私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

喧嘩と暴力の違い

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人の胸ぐらを掴みながら髪の毛を引っ張るという行為


今日は昨日の自分に100点をつけてあげたくて書きます。
れでもか!?という程に私が働いている職業や職場での事を書いていますが、どうかひつこいと思わないでお時間のある方は読んで頂けると幸いです。昨日の仕事中(スーパーのレジ)で1つ事件がありました。警察が(犬のおまわりさんじゃないよ)来るという事件でした。私のレジ列である家族連れが並んでいて、順番が来るまでの間かなり遠くにいた時点からその家族の喧嘩声が聴こえていました。その家族連れには小さな子供が2人いる事も声で聴こえていました。可愛い声の2人がお父さんお母さんの喧嘩の仲裁をしているように耳には入ってきていました。そしてやっとその家族連れの順番が来ました。私は他の方と変わらず応対をしていました。それでもその夫婦の喧嘩は収まる気配はありませんでした。子供達の1人がレジカウンターに身を乗せてピョンピョンとジャンプを始めました。その瞬間、お父さんはその子に「おまえやめろ!」と怒鳴りました。子供は素に戻ったように親の顔色を見た事に気づきました。そうこうしているうちに、もう1人の小さな子供ちゃんが泣きだしました。夫婦の喧嘩の声は更に大きくなり喧嘩の内容もエスカレートしてお母さんの頭をゲンコツで叩き出していました。お母さんは避けるどころか我慢していました。買い物した点数は買い物カゴ3つ。一家4人にしては商品の点数はかなり多いほうでした。スキャンしている間に、お父さんは泣いてる子供を足で蹴り頭を殴り始めました。私は「やめて頂けますか」とお父さんに向かって言ってしまいました。他人の家庭に口を挟む事は責任が伴うという事は頭では理解しています。ましてや、目の前にいるのはお客様です。お客様に対して言う事なのかどうか?暇だったらもっと考えるべきだったかもしれません。でもそのお父さんが並んでいる際中から目の前へ来てからもずっと怒鳴ったりお母さんを叩いたりの勢いで?小さな子供を殴ったその瞬間に私の口が自動的にそう発言してしまいました。


の瞬間。そのお父さんは店員との間にある中央のアクリル版のサイド側から身を乗り出して、私の制服の胸ぐらを掴み髪の毛を引っ張りました。そのまま私を体毎引っ張りレジカウンターの外へ出されてしまいました。髪は結んではいますが、髪の毛をずっと引っ張ったまま私は怒鳴られていました。お母さんが泣き出して小さな子供達人は更に大きな声で泣き出してしまいました。よくよく考えると、その場にいたお母さんには申し訳なかったけれど、私は2人の子供達が心配で「大丈夫よっ!」と顔を見て私の手で少し離れるような仕草をするのがやっとでした。ずっとお父さんは怒鳴り散らして私の髪の毛を引っ張り続けました。伝わり辛いかもしれないけれど、本当は痛いけど痛くない程に怖かった。もうすぐ殴られるだろうなと頭のどこかで思ってた。変な表現かもしれないけれど私のDV人生経験が役にたった。殴られる時(前)に体の力をどうすればどのくらい痛いか?怒鳴っている人に対してどう言うと今以上にエスカレートするか?それは今、1日が過ぎたからこうして書けているけれど、昨日のあの場所では全てが無意識で瞬間的にやっていたことばかりだった。後先の事を考えるなら、他人の家庭に口を挟むべきじゃなかったのかもしれないとも考えていた。もしかしたら帰ったあと、あのお父さんはもっとお母さんを怒鳴ったり殴ったりする事になったかもしれない。子供達はそれを見て苦しい気持ちになっただろうし子供達にも手や足が出たりする可能性だってあっただろうから。

そこまで先の事を私は考えられなかった。一緒に職場で働いている違うレジの人達は誰1人として助けには来てくれなかった。(むしろ来ないほうが良かったけれど)他のお客さん達も列を崩す事なく、こっちを見ていた人もいれば、目を逸らす人もいた。私が怒鳴られ始めた頃からその列を離れて、面倒臭そうに違うレジに並び直すお客様達。1日過ぎて少しずつ思い出したことです。


ジに入っていない社員(誰だろう?)が上司に電話で連絡をしたのだろう。その間ずっと私は髪を掴まれたまま怒鳴られ続けた。子供達が離れた場所に行ってくれた事だけが私の頭の中で何よりも安心出来ていた。どのくらいだろうか?店長ではない男性社員が来た。警備員も来た。そうこうしているうちに、警察が来た。後でわかった事だけれど店舗から警察へ連絡がいったわけでは無く、お客さんの誰かからの通報だったそうです。私の髪の毛を掴んでいた男性をやっと警察官達が抑えてくれそのお父さんから離れる事が出来た。今思うとだけれど、なぜだろうね?その場でレジに休止板を置き、レジのライトを消し、レジに入る度に入力する社員番号を抜いてからその場を離れた。私は警備員さんに「お母さんと子供さん達を違う場所へ連れて行ってあげて下さい」と頼んだ。私は言われるまま別の警察官と一緒について行った。おまわりさんが2人がかりでそのお父さんを抑えていたが暴れていたお父さん。別の場所へ行き、おまわりさんに事情を話している時間の間、私は結果的にレジを離れてしまう事になり結論から言うと上司に怒られる事にもなってしまった。(そんな事はどうでも良いけど)


まわりさんとの話が終わり、お母さんと子供達のいる部屋へ警備員さんと一緒に行かせてもらった。そこには別の警察官もいて、お母さんは泣いていて何も話せない状態。私はまたもや黙っていられなかった。そのお母さんに私は元夫から暴力を受けて子供を連れて逃げた経験がある。という話を伝えてみた。そのお母さんはうつむいていた顔を私に向けて、一瞬目が大きく開いたように感じた。このまま警察に保護してもらって子供さん2人を連れて逃げて身を隠すという方法があるという事。辛かったら今すぐそう出来るという事。どれも強制ではないという事を大前提で、逃げる事は悪い事じゃないという事。それを私の下手な口で必死で伝えた。今子供さん達の私物やお母さんの私物が無くても、手ぶらでも何も心配は無いと説明しながら伝えた。逃げても逃げてもまた何かされるんじゃないか?そういう怖いという気持ちが凄く理解出来るという事についても付け加えた。子供達の身を守る事はお母さんにしか出来ない事だけど、お母さんが助けてと言えばお手伝いをしてくれる人が必ずいるから、頼っても良いのだという事を伝えた。その時にわかった事として、実はそのお母さんの体はアザだらけだった。「子供達と逃げたい」と小さな小さな声で言ったのを警備員さんも確認したので、警察にその母子の身を守ってもらう為に母子を安全に保護してもらう運びになった。



DVとはもそも家庭の中や人の見えない場所で行われている事が多く、社会からは見えにくいものが多い。でも昨日のように誰が見ても一目瞭然というような暴力について誰も口を出さないというのは、なぜ?昨日の3人は間違いなく警察が保護してくれた事を確認出来た。3人が一時的なシェルターであっても、移動した事を警察の人に確認が出来たので心から安心した。あの後あの母子3人がどういう流れになってどういう風になるのかは私は教えてもらう事は出来ない。ただお母さんと小さな子供2人が昨日の夜から殴られたり蹴られたり怒鳴られるという事が止まった。それだけが救い。逃げたあとDV夫の元へ戻ってしまうという行動を取ってしまう人が少なくない事から、そこは心配ではあるけれど、あの3人の安全が一生続く事を心から願う。私の職場では昨日の私は早退扱いとなった。更に社員3人にかなり怒られた。理不尽と言えばそうなのだけれど、立場が変われば店舗に警察が来るような状況になった原因は「私」という事から考えると社員さんとしては扱いにくい迷惑な雇用者という事になる。いつだったか?お店の中で妊娠中の女性が倒れてしまった時に手助けする事になった時も、私はかなり上司に怒られたという事があった。昨日、「これで2度目です。わかっていますか?」と社員には怒られた。「どうしてお客さんに起きる事よりも自分の仕事だけをする事が出来ないのか?」について、反論が出来なかった。「申し訳けございませんでした。」しか口から出なかった。(根本的に私の思う倫理観と同じでは無い会社だと感じてるから)



らないお客さんに胸ぐらを掴まれてカウンターの外に引っ張り出されてる光景。少なくとも異様だと私は思った。他のレジの人で見た人はいただろうが社員は見ていない。説明しようとしても言い訳をしないでと怒られただけ。私を擁護する人などいない。でもね。昨日の私は100点だったと思って自己完結する事にした。なぜなら3人の母子が安全な場所へ行けたから。それ以上に嬉しい事なんて無いと感じたから。私自身が虐待の中で育ったり、元夫からのDVで辛かった経験をしたからという事が誰かの人生でミクロン程度でも役立つ事があるなら話す事は恥ずかしいとは思わない。時代が変わっても社会の仕組みが変わっても、「怖い」という気持ちに時代は関係ないと思ってる。悔しいけど体の仕組み上、男性の力に女性や子供は敵わない。オリンピックに出るような肉体改造でもしない限りね。悔しいけど「平等」は難しい。ならば「知恵」と「行動」で理不尽な力には勝つ他無い。私は人に寄り添うという事や意味を知る事が出来、それを少しずつでも行動にしたり意識を変えようと思ってる。だけど、「暴力」には寄り添えない。どんな理由があろうと。です。もしも。もしも話としてだけど、極端な話だけど。自分の子供が強盗に殺されそうになっていたら、私自身も暴力を振るうかもしれない。でもね、支配や自分の思い通りにいかないからという暴力に寄り添う事は勿論出来ないし、理解もしない。それは女性が男性への暴力だったとしてもです。夫婦の間ではそのつもりが無くても暴力を子供に見られてしまう(見せる)のも暴力だと考えてみてほしいのです。親がどちらかの悪口を子供に言ったり思わせるのも将来良い結果を生みません。虐待などは論外だけれど力では勝ち目の無い小さな子供や動物を暴力で支配しようとする事はもはや「人」と感じない事を強く付け加えておきます。



日は自宅へ帰ってから色々と考えた。私の行く先、行く先で問題が起きてしまうのは、私に原因があるのかもしれないなと。もし見て見ぬふりが出来れば無駄に上司に怒られる事も、同僚の中で浮く事も無いだろう。って。確かに昨日は私自身が怖い思いもしたし、痛い思いもした。相当疲れもした。でもね。私はスーパーのレジの仕事をする事になってからは、仕事自体が楽しいというよりも「人」を沢山観れる、時には話せる、私の知らない一般的な温かい「家庭」というものを観れる。それはね、私が幸せな気持ちになれる瞬間。人が生きる様を感じられる。それはジェンダーも年齢も関係ない。レジに並ぶ人達のカゴの中の食材を見るといろんな想像が浮かぶ。他人の食卓や家庭を覗こうとしているように思われてしまうかもしれないけれど、決してそのような悪意があるわけでは無く、私にとっては一人暮らしでも大家族でも、ごく一般的な家庭は永遠の憧れなのです。今の私は限りなくそこへ近づいてきていると感じてる。安全な家があって、大変でも日々お仕事をしていたり、平穏な時もあれば時には喧嘩もする家族。だけど大笑いする事があったり一緒に食事をして会話をする「家族」への憧れが消える事は無い。それ以上の幸せは無いというのが私の人生論だから。カゴの中には激安にされた質素な食材しか入っていないけれど、お財布の中が万札だらけだったりする人をみると、「お金」「人生」というものについて考えさせられる。



の人がもし買い物の帰り道に事故や病気で命を落としたら?もっと贅沢な食事をしておくんだったと後悔しないだろうか?どうかどうか安全にお家まで着きますようにと心の中で祈る。(よく考えれば余計なお世話よね)ブランドバッグや綺麗なお洋服でスーパーへ来ていても、子供達を見ればお家の中が見えてくる。どうか頑張って大きく育って!と願う。どれもこれも他人を見て自分勝手な思考を繰り返しているだけ。私ももっともっと頑張らないとだなと思える。今後も私が「人」として日々をどう過ごすのか、何の為に何をするのか。それについては決まっている。「全ては自分の為で、自分を大事にする事。」その為には自分自身に「嘘」をつかない事。絶対に無理はしない事。もしもいつの日にか自分に余裕が出来たら自分の経験枠の中で役立つ事があれば活かしたいという事。自分の健康と幸せを考え大切にする事を忘れずに。


自己採点100点の昨日の話。



今日も最後まで読んで下さった方々、ありがとうございました。