私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

家庭の味

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家庭の味


私が大好きな方がカレーを作っておられるところからのチャプターを貼らせて頂きました🥄
www.youtube.com

謝罪:無断転載してしまい申し訳ございません。


が「カレー」と聞いて思い出すのはいつも同じです。娘から「ママのカレーの作り方をして手順が違うと怒られた!」(彼女が上司に言われて職場で作らされた時の話)何度聞いても笑える話です。(ブログのどこかにも書いたように思うけど探すのが面倒なのでスキップします。


ぜ笑えたのかを書きます。私が娘と2人で暮らすようになってからは時間にも精神的にも常に追われていました。カレーを丁寧に作った事が無かったのです。まだ娘が幼かった頃は野菜嫌いにならないようにカレーに入れるお野菜はとにかく細かく切り刻んでから具材をまとめてお鍋にポンポンいれていました。その後ローリエと共に茹でて火を止める。そこへ市販のカレールーを入れてかき混ぜる。蓋をしてカレーが馴染んだら再び火をつけて完成!雑です。そして2人揃って「はい!頂きます!」をしていました🥄


の後、娘にはカレーだけでは無くお料理の作り方を教えた事は1度もありませんでした。まさか将来娘が職場で私の方法でカレーを作って怒られる事になろうとは想像もしていませんでした。実は私は意図的に娘にお料理をさせた事がありませんでした。これは今になって激しく後悔しています。私は娘が生まれてからずっと決めていた事の1つに火傷は親の責任。徹底的に事故が起きないようにと神経質になっていました。今から考えると嘘みたいな話ですが実話です。




しも彼女の手に火傷や切り傷の痕が出来たら大変だ!それだけは母親の私の責任の元で守らなくちゃ!そう常に思っていました。実は私の実母の話ですが、母は4人姉妹で末っ子でした。3歳上のお姉さん(私から観て叔母)にはお顔以外の体の片側全部に火傷の痕があったのです。子供の時に肌にあるヤケドの痕の話を何度も何度も叔母から聞いていました。ヤケドの原因は叔母が子供の時にストーブの上にあったヤカンのお湯が叔母の体にかかり火傷したとの事。私が母親になった時にその叔母の火傷の痕を思い出さずにはいられなかった。気づけば火傷に繋がるような場面には一切ならない事が1番のマイルールになっていたのです。


思えばお料理をさせなければ火傷をしないという安直な考え。親として火傷をせずにお料理をする方法を教えてあげるべきだったと思います。それ以外にも私が決めたマイルールが娘にはいっぱいありました。
重いものを持たせると腕が太くなるとか身長が低くなるとか。子供の頃から水仕事や手を使う事を沢山させていると指がゴツゴツして皮膚が弱くなるかもしれないとか。正座をさせると膝を痛めたり足が太くなるとかね。何の根拠も無い、スーパー超絶いい加減なマイルールでした。今となっては笑ってしまう事ばかり。結果、娘の手足は長くなり有難い事に火傷跡も無い。マイルールは無関係です。😓


がお友達に母親である私のことを話すと「面白いママで羨ましい」と褒めてもらう事がよくあると言っていた事があります。娘は私を良く思っていない事がいっぱいあるはずでしたから、期待どおりの声が耳に入らなかったかもしれません。私が作る家庭料理の中でも娘が好きだったメニューの本当の作り方というレシピをいつだったかに書き溜めてノートを渡した事がありました。(まだあるかな?捨てたかな?)そんなだったので想い出として2人一緒にキッチンに立ちお料理をしたという記憶が殆ど無い。私は何でも包丁を使うから後ろのほうから娘はじっと見て「そんな事出来ない」と不安そうに口にした事が何度かありました。娘が1人暮らしを始めた時に、私はピーラーを持たせた記憶があります。😓 今はネットで簡単に沢山のレシピも見れ作り方も動画を見ながらお料理が出来る時代。娘が私の作っていたものを再現する必要は無いと思うのです。「家庭の味」として私の作っていた味に近いものを娘が作れるかどうか?と言えば彼女自身が無理だと言っていた事を思い出します。



庭の味。私が体調の悪い時は卵焼きだけでも出すとなどに拘っていました。子供に手作りで沢山おいしいものを食べさせてあげたいといつも思っていました。レストランで出てくる味では無くスーパーで売られているお惣菜でもなく、私の作るものを口にしてもらうという事に拘っていたのだと思います。今思えばお惣菜もレストランも決して悪いわけでは無かったという事がわかります。拘ってしまった理由は私が「家庭の味」を知らないからです。私の母は思いついた時にはお料理をしていたけれど味に殆ど記憶がありません。まずお弁当を作ってくれたという記憶が無いのです。クラスの子達がお母さんの手作りお弁当を食べる中、私は毎日学校へ行く途中でパン屋さんのパンを買っていました。それが私の毎日の昼食でした。


に家族で食卓を囲む団欒というものは未知のものでした。でも知らない事は幸せなのだと今でも思います。高校に入ってからはそれが原因でクラスの子にイジメにあうようになりました。買って行くパンを食べるか、カフェテリアで食べるかの2択でした。そもそも私は自分のお弁当箱を持っていませんでした。

だから小学生から高校生までの期間を凄く長く感じていました。大学ではそういう事を一切気にせず皆好きなものを食べていて、昼食時間にやっと私が目立たない事を有難いと思うようになりました。娘が生まれて彼女が幼稚園へ入った時。週に2回だけだったけれど、お弁当を作る事がとにかく楽しみで仕方が無かった時間を今でもはっきりと覚えています。娘の通っていた幼稚園では週に2回だけの午後までの園生活を過ごしていました。それ以外は9:00に登園して11:45にはお迎えに行くというのを3年間続けていました。その後、日本を離れてしまったのでいわゆる日本のお弁当箱というものでお弁当を持たせる習慣が無くなってしまったけれど、私はよく彼女にお弁当を時々詰めてお家で一緒に食べたりしていました。楽しかったな。



庭でお母さんの作るごはん。お金では買えない一生の想い出だと思います。美味しいとか不味いでは無いから素敵です。子供にとってお母さんやお父さんの作る味が当たり前に出てくる味だと思って育つ事はすごい事です。見栄えも味も全て自分の家が当たり前になる。そこが子供にとっての「普通」になる。家庭の味は少しずつ長い年月をかけて出来上がるものだからレシピはその後に完成するものだと今だからこそ思う。シェフが作る味は何度食べても変わりが無いのがプロの作るレストラン料理。毎日同じものを作っているようでも少しずつ味が微妙に違うのが家庭の味だと聞いた事がある。だから毎日食べても家庭の料理は飽きないのだと。本当そのとおりだと思う。高級なレストランで美味しい食事をしてもお家で普段口にしている食事が恋しくなる事があります。家事は確かに大変だけれど食べてくれる人がいるからこそ毎日しんどくても出来る事。誰も待っていなければお料理を急いで作る必要性が無くなります。自分が作るお料理を家族の誰かが口にしてくれるという事はとても嬉しい事だと私は強く思っています。(無いものねだりです)



1人で仕事をしながら家事をして子育てをして。間違いなく大変です。当時は投げ出したいと思う事ばかりでした。でも今の私にとってはあの忙しくて目まぐるしい終わりの見えなかった日々が恋しいです。暑い中重い買い物袋を1人で持ってもう片方の手で娘の手を繋ぐ。もうあの忙しい日々には戻りません。週に何度も救急病院へ駆け込まなくてはいけなかった病弱な娘にも戻りません。体調を悪くしても1人で病院にも行っているようです。親の看病の必要もありません。子育てにも家事にも終わりが見えず世界中で私だけが1人で沢山を抱えていて孤独と戦っているように感じていたように思います。あの忙しさに終わりが来るとは当時の私は想像が出来ませんでした。もっともっと親としていろんな事を伝えたり教えてあげたり実体験をさせてあげられたら良かった。それでも私は全力で子育てをし家庭の味を出し続けた。そう思うようになりました。家庭が恋しかった私が手探りで作ってきた「家庭」は娘にとってどんな場所だったのでしょう。怖くて聞けません。


の「家庭」は継続中です。形や環境が変わってもまだまだ手探りは終わりません。久しぶりにカレーが食べたくなりました。無いものねだりはまだまだ続くのだと思います。それもまた楽しい時間です。ふとした新しい発見があるという事は生きている証拠です。心から喜ぶ事です。これまで見えなかった事を発見した時には子供のように心の中ではしゃいでしまいます。頭の中が時代に沿ってAR仕様になってきているのかもしれません。これも良き事です。😊 子育て中の方も1人暮らしの方も全部「家庭」です。手抜きをする事は悪い事ではありません。完璧を家庭の中に求めていては息が詰まると想像できます。誰よりも自分が疲れてしまいエンジンが止まる可能性もあります。自分の家庭をよそ様の家庭と比べる事はやめて自分が楽しいと思える「家庭」で美味しい食事が続けられますように。



今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。良い1日をお過ごしください。

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