私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

裁判

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ブログを書いていて思う事


ログを書いていて大前提になっていると言えば。様々な環境の元で色々な考え方と価値観の入り混ざった方々が存在している「インターネットに繋がっている枠内」であるという事。自分軸で書く文章には「自由」と「責任」が背中合わせになっています。大事なお時間を割いて頂いてまで私の書く文章を読んで頂く事にはいつも心から感謝の気持ち。そして感想含め思い感じた事をメッセージとしてコメント欄やブックマークで残して下さる方がいらっしゃいます。ただ今のところ、私のメールアドレス宛にご意見やお言葉を送って下さる方々のほうが圧倒的に多いというのが現状です。私がこのブログを使って文章を書く度に、何百人、何千人が毎回私の文章を読んで下さっているわけでは無いだけに、場所がどこであろうとご意見やご感想を頂けるという事は良くも悪くも何からの「ご縁」だと考える事に少しずつ気持ちを切り替えるようになりました。ただとても生意気な気持ちを書かせて頂くとすると、中にはこれ以上、この方のご意見や感想についてお返事をしていると、自分自身が傷ついて立ち直れないと判断した方々とは距離を取らせて頂くようになってきています。

人が私を理解したり、同感、共感。それは無理なのだという事を改めて強く思えた為というのが1番の理由です。そして私自身が心身共に「健康」である為に。極端な私の本音を言えば、私がこのはてなブログに日本語で文章を書いて、読んで下さっている方々の99%は日本国内の方で、母国語が日本語である方々のはずです。日本国内で繋がっているインターネットの枠内で言えば、宇宙に行っておられる宇宙飛行士 野口聡一さんの視界からすれば豆粒のような枠内かと想像出来ます。(私は宇宙へ行った事が無いので想像ですけどね。)しばらくの期間、見知らぬ方々達から頂くお言葉全てについて毎日考えて、悩んでいました。ただ今は良い意味でそういう気持ちは綺麗に消えたという事を伝えたかったのです。だから今後も引き続きお時間が許す方や、読んであげようじゃないか。そう思って頂き読んで下さった方々からのご意見やご感想は、必ず読ませて頂きます。そもそもは「私の裁判」というブログの題名は私の元夫だった人と家裁から地方裁判所へ高等裁判所へ移行して裁判離婚したという事を書き綴る為にスタートしたものでした。そうこうしているうちに、私がホームレスになってしまい、今に至っているという場所です。
自分の家族を失って哀しみのどん底になった頃からは、自分の頭の中の整理の為に気持ちを文字化する。ただ日記では無い気持ちを書き綴る。読み返す事の無い場所となっていました。もしかしたら?1箇所くらいでも?豆粒程のレベルでも良いから自分の経験が誰かの役にたつ事を目指して。


はや、「裁判」は関係ないというブログでは?と言われる方が多くいらっしゃいます。それについて敢えて書かせて頂くとするならば色々な事があり私がホームレスになってしまった頃からでしょうか。いわゆる第三者が裁く「裁判」では無く、自分で自分自身を裁く、判定する、そのような意味合いを気持ちの中に持っていくようになっていました。その頃は自身の過去の事ばかりを悔いていたり、自身を否定し続け、自分のする事全てが嫌いで、自信もなく、生きている事が不思議な程に心身共に弱りきっていたと今ならわかります。周囲の見知らぬ人も知り合いも全ての人に敵対心を持って、社会を非難し、他人を否定する事ばかりが頭に浮かび、自分の足元はみえておらず、一歩も歩いていないような日々だったように思います。今も完全ではありませんが、その頃までは自分の良いところを探すという発想は皆無でした。自身が他人や社会に寄り添うという気持ちへの理解も。そういう最も大事な核心に触れるという事が私には出来ていなかったように思います。


でも私は完璧ではありませんし一般的な事で知らない事が多くあります。社会に寄り添えているのかどうかと言えば出来ていない事は沢山あるのだと思います。ただ「コツ」というのでしょうか。生きていくうえで「楽」に歩く道探しのようなものの発見が増えてきたように感じています。はっきり言うと、これはそれまでの私の意識や認識からすると「ずる賢い」となってしまいます。これは私が最も嫌いな生き方でした。でもそれは「罪」では無いのではないか。ごく最近ではそう考えるようになってきている自分がいます。自分で自分の心身の健康を護る。その為には誰も傷つける事なく自分を護る。その為の自分の為だけの「裁判」だと考えるようになっています。そこには法律があるわけではありません。全てが自分軸での裁きと判断です。私が少しでも「楽」で幸せに笑顔で生きていく為には、色々な顔を持つ事も今後は必要な場面が出てくるかもしれません。だからと言って私が全て変わってしまうわけでは無く、何が大事なのかをその都度冷静に判断出来る心身の健康を保つ必要があると考えているのです。今後、将来、少ないに越したことはありませんが、何らかの理由で困難な壁にぶちあたった時に、進む道を選ばなくてはいけなくなった時の為です。


思議な事ですが、私の書く文章を読んで私がどんな生い立ちだったか、男性なのか女性なのか、現在何歳なのか、どこで暮らしているのか、どのくらいの収入があるのか、元夫だった人間は何の職業なのか、子供は何をしているのか、普段どのような生活をしているのか。生活保護を受けているのか、障害はどんな障害があるのか、どこで働いているのか。などなど。ツイッターをするな。おばさんはこれ以上はここでブログを書くな。そのような内容を送ってこられる方もいらっしゃいます。一瞬フリーズするような発想でご意見や感想を頂く事があります。でもね。私は、こういう言葉全てを今は悩まなくなりました。本当に。だから怒っていません。ブログを書けなくなって、悲しい気持ちになった事もありましたが、今は悲しいどころか、もしかしたら「私の全て」を知りたいと思って下さっているのかもしれない!そう考えるようになりました。正直、私は誰かのブログを読んで、その方の日常や過去を想像した事がありません。「この場」で書かれてある事について笑ったり、感動したり、共感したり。純粋にそれだけでした。書いた方の生い立ちから現在に至るところまでを想像していませんでした。自分自身に心の余裕が今以上に無かった事もあったかもしれません。


は神様ではありませんが、命あるもの全てにと人が1人でも笑顔になってもらいたいと心から願っています。心から純粋に祈っています。だからこそ私自身がまずは笑顔で健康であろうと強く願うようになっています。私には誰かを笑顔に出来るような力は無いのかもしれません。ただ誰かを悲しませるような事にはならないように日々過ごそうと考えています。


ひとりひとりが違う環境でも右足を出せば左足が出て前へ進めますように。



今日も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。

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