがあります。例えば日本国籍保持者カップルで片方の親がDV理由で子供を連れて逃げても「指名手配」をされる事はありません。それが「国際結婚」なら話は違ってきます。ハーグ条約に加盟している国の場合「誘拐」となります。これがハーグ条約違反の「連れ去り犯罪」です。

家庭内の事実は他者には見えません。DVが事実であっても偽証であってもハーグ条約により裁判所命令が出たらこの人のように「指名手配」が成立します。暴力から逃げる事に必死で他の方法が浮かばなかったともしても考慮されません。切羽詰まった理由で無ければフランス国内で裁判を起こしてからの帰国でも良かったかもしれません。でもこの方の場合で言えばフランスで裁判をする事に不安を持ったのかもしれません。想像に過ぎませんが。


私の知人で国際結婚をした人が数人います。ある女性でアメリカ国籍の人と結婚し息子さんが1人居ましたが彼女は夫にいつかは殺されると感じながら暴力に耐えていました。やがて逃げる事も警察を呼ぶ事も出来ない程心身が弱っていました。息子さんが10歳になった時に息子さんをアメリカに置いて彼女は1人で日本へ帰国していきました。ハーグ条約に違反はしていないものの彼女は夫に「離婚」をしてもらえないまま日本で何年も暮らしていました。

アメリカに置いてきた息子さんが彼女の代わりになって暴力を受けていないか?自分を責めながら暮らしていました。それから12年後。息子さんは単身で日本で暮らす母親を訪ねてきました。12年間1度も会えなかった訳です。息子さんは母親を探し会いに行ったのです。

彼女を責めるどころか産んでくれた事と生きていてくれた事を感謝する気持ちを伝えに行きました。自分が母親を愛してる事を伝えました。その後息子さんは父親の暮らすアメリカから日本へ移住しました。子供の頃から一緒に暮らしていた父親を恨んで過ごしてきた事を知り彼女は息子さんの前で泣き崩れたと聞きました。


共同親権で離婚する国際カップルは多いはずです。子供達にとってどんな形が幸せなのかを子供が選択出来る年齢なら良いのですが幼すぎる場合の判断は難しいわけです。日本国内の離婚にも両親がそれぞれに「親権」と「養育権」を選ぶカップルはいます。こんな風に合理的な協議離婚が出来るカップルはごく少数派だと思います。


改めて記事に話を戻し敢えて私見として書きます。あのフランス人の父親がDVを母親に行ったかどうかは別として「子供に会わせろ」という意思を路上に座り込みハンガーストライキで表現する性質の中身で考えた時。もしも私が母親なら「怖い」と感じます。「3年も子供に会えていない。子供達と会いたい。子供もそう望んでるに違いない。」この父親の想いを正当化する事を大前提とした場合。餓死したら子供とは2度と会えないのでは?誰に対する訴えと意思行動でしょうか?と感じました。


私事で言えば元夫のDV暴言の中には「逃げて離婚しようとしたり会えなくなったらおまえも子供も殺して自分も死ぬ」という言葉を数えきれない程聞きました。これは相手を「脅す」内容でしかありません。つまり私にはこの場合のハンガーストライキは脅迫にしか感じません。本来であればフランス国内でDV被害者として保護してもらい他者に事実を知ってもらい裁判をするという選択肢はあったはず。でもこの女性(母親)はその方法を飛ばしてでも子供2人を連れ日本へ逃げ帰ったのは緊急性を感じたのでは無いか?私はそう感じます。


私が日本から海外へ子供を連れてDVから逃げた時。元夫は私達を探す為に国内を探しながらアメリカ領事館に問い合わせる方法を取りました。アメリカで探偵を使い何年間も私達親子を探し続けていました。なぜアメリカで探したのかと言うと私達が出国する際に住民票を無くし出国先住所をアメリカにした為です。私は幼少の頃にアメリカとカナダと日本を行き来していたので元夫が信じると想定しての方法でした。元夫とは結婚してすぐしばらくアメリカで暮らしていたのでその場所も想定内でした。


私と娘が出国した当時DV法は日本にはありませんでした。実際はカナダへ移住したので暴力から逃げる私と娘の身を守って頂きました。5年強の期間は離婚裁判をする為に弁護士と連絡を取り合い私が行かなくてはいけない時だけ私は日本とカナダを行き来しました。そうして私は裁判離婚が出来ました。娘の親権も持てました。


裁判中頑張れた事の1つに当時私は健康で若さがあった事と必死だった事が大きかったと思います。私が独りで元夫の元を出ていたら娘は私の代わりに暴力暴言を受けて成長してしまったかもしれません。2度と会う事も出来なかったかもしれません。それは今となってはわかりません。結果から言えば元夫は再婚をし私にした同じ事を相手にして再び離婚したと知った時に心の底から娘を置いて来なくて良かったと確信しました。


娘が見た記憶が消える事はなく暴力シチュエーションを見た事のPTSDが成長過程で少しずつ出てきました。私は娘に今でも責任を感じています。不本意だったとは言え殴られ蹴られするところを見せる事になった事を。小さな心を傷つけてしまった事全てです。私の指に火をつけられた時の記憶が中々消えず2人で暮らすようになってからは私がキッチンで火を使う時には異常な程に恐怖を感じてクッキングする事を止めようとした時期がありました。髪を掴み振り回されていた時の記憶が重なり歌舞伎を観た時に髪を振り回す場面を見ただけで「ママが殺される」と言いながら過呼吸を起こしてしまった事もありました。


私が体調を崩すと娘の気持ちが不安定になり私に暴言をはくようになりました。そして娘は「ごめんね。ママが死んで私の前から居なくなってしまうんじゃないかと思って不安で酷い言葉を言ってしまうの。何でこんな事を言ってしまうのか?自分でどうしたらいいのかわからない。優しい言葉を言いたいのに。」と泣くようになりました。

「いつかママが居なくなるのが怖くて不安になって自分から先に離れてしまおうと考えてしまう。ママの事が大好きなのに酷い言葉を言ったりして最低な娘だよね。」そう言って娘は泣き続ける事が増えていきました。この言葉からわかるように娘と私は親子である前に生きるか死ぬかという恐怖の体験や感覚を逃げながら2人で必死に生きてきた運命共同体であり同志でした。それがいつしか共依存の関係になってしまったのだと思います。


娘が幼い頃の私は彼女に対して過保護だったと思います。それは娘に辛い経験をさせてしまった事を申し訳ないという気持ちがあったからかもしれません。娘を大事にしすぎてそれが結果的に過保護となりました。娘も私にずっと守られて居たいという感覚が当たり前になっていたのだと思います。今なら正誤理解を出来る事が沢山あります。強く在るべきと考えていても暴力から逃げる暮らしという中で心身が弱ってしまうと冷静さや客観性を失い判断が出来なくなった事も少なからずありました。


娘は長年私が殴られている光景がフラッシュバックしてくると苦しみました。元夫はあのフランス人男性のようにいろんな手段で娘と私を連れ戻そうとしていました。逃げ出してもすぐに見つかって無理矢理連れ戻される。言動行動の全てに恐怖感が残りました。その期間の恐怖心が娘の記憶にも残っています。娘も私も誰かから何かを「指示」される事に異常なまでに反応してしまう。「支配」だと感じてしまうのです。その場だけのフリが出来ず自分を責め苦しむ。支配的な暴言や暴力は何十年が過ぎてもふとした時に「顔」を出すという事を今も身を持って確信しています。

それでもふとした時に顔を出すPTSD症状とどうにかして折り合いを付けながら日々在るべき努力をしています。生きていかなくてはならない私の暮らし。娘の暮らし。別々の場所で暮らしながら私達は其々の生き辛さを抱えています。娘は私を想い。私は娘を想い。一般的では無いかもしれなくても愛情があるからこその距離。自分を守る事はお互いを守る事にも繋がると信じて。


娘は外で自分の弱さを見せず強く振る舞って生きてる。本当は壊れそうなのに。だからこそ私が壊れるわけにいかない。協力なのか依存なのか?自分を見失う事の無い目を大切にしようと今考えてる。先日離婚の時にお世話になった弁護士さんに今現在私や娘の身に起きている事の相談をしました。全ては生きているからこそです。辛い経験も楽しい経験も生きているからこそです。

POINT

どんな理由であれ仮に親子が離れ離れになっても会いたい気持ちが続けば子供から会いに行くはず。

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