私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

「弱」と判定されてはならないという強迫観念

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yogajournal.jp

私が初めて聞いた言葉

ウィークネス・フォビア(弱者嫌悪)は、男性学研究者の内田雅克氏の造語で「"弱"に対する嫌悪と、"弱"と判定されてはならないという強迫観念」と定義されています


普段から語彙も少なく皆が知っているような事を知らない私。今日は偶然こんな記事を見つけて「目からウロコ」の感覚になったので感じた事を書いてみようと思う
(この言葉の使い方もあってるのかわからないけど。)


の記事の「ウイークネスフォビア」という言葉。日本語で「弱者嫌悪」と書いてある。日本語にしてあってもどういう事なのかがすぐに理解出来なかったので読んでみた。実はまだ詳しく自力では調べてはいないけれど、まずはこの記事に書かれてある事でなるほど!そういう考え方ね!と理解した瞬間、私の周囲で1つ思い当たる事が頭の中で浮かびました。私が1番に思い浮かんだ「人」は私の娘。彼女は私に「強さ」を求める。彼女は彼女の思う「理想のママ」がいつも存在しています。彼女自身は常に理想があり完璧であろうと頑張っています。ただ私から見るといつも疲れているように見えます。周囲の人への気配りに始まり自分に厳しく努力家。でも他者に何かを押し付けるような事をしません。だからその代わりにストレスとも考えられる感情が私へ向かってきていたのだと理解していました。


もこの記事を読んで思ったのです。娘は私をずっと見て育ちましたが、私についてイライラしたり怒りの感情を爆発させていたのは彼女自身の弱い部分と重なっていたのだと。そうする事で彼女自身の弱さから身を守り自己否定を避けられてきたのかもしれません。自分の母親を見てイライラする事が多分自己防衛となっていたのです。私は娘がどれほど繊細なのかを知っています。そして決してイライラしたり怒ったりする事を他者で発散させない事も。心の弱い部分の多い私を見てどれほど彼女は不安だった事でしょう。だからいつも「強いママであってほしい」と言い続けていたのだと理解できました。「自分の弱さを他者の中に見る」まさにこれだったのだと思います。


くあるがままの自分を受け入れるとか、そのままの自分で良いという言葉を目にしたり耳にしてきました。それは私にとって中々受け入れがたいと感じていました。なぜならずっと物心ついた頃から自己肯定感が低かったからです。自分には欠点しかない。今思えばそう言われ続け洗脳されたまま育ち、やがて結婚した相手やその義家族からも言われ続けていたのです。今となってはその経験が役立っている事もあります。多分、私がそれを役立てようと考えたからです。私は完璧を誰に対しても求めません。なぜなら自分自身が完璧を求められて辛いと感じていたからです。経験が良い方向へ向かいました。

は私が産み育てた事に間違いは無いですが、子供は成長過程で様々な状況や環境の変化が生まれ、親の知らない他人との接点や出逢いも増えてきます。その中で娘は自分の親と他者の親を比較してしまっていたのだと思います。それはきっと今も。それは悪意ではなく、無意識の中でです。私が子供の頃から温かい家庭を追い求めたのは温かい家庭を知らなかったから。娘が完璧な親を追い求めるのは、完璧では無い私に育てられてきたからです。そう考えると誰も悪くはありません。私自身必死で1人で子供を育てたつもりですが、私の「弱い」部分だけが娘の脳裏の中で残り不安にさせてしまったのだと思います。そしてまた、彼女自身の中の「弱さ」を他者に見せられない。見せたく無いというプライドも生きるうえで相当辛いだろうし苦しんでいると考えられます。


女はまだ若くこれからまだまだ人生を歩みます。私がいつまで娘を見れるのかなど誰にもわかりません。親として出来る事はもう無いと思ってはいますが、いつの日か彼女が独りになった時。ママが言っていた事はこの事なのかな。と思えるようなお手紙を残そうと思いつきました。今の娘にはセルフコンパッションは難しく逆に苦しみを増やしてしまうかもしれないからです。




は「理想」を持ち作り続けるよりも「目標」を持って生きる事を選びました。今そう思えるまでには様々な事があって色々な人の声を聞く事が出来たおかげです。自分軸、自分定規を持つ事はとても勇気を必要とします。その経験を私は今も味わっています。良くも悪くもです。この先の24時間を絶対に生きられるという事は誰にもわからず何の保証もありません。以前にも書いたかもしれませんが私の目標は1番は心身が健康である事。そして笑顔で生きる事です。日々嫌な事や辛い事がどの瞬間にも顔を出す事があります。でも嬉しい事、楽しい事もあるはずなのです。今日1日の中で嬉しかった事や楽しかった事を探す習慣は優しい気持ちになれます。どんな小さな事でも構わないと思うのです。出かける時に鍵がスッと鍵穴に入ってガチャと出来た!とかエレベーターがすぐ来た!とか。信号待ちをしなかった!とか何でも構わないのです。私の感覚的には宝探しにちょっと似ています。



は酸素を当たり前のように吸えます。食欲があろうとなかろうと食べ物があります。寒い暑いをしのげる家があります。こういう事ってめちゃくちゃ嬉しくないですか?私の心身の中には不便な障害や病があります。それでも道を歩ける足があったり可愛らしい鴨ちゃん達の大家族が泳いでお魚を採ってる水面の線を見れる目があります。キャンドルの香りもわかる鼻が機能してくれています。嫌な言葉も温かい言葉も聞こえる耳が機能してくれています。歌ったり話せる声も出ます。何なら手足の指も10本ずつあります。「今日も1日よく頑張ってくれた!ありがとね!」と自分の体に言ってあげる事も気づけばあたりまえになりました。


想を言えばキリがありません。美女だったら女優になれたのに。手足が長ければモデルになれたのに。そんな理想を持つ事も素敵な夢として悪くは無かったのでしょうが、その理想を全て「目標」と置き換えると生きやすさを見つける自分と出会えます。その瞬間を自分で一生懸命に生きる。それが何よりの幸せと贅沢だと私は思うのです。私の事を見てイライラする人は娘だけではありません。職場ではイジメだと感じて辛い事が沢山あるけれど、イジメと感じるより今日初めて知ったウィークネス・フォビア(弱者嫌悪)なのかもしれない!そう受け止めるとブルーな気持ちも減るかもしれません。



い立ったら行動です。私は決して強い人間ではありません。弱い部分が多い人間です。でも知り得た事を行動にうつしたり思考を変えてみる実験はやってみる自分で在りたいと思います。人も動物も弱くても構わないと思うのです。だからこそ目標や道標が手助けしてくれるのだと思います。私を含め人間は面倒な事をわざわざ自分達で作ってしまいがちです。頑張り屋な人ほどウィークネス・フォビア(弱者嫌悪)を抱えてしまうそうです。自分の弱さを見せたが為に痛いめにあった。そんな経験もいつの日にか役立つ事があると私は感じています。辛い事も楽しい事も含めて生きてるという証拠だから。寧ろ弱さを見せても良いと思います。それが出来る人こそが真の強い人なのだとはっきり感じました。私の場合ですが生きる事に疲れたというのは、悪い事ばかりではありませんでした。生き辛ければ休憩してみる行動を取る。それでどこかしらへ辿り着く可能性があったのです。


完璧であることへのプレッシャーや他者から弱いと思われることへの恐れが強いと、「弱さ」を感じさせる存在に過剰にイライラしてしまうことがあります。そんなとき、私たちは無意識に「弱く見える」他者に、自分自身の「弱い部分」を見出し、その相手の弱さを批判することによって、自分の弱さを見ないようにしています。これは自分の心が傷つかずに済む、心を守る機能のひとつでもあります。また、他者を批判することは、自分が優位な立場に感じる手段でもあります。そうすることで、不安や恐れを抑えようとしているかもしれません。しかし、いくら一時的に心を守る機能だとしても、日常的に行ってしまったら対人関係の悪化やイライラによる疲労など、デメリットが大きくなってしまいます。何より、他者に優しい自分でありたいと願っているのなら、自分の思い描いた理想の姿からは遠ざかってしまいます。

もし、自分の欠点や認めたくないところを同じように持っている人だとしたら、自分の中の弱さを認められないから、同じ要素を持っている相手を批判することで、自分の弱さに目を向けないようにしているのかもしれません。自分の良い面も悪い面も含めて、あるがままの自分を認められるようになったら、自分の弱い部分も受け入れられるようになります。そして、他者の弱い部分に敏感に反応せず、他者の良い面と悪い面を同じように見られるようになります。



こんな風に考えられるようになったらきっと毎日が素敵ですよね


自分の中にある弱さを認められず、自分が弱いと思われないように生きることは、他者からの評価ばかり気にして生きていることです。自己成長するためには、自分の良い面も悪い面も平等に見て、自分の軸で主体的に行動することが必要です。


の職場ではレジ全体をまとめるマネージャーという役職の人がいます。今のマネージャーさんは10月に異動で来られた方です。私がみる限り彼女はいつも何かにイライラしています。そして臨機応変が出来ない方です。以前のマネージャーさんは私が入社した頃、中々会話が噛み合わず当時は私がイライラしたりブルーになったりと気持ちがとっても忙しかった事を思い出します。でも時間がたつに連れ職場の中で私を1番理解しようとしてくれ、言葉の意味を汲もうとしてくださいました。意地悪をする人達との壁になって守ろうともして下さった人でした。そのマネージャーさんは新規オープン店のマネージャーとして異動になってしまいもうお会いする事は出来ません。最初は彼女に対して良い印象が無かった事が不思議な程、今はそのマネージャーがいない事で私はストレス満載の職場になっています。だから敢えて思うのです。今は新マネージャーさんを理解出来ない事だらけでもどかしいですが、時間が解決してくれる事もあるのでは無いか?そう思う事にしました。そして記事に書かれてあったように「他者からの評価を気にしすぎない。自分の良い面も悪い面も自分軸で主体的に行動する事。それが私の成長に繋がる」と信じる事にします。新マネージャーさんとの関係でブルーな気持ちになった時はこのウィークネス・フォビア(弱者嫌悪)の事を思い出してみようと思いました。


書いた方がどんな方なのかは全く存じ上げませんが「嫌悪感を抱く理由」の記事を読んでみて私は良かったと感じました。

自分にも他者にも優しい私でいられますように。


今日も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。

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