私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

精神科通院は恥なの?

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bunshun.jp

私は今日も無事に帰宅しました。今日から12月です。皆様お変わり無いですか?

精神科へ行く事と内科へ行く事の違いって?

「精神科通院中」と大きな声で言わない国で私は今も暮らしてる。過去に在籍していた会社で加入した社会保険を使い精神科へ通院して会社に指摘された事がある。その時の私の場合の話を書きます。

ある時に本社人事に呼ばれ行ってみると人事部の人間2名と産業医が同席していた。その後私は解雇では無く自主退職を求められ退職したという経験がある。今はどの企業でも個人情報保護やコンプライアンス研修を受け研修を受けていると思う。それでもこんな「現実」が組織には根強く有ると今も感じる。そして過去には賃貸マンション契約を精神障害者という理由で断られた事実もある。

収入が一定額をオーバーする時。「私は社会保険に加入しません」という訳にはいかない。仮に扶養者範囲内で働くと生活費が明らかに足りない。一時はこの負のループが私を悩ませた事があった。

ハローワークには障害者枠求人というものがある。そこを担当している人達は多くの精神障害者手帳や身体障害者手帳を持つ人達と接していたり雇う側の企業の人達とも接していて様々な「裏現実」を理解してる。私はハローワーク紹介の就職をした事が無いが1度だけ障害者枠求人を考えた事があった。

その時に面談をした担当者から「同じ仕事をしても障害者枠だと収入が少ない事が大半なので一般枠で就職出来る会社を探したほうがあなたには向いてる」言われた事があった。それが何とも言えない複雑な気持ちだった事を今でもはっきり記憶してる。嘘を付く訳では無いにしても隠さなくてはいけない。と遠回しに言われているような感覚だったから。

もうずっとずっと感じている事。私の障害は他者の目からは見えない。視えないから助かっている事と視えないから困る事が常に共存してる。


マイナンバーと保険証が紐づく事。これも私にとっては悩みの種。私が望まなくても強制的にマイナンバーは発行されてる訳で。今も私はマイナンバーカード申請をしていない。だから当然マイナンバーカードも作成していない。理由として1つは住民票と結びつく問題。もう1つは会社に精神科通院が何かの理由で知られて退職を迫られないかの心配。この問題は色々と私には面倒くさい。

職種によっても違うけれど精神科通院中の偏見が付きまとう事が私はずっと苦い感覚の1つ。呼吸器内科へ喘息診察に行くのとはどう違うの?と心の声がなりやまないまま何年も過ぎた。

精神科に通院していなくてもしていても「仕事」で判断してくれる組織に入る他無い。会社側が個人情報保護の観点から病院に「●▲さんは何の病気ですか?」と聞いたところで病院は返答しない。つまりどんな病名であろうと「精神科」通院中という事だけが企業には伝わり残る。私にとって社会保険を使う事はギャンブルそのもの。悔しいけど生きていく為の収入(仕事)は必要だもの。

冒頭に貼り付けた記事では「精神科」に通院する事は古い「家制度」に傷が付くと言われ家族から理解されにくいという内容。今の私は独りだからその心配は全く無い。でもね結婚していた時にDVに耐えらず夫婦カウンセリングを受けたいと申し出た事があった。「本家の家系にはそういう人は1人もいないので保険証を使って恥を晒さないで下さい。あなたによって家に傷を付けられたらご先祖様に申し訳ない。」と言われた事があった。

「精神科」は恥ずかしいものなの?今もずっと疑問に感じてる。精神障害者にどんなイメージを持ってるの?私が通院した時にお見かけする患者さん達の中には確かにマナー以前の問題を抱えた人も居る。でもね本人が1番苦しいだろうな。私も含めてこんな風に感じる人が沢山居るのです。喘息発作が起きて薬や酸素が必要になる通院と同じだと私は思ってる。

先日私のブログで書いたけれど精神科の新主治医のDrさん。「一生治らない病もあれば少しずつ気持ち(精神)が和らいだり時には苦しみの強さが戻るを繰り返したとしても絶対に独りぼっちじゃない。」そう仰った言葉が頭の中に残った。

私が最期を迎えるその時までそのDrの診察を受けられる訳では無いと認識してる。でもね「今」が無いと「明日」が無い事も認識してる。だから「1分後」があれば「2分後」がある。それだけで「24時間」を私は生き続けたいと純粋に感じているのです。

最近読んだ本の中に「過去に捉われ苦しみを抱え持つ人は先へ進めない」という内容があった。「今」自分が苦しい理由を何らかの理由に紐づけると先へ進めないという内容。私の場合本当にその通りだと実感した事がある。過去は消せないし忘れないもの。でも「今」に心身全部を置くと「明日」を考える事が増えてくる。例えば「今の自分が悲しいのは親のせい。」「今の自分が苦しいのは元夫(元妻)や家族のせい。」「今の自分が辛いのは職場のせい。」

「今」の自分の辛さを「何か」や「過去」の原因に紐づけるとキリがない。過去を持ち続けていると「明日」の楽しいに気づけないまま24時間が過ぎ365日が過ぎてしまう。過去に追われるのではなくて明日を追いかけて歩きたい。

実際に私は何十年も過去時間を持ち歩いてしまった。でもその経験があったからこそ「今」がある。それに気づけた事で「明日」の楽しみに出逢えるオプションが生まれた。私はラッキーだ。

私の人生は生きるだけでジェットコースターのよう。大忙し。「ただ惰性で生きてるだけで何も楽しい事が無い。」という人と時々出逢う事がある。大忙しで激動しか無かった私はそんな彼ら彼女達を羨ましいと思った事があった。なぜならずっと子供の頃から穏やかで平和で安全な人生が欲しかったから。

今はね。「私の身に起きる全てが私の人生そのものだよー!」という感覚に切り替わる現象が次々と私の身に起きてる。

「自分ファーストで生きる。」私にはこの習慣が全く無かった。だから決して容易では無い。すぐに変化出来る事では無いから焦る事はない。誰にも「明日」があるかなんてわからないのだから。なんたって私は「今」で精一杯だから。私が通院している精神科だろうと口腔外科だろうと呼吸器内科だろうと皮膚科だろうと麻酔科だろうとそれらは日常のヒトコマなだけ。

私は「生きもの」だから故障してしまう事もあるわけで。それは「恥」では無い。自分の事を傷つける人達の為にエネルギーを使う時間は勿体ないだけ。「明日」新しい発見や景色と出逢う事が出来たら「ノーベル平和賞」を私から私の為に贈りたいと毎日企んでる。

POINT

「精神科」は隠す科じゃない。理解出来ない人達はいっそ火星人だと諦めると自分が何より楽。理解しようとしない方々を責める事も承認欲求を求める事もなくなる。自分は誰からも必要とされていないという呪縛は自分で解くのが1番のお薬。

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