私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

レジリエンスとは

f:id:ecoplace:20201215022353j:plain


「逃げる」という選択について


のこれまでの人生の中では何度も「逃げる」を繰り返した経験があります。そしてこれまでそれは私がダメな人間だからだと信じて疑ってはいませんでした。でも今ならハッキリと断言出来ます。「逃げる」ことは決して悪い事ではありません。私がダメダメな人間だったからでもありません。ただここぞという「頑張りどころ」と出逢った時には、自分を成長させる方法と、愉しむ能力を養う事が大切なのだと私は考えました。人間関係や職場での辛い事。家庭内でのゴタゴタ。お金が無い事。仕事が無い事。何らかの病がある。この先の事など誰にもわかりません。今後どこへ自分が移動しても環境が変わろうとも、辛い事の全部に対してガッツリと自分だけで受け止めないで、誰かに相談する癖(習慣)を作る事と、スルー出来る習慣をつけられるようになろうとし始めています。


の場合で言うと今の職場。本音を言えば今すぐにでも逃げ出したいです。でも職場は自分の為に「場」が在るわけでは無いと頭の中で大前提に叩き込み、頑張っています。自分に今の職場が合ってるのか?とかここは楽しい職場なのか?とか誰々がこうだから〜〜辛い。という理由を考えない事が重要だと思い始めています。まだ始めたばかりですが、私の日常において「レジリエンス習慣」という私実験を始めています。


レジリエンス(resilience)とは、社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される。自己に不利な状況、あるいはストレス、家族、人間関係、健康問題、職場や金銭的な心配事、その他より起こり得る 。

「脆弱性(vulnerability)」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」などとも訳されるが、訳語を用いずそのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。

以下Wikipediaより抜粋させて頂きました




のレジリエンスが弱いとメンタルが故障し始めると知ったからです。逆にレジリエンスが強くなると色々なストレスに対応出来る癖がつくそうです。辛いとか苦しいをスルー出来るようになるそうなのです。もっと言うと生きやすくなれるという習慣です。



は、些細な事でもガッツリ真に受け止めてしまう癖があります。他者の視線や言葉、態度など全てにおいてそれが言えます。それら全てを真に受けない事と、深刻にならないようにする事、聞き流したり深刻に捉えない。その日あった辛かった事を自宅に宿題のように持ち帰らないようにする習慣を癖付ける。そんな実験が始まっています。正直まだ結構私にとってはどれも難易度が高いのですが、この習慣をやってみないより、やってみたほうが良いのでは!そう考えました。誰かに方法を教わったわけでも無いのですが、たまたまネットで見かけたという「思いつき実験」です。



は物事をシンプルに考える事が幼い頃から苦手でした。未だに他者に自分の口で完結に物事伝える事も苦手です。何なら文章も下手で苦手です。ただ今私がやっている私実験は、辛いとか苦しいをどうにかしてやろうとか、克服するという事よりも、「愉しむ能力」をつけつつ伸ばすという事に重きを置こうとしているのです。それをいつか自分のものにしてどんな事に対しても愉しむ力として養う事が出来れば、辛い状況があっても、苦しい環境があっても、職場で苦手な人と会っても、これも全て自分成長の為になる。自分の経験値の1つとしてのチャンス到来となるに違いない。そんな安易な私実験が始まったという訳です。


の辛い苦しいのトリガーとなっている事は1つだけでは無いので、1人で抱えて解決など、そもそも無理なのです。これまでの事は教訓にするとしても、今後は緩急を付けた日常が私にとっては大事だと感じました。辛かったり苦しかったり悲しかった事柄を解決しようと必死になっていた時間はもう取り戻せません。ならば今からこの先に向けての愉しみに時間をかけて、適度なガス抜きが当たり前のように出来る「自分体」作りから始めたほうが私にとっては良い習慣や良い意味での癖に近道なのでは無いか?と考えました。私も含めて「逃げる」という事は時と場合によっては幸せへの近道にもなり得ます。これは私の経験の中に沢山ありました。それは「生きる為」にです。そして今後環境が変わった場合、予測不可能に発芽してしまったストレスに対して自分がレジリエンスに強くなれるか。辛い事と出会った時こそが自分を成長させられアップデート出来るチャンス。今の私は自己防衛しつつも、自己成長の為にストレスが突如発芽しても構わないと前向きに考えています。



「愉しむ」が1つあれば「辛い」がやがて薄れて見えづらくなり、そのうちどうでも良く思える日がくるかもしれません。



の間の日曜日に面白い言葉を耳にしました。Aさんが「コレこれこうで、大変なのです」とBさんに言いました。BさんはAさんに「そうなんですかー。頑張って。」と一言。私は大爆笑していました。そこで会話は終わりました。つまり聞かされたBさんはそれ以外言えないのです。大変なんですとAさんは声にして他者に言ったとしても相談された側は「へー頑張って」で終わる他に無いのです。勿論、事と場合に寄るわけですが、相談したいと思った事を口にした時、他者の返事がこれだと「あれ?私の悩みや苦しみは大した事じゃないのかな?」と逆に心が救われるかもしれません。私がその時に思ったのは、こういう「愉しみかた」も良いなという事でした。



身の辛い事を誰かに相談して迷惑がかかってしまったら相手に悪いから。と思ってウジウジと悩んでいるのであれば、いっそ口にしてみる。それが「相談癖」をつけるという事なのだと思いました。自分に降りかかっている状況が自分からは見えていない場合もあります。だから独りで何らかの問題を抱えてメンタルが壊れるくらいなら、いっそ誰かに言える「相談癖」を普段から身につけておく習慣を持つのは悪い事ばかりでは無いと感じました。自分だけで深刻に物事を捉えない心身にする為に。


愉しむ力があればどこへ行っても楽しい事が起きる。

笑顔には笑顔が鏡となって自分の目に入ってくる。全ては自身の長所伸展の為になる。



今日もまた完結では無い私の文章を最後まで読んで頂きありがとうございました!

トップへ戻る