私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

わからない事は。

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感情の本当と嘘

今更ですが私は実在する人物で架空ではありません。このブログに書いてきた事も書いている事も全て本当で想いも視えた事も全てが事実です。都度感じた事や考えた事をブログに文字を使って書いている事は全て「リアル」です。ソレを「ネット」という便利ツールを使わせて頂いて書いています。


SNS上でよく見かける文章の中に「リアルなら言えない事をネットなら書いてる。」というものがあります。


あの言葉を読むと大抵私は一瞬止まります。確かに個人の氏名。住所。勤務先。保険証番号。パスポートナンバー。免許証番号。年金番号。マイナンバーカード(私持っていないケド)等を大多数の人は書いていません。ブログやSNSの向こうで文章を書いている人特定は本気を出せば調べたり探せると思います。ただそんな時間もお金もかかる面倒な事をしない。大半の人達がルールとモラルありきでしない事。


でね。私が思うのはね。本気出しても唯一調べられない事があるとしたら文章を書いているその「人」の感情の本当と嘘。これだけは書いた本人しかわからない事があると思う。幸せと書いてあっても実は悲しいかもしれなくて。悲しいと書いてあってもその定義は皆違っている訳で。


「大丈夫」という言葉の内側には時に心のSOSが在る事を知っている人もいるはず。


少ない情報量だけで私の事を伝えたいだなんて実は烏滸がましい事で難しさを極めていると痛感しています。上手く文章にして表現出来なくてもどかしくなる事が平常の私です。読む方の貴重な時間を使って頂いて書いてる私でさえよくわからない文章を読んで色々な想いを持って頂く事を嬉しいと思ったり申し訳ないと思ったりを相変わらず繰り返しています。


逆に少ない情報量だけで誰かの事を理解したいと考えるのは私の心の傲り。宇宙に放り出された子供が地球にいるママを探す様な難しさに近いかもしれません。イヤ。表現が違う。大袈裟に言い過ぎました。ごめんなさい。つまり文章から伝わってくるその方の素晴らしさをどう文章で書けば良いかわからない時がある。口語ならもっと構えて言えないと思う。


例えば電車で目の前に座った人が私を見ても全ては理解出来ません。それが姿の見えないインターネットの仕組みを使って文章だけで誰かの事を理解できるはずはなくて。でもそれは仕方の無い当然な事。私の場合文章を書く事で自分の事を自分で感じる事が出来たりする。書かれてある文章を読むだけで心動かされて元気を貰う。そうこの後に何と書けば良いかがわからないんだよね。


「ありがとう」しか思いつかない。語彙が少ない上にそっけない私。


100%フィクション小説を書ける人は凄いと思います。私が頭の中で想像してニヤニヤしているのと訳が違う。多分私の面白いや恐怖には辻褄を合わす必要なく終了になっている事が多いからかな。どんなものでも「作品」を創る人をリスペクトしてる。科学で証明し辛い「作品」を作る人は特に。本当に私と同じ人間の仕組みなの?と思える人がいると時が止まる。

excuse

最初に何の話を書こうとしたのかとか読み返すエネルギーが残っていないみたいなので中途半端ですが寝ます。どの方も良き日曜日をお過ごし下さい。🐏

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