私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

生きる為

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私の言葉では無いけれど。

line

「君は友人に嘘をつかれたら傷ついている。でも社会に出たら偉くなったら君が向き合う嘘は今迄とは比べ物にならないくらい悪質になる嘘だとわかっていても力のある人間の言葉は飲み込まなきゃいけない。真実を見逃さないと生きていけなくなる。生きる為に諦める事を覚えるしかない。」


ラマの中のセリフの一節。遠からず近からず現実の生活の中でこういう瞬間を経験した人は少なく無いと思う。私にもこういう経験がありました。この先の人生にもあるかもしれません。「生きる為に諦める事」という瞬間が。極端な例を言えば生きる為に面白くもないのに笑顔を出さなくてはいけなかった瞬間があったと思う。プライベーで自分に「嘘」を持ち込みたく無いと頑なに思うのは生きていく為に嘘を飲み込まなくてはいけなかった経験が多かったからかな。


世辞の1つも言わなくてはいけない社会から置いてかれた感と時々出会う。それは「嘘」枠では無いかもしれません。ただ私の中では自分に嘘をついているような感覚になるのです。そういう一々が面倒臭いけど私なのです。目の前で酷い言葉が投げられても仕事なら生きていく為に飲み込んで先へ進む。無かった事にして次の日となる。そんな数々の「生きる為」がいつまで続くのかな。


り合いに自分につく嘘が嫌になって全てを捨てて海外へ移り住みノマド生活を始めた人がいる。その人が言っていた言葉の1つにどこへ行こうが何をしようが「生きる為」があると。必要なのか必然なのか不要なのかを選ぶだけだと。その人が数年後言っていました。"何かから逃げたとしてもいつまでもどこまでも追いかけてくる。見えた力の方向へ歩み進むだけ。それが答え。"と。今ならちょっとだけ理解できる。

POINT

何がポイントなのかわからないけどね

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