私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

昨日は過去。明日は未来。

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こだわりを捨てると生きるのが楽

が家の犬くんがまだ子犬ちゃんだった頃わずかな低い段差を登れずこっちを見てくぅ〜ん。と言っていたあの日を時々思い出す。それはもう可愛くて可愛くて可愛くて。自分だけ着いて来れずほんのわずかな段差に短い手をやっとの思いでちょこんと乗っけて抱っこ!と言って甘えていたのが昨日みたい。人は成長と共にこうしなくては「ダメ」とか「〜〜であるべき」を無意識に日常に組み込むようになる。生きる為だから仕方の無い事もある。我が家のチワワくんはお家のトイレより外でトイレを済ます事が大好きでした。もし私がそうだったら逮捕される。これは極論だけど人だから生きる為に「〜〜であるべき」が時にはついてくるのです。ただね何かに執着していつまでも抱え持っていたとしても眠ってしまえば必然的に新しい日がくる。そう考えると何事についても「もう良く無い?」となる。過去の恨み辛みを抱えたまま生きるのはしんどい。あのままだと私が辛いと悟った。そんな私を見ている側も聞いている側も辛い気持ちになるという事がようやく理解出来たように思います。


れる事の出来ない辛い過去を抱えている人はいます。記憶喪失にでもならない限り過去を完全に忘れる事なんて出来ない。だから頑張って忘れる必要は無いと思う。日常生活の中でふとした時に思い出したりするはずだから。理由はどうであれ「怒り」を持続して強く抱え持っている人に近づきたくないなって最近思うのです。痛みや苦しさ悲しみを完全に共有する事は出来なくても痛みを和らげる為に自分が何か出来るなら一緒にいる間だけでも優しい気持ちになれる時間を共有したいと思うのです。それは自分以外の誰かとかもしれないし人間以外の生物なのかもしれないし1人でいるほうが気持ちが安定出来るならそれで良いと思うのです。何年か前まではこんなに辛くてしんどいのに何で誰もわかってくれないの?そう思っていました。周囲に見える他人が皆幸せそうに見えたり。だから私の苦しみなんてわかりっこないと思っていました。


に歩み寄るには目には見えない内側にある気持ちを想像で汲み取る意識だけで良いと思うのです。それが続くと発する言葉も顔も変わってくると感じる事が増えてきて。誰よりも自分自身の気持ちが楽になった。ただね他人に自分のこういう考え方を押し付ける事は間違いだと理解しています。これが正解かどうかなんて正直わからないから。でも「は?」っとなる瞬間や日常の辛い事や出来事を拾ってかき集めて大事に抱えて歩くなんて悔しいなって思うようになりました。過去の出来事を頭の中で必死に整理しようとしても結局何ひとつ解決出来なかった分の時間はもう戻ってこない。だからシンプルに過去は捨てようと思うようになったのです。今日あった「は?」な出来事はその日中に頭の中でシュレッター処理しています。努力とか頑張る事を否定はしません。ただ自分がしっくりくる今日の時間を大切にしたい。


POINT

明日が絶対来るとは限らないと解釈すると今日がめちゃくちゃ貴重な時間に思う。命は永久じゃないから。

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