私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

自分の価値

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自分の価値をお金に換算すると

日あった実話を書き起こしてみようと思います。「高層階からジャンプするなんて有り得ないわ!」「バンジージャンプなんて異次元で暮らす人がする話!」「私は1億円もらっても出来ない」と言った人。その中で「1億円もらえるなら2回でも何回でもジャンプする!」と言った人がいて。「1億円もらえるなら5回飛んで5億円もらう!」と言った人もいた。「1兆円貰えるなら一生遊んで暮らせるから死ぬ気で飛んでもいい」という人も。そこで
「お金払ってもジャンプする経験をしてみたい」
と言ったのが「私」です。
「・・・・」あぁ私やらかしたみたい・・・


の後、「自分の命をお金に換算したらどのくらいなのか?」という話に発展した。5000万円かな。1億円かな。等々。私はその日帰宅して「私の命の価値はいくらなのだろう?」真面目に考えたよね。私は結婚していた頃の生命保険の死亡時の金額が億単位だった事を思い出した。でもあの頃はピンとこなかった。あの額はどうやって出たのだろう?私の価値なのか?年齢で決まったの?今となっては誰にも聞けないけれど。平均的な会社員が大卒で定年まで働いた収入の平均は2億1000万程というのを以前何かで読んだ事を思い出した。いわゆる生涯年収というもの。休む事なく定年まで働き続けたとしてもおよそ2億1000万。私の場合で言えば結婚生活時代は無職だったわけです。死亡時に億単位の生命保険金が出るとはどんな計算だったのだろう?(ま、それはよいとして)今の私で言うと残念ながら死亡時に億単位の生命保険金を残せるような生命保険には加入していない。そこで次に頭に浮かんだのは、私が1分生きたの価値をお金にすると?と考えてみました。
余程暇なのか(実際暇なんですね)ちょっと検索してみたらこんな記事(古い記事です)を見つけました。


「あなたの1分、いくらですか?」
https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/archive/2019/11/199601



古い記事ですが一部だけ下記に抜粋させて頂きました。

あなたの1分、いくらですか?

1分のコストを算出するには、次の2つの手順で行います。

1) 月収をひと月の総労働時間で割り、1時間当たりのコストを計算する
 この際、ボーナスや報奨金などは考慮しないで結構です。たとえば月収50万円の人が、月20日間、1日の実労働時間が8時間ならば、50万円÷160時間=3,125円が1時間当たりのコストになります。

2) 算出された1時間のコストから「1分コスト」を出す
 先の例では3,125円÷60分=約52.08円。1分は「おおよそ52円」ということになります。

この数字を目にして、あなたはどう思いますか? 「たった52円じゃないか」という方もいれば、「52円にもなるんだ」と受け取られる方もいるでしょう。私はこれまで、講演会や勉強会、コンサルティングなどの場で7万人を超えるビジネスパーソンとお会いしてきましたが、仕事の成果を出す人=お金に好かれる人は、「52円にもなるんだ」と捉えます。
そして彼らは、「1分たりとも無駄遣いしない」「有効に時間を活用しよう」と、お金と時間への意識が高いのです。さらに、「ボーッとしているなんてもったいない」「コストに見合った言動を自分はしているだろうか?」と言います。あなたも時間と自分のコストを考えながら、物事を進めていくとよいでしょう。


分の1分をお金に換算してみました。ぼ〜っとしていたら60秒はあっという間です。60秒で話せる事には限界がありますが自分の命があと60秒だったらと考えると早口で話さなくてはと思うでしょう。たかが「1分」されど「1分」です。自分をお金に換算してみました。😓私は仕事の成果を出す人でもお金に好かれる人でもありませんが、ボーッとはしていられないと思いました。それは決して急げ急げという事では無く、「1分を大事」に使おうと改めて感じたのです。そして他人の貴重な1分を頂いて私のブログを読んで頂いているのだと改めて感じました。何のお礼も出来ませんが有難い限りです。😓



の貴重な1分を頂くのだからもっと人の為、社会の為になるような事を文章にして残そうよと自分で突っ込んでしまいました。でもね思うのです。まずは自分の1分の価値を大事にしようと。1分前には戻れない事はわかっている事だから。1分後に今この瞬間の1分を後悔しないような使い方にしようと改めて思いました。どう使うのかは人の価値観の問題で休む事、眠る事、1人の時間を持つ、仕事をする、友達と遊ぶ、家族と過ごす、本や誰かの書いた文章を読む、これは自分が良いと思う時間の使い方でありだと思います。どれが正しいでは無いから。ただ1分後に何をしている自分を想像出来るか。1分後に事故に合って命を落とすくらいなら良しと思える事をして1分毎を大事にしたい。と。私が思うに時間を使う事はお金を使う事よりも難しいという事。



分の時間をどう使うのかを計画したとしても、人には予測出来なかった時間が訪れる事があると思います。つまり1分前でも1分後でも無く「今」を無理なく幸せだと感じられる「何か」に使えているようなそんな日々でありたいものです。誰かの為だけでは無く自分の為に自分を大事に出来て丁寧に生きている人は他人から見た時、不思議とその人を信用出来ます。自分の身を犠牲にして他者の為に生きていては誰かを幸せには出来ないと私は今だからこそはっきりとわかります。

自分を大事にしていない人の口や態度からは愚痴や毒ばかりが聞こえてくる事があります。他人に対して優しくなれない、誰にも寄り添えていない人。私がホームレスになってしまった時に沢山のボランティアをしている団体や人達を見てきました。彼らの中には自分を犠牲にしてでも人を助けたいという人が沢山いました。そして彼らに共通していた事があります。

れは私も含めてですがホームレスになってしまった人達に良い顔を見せようとしていた事です。そこに悪意は一切無く純粋に人を助けたいと思う気持ちだけだと思います。彼ら自身も毎日毎日多くの現実を見続け、目の前で困っている人を助ける事が日常的になり疲弊があり心身の内側は不安でいっぱいになっていたと思います。そして次に生まれる感情は「怒り」
です。国や自治体を「敵」だと思う気持ちになり言葉や態度に現れてホームレスになっている私達多くの人に同調してほしい気持ちが溢れ出していました。



となって思う事は、どうすればその敵の壁を越えしっかり自分で歩けるのか。どうすれば不安が襲わず心身を安定出来ただろう?客観的な人と関われていたら私自身の気持ちの安定に繋がったと思います。今思うのはちょっとした集団ヒステリーの渦に私は入り込んでいました。反省や後悔が浮かぶのは当時の私自身は国や自治体に対して彼等と同様に愚痴や毒ばかりを口にしていた事です。きっとそれ以外の人にもそのような態度を取っていたと思います。そして毎日泣いてばかりいました。結果的にそれらは全て自分へ跳ね返って更に傷を負ってしまったように思います。


思えばですが、彼等はただ一生懸命に純粋に困っている人達にどうにかして力になれないか、救えないか。自治体を相手にその壁を乗り越えられないか。壁を壊せないか。必死だったのだと思います。何日もお布団でゆっくり寝れていない人やお風呂にもまともに入れないのに、一生懸命になってホームレスになってしまった人達の為にボランティアやNPOなどの戦力として働いているという人達がいっぱいいました。寄り添うという事はあの事だったとは私の経験としては感じられませんでした。本当の意味で寄り添える人とは、まずは健康的で自分の事を大事に出来ている人であってこそ、他人の為に動ける人なのだと今となっては理解出来ます。



を「1分の価値」に戻します。前置きと横道話が長過ぎました。😓 自分の価値を他人に知ってもらうにはまず自分自身を大事にしている事をはっきりと見せられる人になる。これが今ある私の答えです。そういう人に自分が在り続ける事で他人でも動物でも救う事に繋がると思うのです。人や動物を救う方法は自分なりの方法で構わないと思うのです。仮に出来なくても何も罪悪感を感じる事は無いのです。自分の1分を大事にする事は1分の収入を得る事よりも難しい事だと思います。何よりこれには意識を常に持ち続けていなくてはいけません。自分を大事にするとはどういう事なのか?


直言えば完全に私が習得出来た事ばかりではありません。反射的に目の前で困っている人を助けた事で職場で上司から怒られる事がありました。それでも日々手探りながらでも自分にとってこれは大事だと確信した時は、自分に自信を持って全ては自分の為になる事だと信じます。そういう事を積み重ねながら日々過ごす事で、これから在りうる人生の岐路に立った時、何かを選択しなくてはいけない場面に遭遇したり苦難に出会ってしまった時。まずは自分を大事に出来る道を選んでいるであろうと信じます。健康で幸せである道を選ぶと信じます。その道を沢山歩き続ける事が出来れば、道中で心に怪我をしていたり、辛い思いをしている人がどんなに吠えながら自分に向かって来ても寄り添う事が出来るはずだと。そう信じます。



は何より自分に嘘をついたり無理をしない事。何事でも努力はしますが身を削っての無理はしない事。そして何よりも私自身の心身が健康である事。最低限の幸せの土台がある事。
幸せ度には目安もメモリもあるわけでは無いので自分の定規になってしまいますがとても大事な事だと思っています。私に噛み付いてくる人は何らかの理由で幸せ度が足りない人なのだと考えると自分自身が辛い気持ちにはまずなりません。
どうすれば噛み付いてくる人に寄り添える?と少なくとも1度はトライ出来ます。


人を変える事は容易ではありません。ならば自分が変わったほうが圧倒的に多くの時間が幸せで穏やかな道を歩けると思います。心身が不健康だと1分の収入ですら手に出来なくなる事を私は沢山経験したように思います。だからこその今なので、知る事が出来て私はラッキーパーソンです。2020年は誰もが想像出来なかった1年になりました。私自身も体調を壊したり職場での台風に何度も何度も巻き込まれています。それでも心折れず今があるのは、これまでの私の経験と
「1分」があったからだと信じてこれからも1分毎を大事にし丁寧に歩き続けようと思います。


最後まで読んで頂きありがとうございました。感謝。
今日も良い1日でありますように。

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