私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

元ホームレスの私と関わりたくないかもしれません

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ごめんなさい。

昨日。コロナ禍で食事に困っている人達を助けたいという一心で自分のお店のお弁当を10食限定/1日を届けたいという方のブログ投稿を見ました。私は何もしない人より行動する事は凄いと思いコメントを残しました。なぜコメントを残したかと言うとその方はご自分の事を「偽善者」だと書いておられたので決して私はそうは思わないと伝えたかったからでした。


今日その方のブログを見たら私が書いたコメントは削除されていました。私はあの場の空気が読めていなかったのかもしれません。不愉快な思いをその方や読んだ方々にさせてしまったかもしれません。どうしよう。どうすれば良いだろう。今は謝罪をする為に再びコメントを書き残すより今後はブログを見たりコメントを残す事をしなければ許して頂けるだろうか。ああでもないこうでも無いと考えてるだけであぁ、もう夕方。


その方が書いておられた内容を読んで私が書いたコメント文の内容を反省の為に書き出してみます。


私がその日の食べ物に困っていた頃はお金も無くネット環境が無かった事。ブログやツイッターで食事を頂ける方法と場所が拡散されていても当時の私なら見れなかっただろうという事。社会福祉協議会への壁が高かった事実について。日中の人通りの多い場所でお弁当を頂く事を躊躇する人がいたら気の毒だから渡す方法や日時場所の良い方法が無いかどうか。子供さんの場合は近所の子に見られてイジメに合わないか心配。食に困っていた頃の私は夏場よりも冬のほうが辛かったという事。決してやろうとしておられるこの行動は偽善では無いと私は思う事。どうかその日の食に困っておられる方の命が繋がっていきますように。


こういう内容を書きました。


私は普段から語彙力もダントツで少なく文章にも自信がありません。それでも見ず知らずの方とブログだけでも繋がれる事。1人でも声に出して笑える。可愛い姿を見て癒される。社会で起きている事や私が知らなかった事を知れる。見えない景色を見せて頂ける。こういう考え方がある。あんな考え方もある。1人暮らしでは作らない美味しそうな家庭の食卓を見せて頂くのが大大大好きです。誰かの作るお弁当を真似て作ってウキウキしてみたり。でも私の文章は悪意がなくても読む方を不快な思いにさせてしまったりする事が沢山あるのかもしれません。


ブログについてや私の人生について中傷する言葉を送ってくる方々はなくなりません。でもそれは私の書いた文章を「読んだよ!」という印だと捉えるようになっていました。皆が私と同じ考え方なわけがなく同じ人生なわけもなく。「⭐️」を押していってくださる方々は「読んだよ!」「また明日ね。」「また今度ね。」そんな代名詞付きであるかのように都合良く捉えています。今回初めての経験は書き残した私のコメントを削除しておられた事。それは私の存在を「無かったことに」されたような気持ちになって悲しくなっているのだと思います。ブログ主さんは私の経験や感想のコメントを欲しかった訳では無かったのだと今頃になって少しずつ理解しました。心から反省しています。読解力の無い自分がいつも以上に情けなく思います。



食べ物を食べれない日というのは本当に残酷な日です。お腹がすいてフラフラになる経験など誰も知りたくないかもしれません。そしてあんな経験を誰にもしてほしくないです。「元」であってもホームレス経験をした人とブログだけであっても関わりたくない人がおられてもおかしくありません。現実社会にはそういう人が沢山いました。でも私は何が辛かったかと言うと食を口に出来ない事よりも私の存在を無視される事が何よりも辛く悲しい時間でした。もう今は食に困っているわけでもなく家に困っているわけでもないのだから過去の経験を書く必要ないじゃないと思う方は少なくないかもしれません。でも当たり前に生きているとホームレスの経験はしないと思うのです。お腹がすいた状態の人の気持ちや感覚が理解出来る事とか。貧困だけでなく事情があって食事に困ってる子供の気持ち。日本にあるセーフティーネット全てのシステムの壁が高い事。言いふらす事ではありませんが私の経験をほんの少しだけ役立てたい。そう思ってしまうのです。


今日のこの悲しい気持ちは今日中に置き去りしようと思います。これがアップされる明日には元気になっているはず!最後まで読んで頂き有難うございました。

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