私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

乱暴な物言い

f:id:ecoplace:20201206212037j:plain
私、この方のお名前もお顔も出版物も一切存じ上げなかった



toyokeizai.net

井上 章一 : 国際日本文化研究センター教授

たかが茶の、しかも飲み方の作法だけを伝える家が千家何代当主とか、器を扱う家の由緒がどうとかね。こんな言い方、ちょっと差別的になって申し訳ないのですけれども、爵位を持っていたという人たちならともかく、一般市民に毛が生えたようなのが、何百年続いているということを誇らしげに語るというのは、やっぱり、なんかどうなんでしょうね。

「たかが「茶」」とはものく乱暴な物言い・・・。私の娘と同級生だった男の子が後継者となった事もお聞きしました。お母様は皇室から嫁いできた方で今でも自分にSPが24時間ついていらっしゃる事を申し訳なく思われていて周囲を気遣われる素敵な方です。娘は幼かった頃からその子(二男さん)も含め同級生達とは今でも仲良くさせて頂いているようです。当時お母様は私自身の実母に年齢が近いとお知りになってからの3年間は色々とご親切にして頂いた良き想い出が今でも記憶に残っています。いつも笑顔で冷静で心の綺麗なお優しい方でした。幼い頃から長男さんが後継者だと言われていましたが彼はご自分の選んだ道へ歩まれました。それもまた素晴らしい事だと感じました。この世にはネジ1つでも不要な物は無いと思います。私見ですが自身や家のどのような事も誇りに思い、人へ語り継がれる事は素晴らしい事だと思います。家柄も出身大学も職業も「個」で良いと私は考えています。(日本を出れば京都大学も東京大学も知らない人が大半ですから。)日本のどこの学校を出たからという事は個々の一生を生きるにあたり大きな問題では無かったというのが私の正直な気持ちです。たかが「茶」や「同志社くらい」という言葉は本当に乱暴です。お家柄の事、私は詳しくわかりませんが千家の方々は皆素敵な方々ばかりでした。同志社の新島襄先生もこのような言われをする為に人の為の教育の現場を作った方ではありません(お会いした事はありませんけど)学校で何を学べたか?が大事だもの。机の上でする学習だけでは無く、一生の中で集団生活や人間関係も学生時代に育成される大事な要素だと今は思います。

京大生に「京都市民」が少ないのはなぜ?

井上:実を言うと、京都大学の学生に、あんまり京都市民はいないんですよ。多分1割もいないと思います。ましてや、創業寛永何年とかいうようなお家のボンは、数えるほどしかいない。でも、皆無じゃあありません。いくらかはいるんですよ。それがね、みんなおしなべて言うんです。「京大、入れてよかった。これで親父は、俺のことをあきらめてくれる」って。
『京都、パリ ―この美しくもイケズな街』

つまり、入れなかったら跡継ぎにさせられるんですよ。ところが、京都大学の、たとえば大学院まで行くと、これが「合法的な家出のコース」になるんです。

鹿島:なるほどね。私の生まれた横浜にも、家の近くに関東学院大学という古い一貫校の私立大学があって、昔は、商店の親父が子どもを小学校からここに入れてました。進学校に行って、中央で働くなんて言われたら困るので。商売継がせるために、小学校からエスカレーター式でこの大学に行かせたんです。

井上:京都では、それが同志社なんです。僕は学生時代に、町屋の建築調査をしました。そのときに、ある旦那から言われたんですよ。「君、京大の子やな」と。「われわれのところでは、子どもが京大に入ったら、近所から同情されるんや。『もうあそこ、跡継いでくれへんわ』と。賢いことが悪いわけやない。だけど、同志社くらいが頃合いなんや」と。「同志社に行けば、長く続いたブルジョワ同士のコミュニケーションがそこで培われるし、将来この街を背負っていく旦那にもなれる。京大なんか行ったらあかん」というふうに。


うでもいい話。新島襄先生の為に書いてみるとするならば。同志社は「教育」や日本の将来を本気で考えた方で必死で作った教育の場です。それがたまたま京都だったというだけです。この井上さんという方。町屋の建築調査を学生の頃していたとか。院でする程のレベルではありませんが私の娘は小学生(京都に帰国時の時だけ)授業で必修で行ったりしていました。同志社は小学校が出来るまでは内部進学が不可能で同志社幼稚園から同志社中学校へ戻り大学まで進む為には一旦、ノートルダム小学校というレールがありました。同志社大学は代々家業の方やお商売をされている方々の子供達ばかりではありませんでした。それは今もです。「同志社はブルジョワ同士のコミュニケーションが培われる!?」えぇーー!?って私は笑ってしまいました。京都は確かに物理的な面で狭い事もあり他府県に出る人が少ないとは言え、私の親世代に近いこの方の古い記憶内発言には偏見が過ぎると感じました。


分が1日でも暮らした場所というのは、何かしらの想い出があり愛着があるものだと思います。(ホームレスだった頃のカプセルホテル時間も路上生活時間にも様々な想い出があるものです)東京で暮らしていると関西の全ての良さを思い出します。日本で暮らしているとカナダやアメリカの良さを思い出します。逆も然りです。私にも探せば何か1つくらいはいつの日にか「誇り」に思えたり語り継げるような事が出来ている日を目標に日々を丁寧に大事に大事に過ごそうと思う!

うん。人は常に「ないものねだり」なのです。