私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

私は大丈夫

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私がブログを書くとアクセスが減る不思議現象はそのうち考えるとして。


10分だけ?10分程度だけ書いてみる事にします。
とうとう明日で5月が終わります。あまりにも長い期間ブログを更新していなかった為に、近況に至るまでのお話する事が多くなり過ぎてほぼほぼが省略です。


まずは、一番直近の話をするとしたらある映画を観た感想です。
「THE SHACK」という映画です。


本で公開されていたのかはわからないのですが「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」という題名がついているみたいです。これは宗教を意識して観ると純粋には観れない作品だと思います。
私自身の事ですが大学までキリスト教(プロテスタント)を学び子供が産まれてからも教会へ通っていました。海外で生活をしていた数年間も教会(プロテスタント)へ通っていました。帰国してからも教会へ通っていました。ですが宗教(聖書)の中身が頭の中にズッシリ入り込んでいるのか?と言われると実は入っていません😅
学生の頃はほぼほぼ眠りそうな授業ばかりでしたし、大人になってから通っていた教会の意味も深く考えた事がありませんでした。
ただパイプオルガンの音が好きというレベルです。海外で通っていた教会はオルガンだけでしたが唄うのは好きでした!(ゴスペラではありませんでしたが)ちなみに私は神社にもお寺へも行きますが無宗教です。

えっと、、、久しぶりにここに文章を書いているのですが、想定内どおり話が逸れました。



画の感想に戻りますが、ネタバレにならない程度で書かせてください。ここを読んで下さる方々の中には誰もあの映画を観ないだろうという大前提で書くとすると映画を観終わったあと、私自身が「どんどん前へ進む」という気持ちが強くなりました。
宗教抜きで観る事が出来る人であればあの映画は日常のどこかや何かで思い出せる事、活かせる事があるのではないか。そう感じました。


も含め人は「裁く」という行為を日常で悪意なく沢山しているのだと感じました。それは大きな意味で全て自分の「定規」だという事です。物事や人に対して自分についてもです。それは悪い事では無く地味に自分を生きづらくしている時もあるのでは無いかと改めて考えさせられる映画の内容でした。見方によっては深い映画の内容でもあり。ファンタジーだったりもします。観る人のそれは定規次第だと思いました。観る人のその時の心境や環境によって感じ方も違うかもしれません。少し重い表現ですが生きていると様々な出来事と関わりその都度自分で道を選択をしたり感情が湧いたりする事は自然の流れです。私自身のこれまでの人生の中で思った事、感じていた事、そしてそれはこの先にもあるであろう事。流れに身を任せる事もあり自分で道を選ぶ時もあり。これは自分自身を信じるという事なのだと感じています。信じるという感情は自分を頑なにする事や過去をずっと背負うという事ではないという事です。
相変わらず説明も文章も下手ですが私はただ「だいじょうぶだいじょうぶ」と呪文のように口に出して過ごしています。



は私は6月に入ってからなのですが、舌に出来た腫(できもの)を切り取る手術を受ける事になりました。お恥ずかしながらビクビクしています。緊張しています。何となくナーバスにもなっています。舌にできたものを切除の時に舌もすこぉーし切るので、大爆笑が出来るようになる迄はしばらく時間がかかってしまうかもしれません。独り言も言えないかもしれません。大爆笑すると切除後に縫う箇所が切れて口の中が殺人事件未遂レベルの血が出るそうです。🩸(ごめんなさい、大袈裟でした)



もね私ってラッキーな星に守られてると信じているのです。ホントに。人に恵まれているとも信じています。ホントに。だからあっという間に大爆笑も独り言もシレッと出来る日を迎えていると思います。
今は手術までにコロナ感染以外にも他の病気にならないようにする事。1つでもそういったリスクを避けるという理由もあって毎日家に居ます。検査の為だけに病院へ行くだけでもヒヤヒヤしながら外へ出ていました。心配や不安はしばらく続くと思うのですが「私は大丈夫」です!!


「THE SHACK」という映画を観たからという事も手伝っているのかいないのか?様が存在するのかしないのかは置いておくとして。くどいですが私はラッキーな星の真下で生きているに違いないです!願望も込めてそう信じています。だから目には見えない力に守られていると信じます。ただただ前進あるのみです。




画の内容と私自身の今は違うのですが、自分に置き換えながら観てしまいました。どんな事もどんな時も恐れないで前へ進みたいなと。その気持ちを手術の日に私が忘れない為に今日ここに書き残しておこうと思いブログを開きました。
とっても大袈裟でしょう?自分でも笑ってしまう程です。手術のあと1ヶ月程は会話が上手く出来ないそうです。そしてこのブログを開いたりネットで社会の出来事を見たり聴いたりする心の余裕があるかはわかりません。そもそもこれまで自分が書いてきたブログを読み返すという事を私はこれまでしていなくて、ブログに関しては可能性は限りなくゼロに近いです。😳



ガティブキャンペーンも通り越して無意識に私の全てを否定しながら生きていた私の顔を上に向くよう沢山のヒントを送り続け、ポジティブに生きれる道を切り開き、暖かく見守って下さっている存在があったからこそ、私ににとっての不安や心配な時間を穏やかに向けてくれました。勿論今も同じです。「舌」がこんなに一生懸命に働いてくれていたとは考えた事がありませんでした。今回改めて健康について考え自分の体に感謝する気持ちが強くなりました。体のパーツで不要なものなどなく毎日せっせと働いてくれている事に改めて感謝してこれからも大切にしようと思います。足の小指をぶつけた時にあまりに痛くて「もう足の小指なんかいらない!」と言った事があったかと思うのですが、もう2度と言わないと誓います。☺️



今の私のこの経験の全てが私の宝の1つに加わりますように



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