私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

ないものねだり

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ないものねだり


今初めて感じたわけではないので、さらっと書いてみようと思う。

には「夫」と呼ぶ人や「ライフパートナー」と呼べる人がいない。この事実について「気の毒に・・・」「大変よね・・・」と声をかけられた時に何と答えて良いかが年々わからないでいる事が増えてる。不思議なもので他人にそう言われると「あ、そうか、え、私、気の毒なのね、大変なのよね」と気持ちがグレーな所へ移動する瞬間がある。逆に「単身者はいいよね、自由で」「悩みとか無さそうで羨ましい」と私に言う人達もいるので、「そうそう、私は自由なのよね、悩みとか無いんだよね。」と、気持ちがまたグレーな場所へ移動する瞬間もある。


こはブログなので本音を書くと、自宅で1人で居る時間にふとそういう言葉を思い出して「え?夫やライフパートナーが居ない事、私は気の毒では無いんじゃ?」「大変でも無いかもよ?」となる。確かに。私の命よりも大事な大事な家族の「犬くん」が天国へ行ってしまった時はこれまで味わった事の無い、かなりの「孤独」を感じた。そして今でも「寂しい」という気持ちは変わらない。うん。 でもね?周囲の人から言われる夫がいなくて気の毒、大変よね、が上手く頭に入ってこない、何とお返事するべきなのかがわからない。私が他人との会話の中で「ご家族はいるの?」や「ご主人はいるの?」という質問の選択肢がゼロなせいか、聞かれた時に、戸惑う事がこれまで何度も何度もあったのだけれど、嘘を言う必要も無いから独身ですと答えきた。そして気の毒に、大変ねと言われたら、「ええ、あ、はい」「どうもありがとうございます」と答える事がそもそも間違いなのかも??




場(スーパー)で私に意地悪をしてくる人やマウント取りたいタイプの人というのかな?そういう人達の色々な噂話が耳に入ってくる事が少し増えていたのである事が気になっていました。でも噂話はどこまで本当なのかはわからない。なので私が直接本人から聞いた(聞かされた?)事だけを書いてみると、ご両親の介護をしているから自分の時間が無い 息子さんが結婚してからお嫁さんがどんどん嫌いになってるという人 孫の世話を押し付けられて困ってる 夫が浮気をしている 夫や子供の存在がうざい 嫁姑の関係でノイローゼ寸前 高校生、大学生の子供にお金がかかって辛い 親戚付き合いに疲れてる 自分の自由になるお金が無い 1人で子供を育てているので体調が悪くても仕事を休めない 家事と仕事の両立がとにかく辛い 結婚相手が見つからない等々。まだまだあるけど・・・・今思い出しただけで、こんなに沢山。


は今(も)スーパーで1年と2ヶ月前からレジをしているのですが、これまでしてきた仕事(職場)でここまで問題山積みな人達とお話をした事が無かった。意地悪をされたり嫌みを言う人達はどの職場にもいたけれど、こんな具体的な悩みを耳にした事が無かった。こういう現実の話を耳にしてしまうと、職場で私にちょっとくらい意地悪しようが、マウントタイプな人だろうが、実話を聞いてしまった以上、彼女達と目を合わせると涙が出そうになってきて困ってる。私が彼女達に何か出来る事があるのか?というと「無い」。だったらせめて、私に意地悪したくなってしまう気持ちや職場内でのマウント態度くらいはスルッと流します。だからどうか頑張って。と心の中で願う。こんな事しか私には出来ない。意地悪をされる事は決して楽しい気持ちにはならない。ただね、皆抱えているものがあって、どこかで発散というか、吐き出す場所や人や言動を必要としてるのだろうなって伝わってくるんだな・・・・。


いというのか、私は誰かや何かと比べてでは無く、「個」として平和な気がする。今の私は確かに家へ帰っても「ただいまー!」「ワン!」「おかえり!」のやり取りは無い。でもね今でも外から家へ入ったら「ただいまー!ママ帰ってきたよー!」と言う。私の心はもの凄く自分の都合の良いように出来ているみたいで、お仕事へ行く時は「行ってくるねー」と犬くんに言い、職場についたら「今日も1日一緒にいてねー!」と思い、帰ってきたら「ただいまー!」となる。え?犬くん私と24時間一緒じゃ?!って時々笑えてしまう。
単身だと体調を悪くしても誰かが代わりに食料を買い出しに行ってくれるわけでもない。熱が出てもひたすら1人で苦しいだけ。今の住処を事故物件にしないぞという意識だけを保って生きてる。面白いTVやネットを観て一緒に笑ったり共感してくれる相手が横にいるわけでは無いけれど、ここは私にとって大事な住処だから。


け惜しみのように思われてしまうかもしれないけど、私は今自分が「愉しい」と思える事が1つあって。体も100%では無くても生死に関わる問題がある訳ではなくてね。摂食障害は中々治るものでは無くて手強いけど、お金が無くて食べものが無くお腹をへらしてガリガリに痩せている訳でも無い。目が2つあって鼻も歯も耳も無事で。全身が痛い線維筋痛症という病は完治では無くてもお薬でセーブ出来ている。体は一生懸命に頑丈に動いてくれてる。精神的なブルーの上下凹凸波とはどうにかこうにか折り合いをつけながら付き合わせてもらってる。ギリギリの生活とは言え「家」があって寒さ暑さから退避出来る強みがある。お金が余っている訳では無いけれど日常の支払いを滞納しなくてはいけない事も今のところ無く。笑い転げる時間があって。(笑う寝言もね)そう、実は幸せだよね私。でもね、「幸せ」というものを口にしたり、こうして文字にしないと、時々「怖く」「不安」になる。物心ついてから「幸せ」という感覚というのか、手放しに平穏だった経験が無いからかもしれない??だから今のこの「平穏」「幸せ」と感じる日々が怖くなってしまう癖(習慣)が中々抜けないのです。


分が健康で、自分が幸せで、自分が笑顔で、日々前を見て歩き続けるという事は、簡単では無いけれど「目標」と「維持する」気持ちがあるというだけで「生きてる感」がもの凄く強く感じられると私は考えてる。それは誰かや何かの為では無い。全てが自分自身の為だという事。私自身がそうだったから、これは書いて残したいと思うのだけれど、「自分を大事にする」という事に意味を見出せず、感じる事が出来ず、その方法も見つける事の出来ない人達がこうしてる今もどこかで多くいると思う。「自分には何も無い。」そう思っている人が社会には数えきれない程いる。「何も」「自分が」に置き換えるだけで、「自分が存在してる!」になれる。と、私は意識するようにしてる。無人島でいる人で無い限り、誰かしら何かしらのしがらみがあって、辛い事や苦しい事がある中でも、思わずクスッと笑ってしまう瞬間もあると思う。


えば私で言うとまだ学生で要領の悪い私が同じく学生だった子供の父親やその親族からの収入があった事で、お金の心配をする事無く子育てが出来た。娘の父親は「育児」とは程遠い人だったり、私の実家があった訳では無い。子育てについて誰かに相談が出来た事もなかった。赤ちゃんの育て方、接し方、教育、何もかも余裕など無く、悪戦苦闘で必死ばかりの子育てだったと思う。それでも娘と一緒に居られた時間が今の私の宝物になってる。私1人の考え方だけで育てる事が出来た。実はこんなに幸せな事ってある??と今はあのシチュエーションに感謝してる。病弱だった娘を夜中に救急で診てもらって帰宅すると、「そんな体質はあなたの遺伝子」と散々長い間言われていた。でもね、あの頃私は実はこっそり思っていた事がある。「娘が私に似て良かった」と。「あなた達に似なくて良かった」とね。子育てに失敗も成功も無いと今は声を大にして言いたい。私は結果よりプロセスに感謝してる。


の時代は誰もがネットで情報を得られたり、どんなに辛い事が起きたとしても、無人島で誰の力も借りずにたった1人で子育てをしなくちゃと追い込む必要は無いと自分にどうか言ってあげてほしい。だから大丈夫。子育てだけでは無い。年齢性別関係なく、単身者で明日どう生きれば?と苦しんでいる人達(私もね)もみんなみんな自分にそう言い続けてあげようよ。落ち着いて考えると誰かしらの言葉に救われていたり、力を借りていたりする事ってあると思う。今の私もそう。家族同様の生きもの(犬とかね)と同居している人も、働ける場所があるか、何かしらで収入があるから育ててあげられるし一緒に暮らす事が出来る。収入が無くて家族をどう養えば?と苦しんでいるとしたら、必死になって抜け道や方法を探してみてほしい。働く事、お金を得る事、子育てをする事、介護をする事、家族関係で悩んでる事、自身が病を抱えてる等、皆環境も違い考え方も違っているのが当然だけれど、生きている全ての存在について共通して私が感じている事は、逆に言うと今の社会で1人だけで何もかもするという事はほぼ不可能だという事。勿論日々の負担は本人にしかわからない。苦しい時は「なぜ私ばかり?」「何で1人でこんなに辛い思いばかりしてる?」頑張った事を表彰される訳でも、得点をつけてもらえるわけでもなく感謝される訳でも無い。そんな時頭に浮かぶのは、気づくと弱気になってしる為に「生きる意味を見出せない」に繋がっているのだと思う。そして「孤独」を感じているかもしれない。生きるしか無いから惰性で生きてる等。ほんの何年か前までの私がそうだったから理解できる。


もね、働いていても働いていなくても、皆全員が「社会」で「存在」しているのだという事をどうか忘れないでいてほしいと願っています。病があろうと家族がなくて単身だろうと、家族が多くても孤独を感じている人も、お金に困っていない人も、お金に困って明日どうしよう?と足元が消えかかっている人もです。クスッと笑える「何か」を探してみてほしいと願うのです。世の中には自分の苦しみを他人へ同様の苦しみとして投げつける人もいます。そう人達は足元だけではなく体が半分消えかかっているのかもしれません。もうどうして良いのか?自分が何をしているのか?その判別も出来ないのかもしれません。今の私自身は決して裕福なわけではありません。必死で生きてる感満載の日々です。だからこそクスッの笑いを少しずつ少しずつでも増やして過ごしたいと思っています。「クスッと貯金」は「笑顔定期」になり、気づけば「大爆笑満期」になると信じています。自分の最期の顔が事故や病で苦しんだ顔だったとしたら、それは不可抗力です。そうではなくもし私が老衰で天国という場所へいけるとしたら「優しい柔らかい笑顔」が良いなという「目標」を密かに持っています。(ここだけの話、誰にも言わないでどうか笑わないでください。)



2020年にってからは、殆ど毎日「コロナ」という言葉を聞かない日が無い日々です。仕事を失った人、収入を断たれた人、家族を失った人、差別を受けた人、心がいっぱいいっぱいになっている人、体調を崩してしまった人、人から離れてしまった人。辛い事は数えきれない程あった人も多いと想像しています。私自身も何も影響が無かったかと言えば、NOです。でも「良かった」事もどこかに必ずあったはずです。全ての人に自分を理解してもらう事など考える必要の無い事であるという事。生物には平等にある24時間をどう過ごすか。それはその人の気持ち1つでどんな色にも変わるという事を、人の数百倍テンポが遅いですが、私は今になって理解が少しずつできるようになりました。ただね、生きている間に気づけて本当に良かったと思うのです。気づかせて頂く事になったワードやヒント、その事全てに心から感謝しています。生きるうえで「自分が何をしたいか?」とか「何が出来るか?」はとても大事ですが、私が今年強く強く感じたのは、「自分が今この瞬間存在している事を意識して日々過ごす」という事実に「私ありがとうね」と想う事。それだけで十分幸せなのでは無いかと感じられるようになりました。16人家族だろうと単身者だろうと人数は関係ないと思うのです。「自」であり「個」「身」だから。



人は自分に無いものを欲しがる「いきもの」なのかもしれません。
行列の出来るパン屋さんのカレーパンは美味しそう。
でももっと美味しいカレーパンがあるかもしれないと
永遠に美味しいカレーパン追求は終わらないみたいなね



いつも最後まで読んで頂いて本当に本当に、ありがとうございます。

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