私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

社会とつながる

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された女性は今年の2月までスーパーで働いていたとの事。最期がこんな形で終わるだなんて切なすぎる。春頃から路上での生活が始まったとされている。実際のところは殺される前までどうされていたのか?どこまでが事実なのか?殺されてしまう前までの足取りは全てわかっているのだろうか?決して興味本位でこれを書いているわけでは無い。1人で心細くありながらも外で生活を余儀なくされていた女性の最期を他人事で終わらせてほしくないと考えているのです。確かに自分の事として置き換える事は難しいかもしれません。ただ外で生活をせざるを得なくなった人が殺されるという事件があとを経たない事から考えても人の残酷さを感じずにはいられないのです。自分が何ら手助けが出来なくても警察へ連絡して保護してあげてと言える日常になるだけでも意識が変わるのでは無いかと考えています。


の記事には、「所持品だったカードには自身の会員制交流サイト(SNS)のアカウントや親戚の連絡先などが書かれており、捜査関係者は「路上生活という苦しい境遇になっても、社会とつながっていたかったのではないか」と話す。」


「は?」
何ていい加減で心ない言動なの???
「社会と繋がっていたかった??」仕事を失い、家を失った女性が外で生活していたというのに、社会と繋がっていたかった??そんな言われかたある??殺された最期に向けられた言葉がこれだと、この女性は本当に報われない。この事件にいったいどれだけの人が心を向け、切ない気持ちになったか?確かに困っている人への手助けというものは、限界というものが誰にもある。それは私も同じ。ただ、今回こうして殺された女性に向けられる目や言葉があまりにも冷たいと感じ憤りを隠せない。

査にあたった人達が犯人を捕まえた事は幸いだったとしても、「社会と繋がっていたかったのではないか」という言葉は取り消してほしい。この女性が毎日のようにバス停で座っておられたとしたら、近所の人も見かけた人がいたはず。見かけた人がこの女性に手を差し伸べても丁寧な言葉で頑なに断り続けていたと報道されていたけれど、警察はなぜ保護しなかったのだろうか?そして自治体は??
私が実際にホームレスとして外で生活をせざるを得なくなっていた頃、怖い思いをしていた事について、何度も何度も自治体に助けを求めたが、見回りをしていると言われ続けた。現実は1度も見回っている人を見かけた事など無かった。「雨の日以外は毎日、同じ場所で座って眠っています。」と伝えたのだから、私の居た場所を知っているはずだったが、平気で嘘を言ってのける自治体の事を私は一生信用出来ないし、許せない。

年3月頃から夏にかけて私の働くスーパーでも大幅な解雇があった時期と重なる。私は体調を壊して休みがちになっていた時期だったけれど店舗からは体調を治して復帰してほしいと言ってもらえた。そんな私も、将来的にはどうなるのか?不安とずっと共に歩く。そうならないようにとは願ってはいるけれど、正直わからない事です。私の働いているスーパーの定年は60歳。希望すれば嘱託社員としてその後も働ける。それでも体力がその頃、どうなっているのか?正直言って想像もつかない。体(健康)あっての仕事。仕事は職場があっての仕事。仕事が無くなれば家を失う。家が無いと働けない。東京都には家を失うと生活保護を受けられない区がある事をどれだけの人達が知っているだろうか?生活保護を受けるのは、何もかも失って最終手段だと思っていた私のように、その最終手段を受ける事が出来ずに、たらい回しにされた事が日本の首都の現実。オリンピックは家を失っている人達よりも大事な事なのだろうか?よくわからない都の経費がどうとか見ず知らずの人のボーナスがどうとか、二酸化炭素がどうとかよりも、生活が逼迫している人達や日常で身近な内容や方法を広告紙に掲載するべきだと思う。
確かにオリンピックが無くなるとそれに影響されて生活が逼迫する人達がいる事も理解出来る。でも「今」どうしよう?となっている人達の優先順位は?そう思うのは私の考え方が甘いのだろうか?


の経験は誰かの役にたつとは思えないけれど、コロナ禍で何らかの影響を生活に受けた人達は私の周囲でも沢山いる。飲食関係のダメージばかりが報道されるけれど、会社員としてや、パート職として、日雇いとして、働いている人達がどんな状況になっているのかを知ってもらいたい。住居を失った人や失う可能性がある人達の実態を知ってもらいたい。彼らはこれからのバーゲンセールや年末年始どころじゃない。会社が倒産するレベルのことが起きているのだから、報道として社員やパート職の人が無職になりハローワークへ押し寄せたという所で止まっていては、その先の不安を匂わせるだけ。先が見えない状況でもこんな方法もあるという「生きる力」になる為の言葉を発信してほしい。それも出来るだけ具体的に。人によって受けられる制度も給付も違うから混乱を避けるという意味もあって簡単に報道が出来ないのかもしれない。ただ、その報道で救われる命があるのなら、どうか可能な限り力をそこへ使ってほしいと願う。報道だけじゃない。明らかに困っている人がいたら可能な限り無理の無い程度で良いと思うのです。知恵や生きるヒントだけでも発信してほしい。


TVれが増えているとは言え、大きな地震が起きたらTVをつける人はまだまだ多いのでは無いだろうか?それは心のどこかにTVが地震で嘘の情報や報道をするはずが無いという無意識の「意識」だと思う。その心理や意識を良い事に使ってほしい。家を失うとTVは見れなくなる。TVを見れる間に自己申告しなければ受けられない制度を知ってもらえたら。そう願う。私自身が感じた経験の中に、何かと言えば「いのちの電話」を紹介する場所や報道はいらないと思ってる。私自身もそうだったけれど、いのちの電話に使うお金すら困っているかもしれないのだから。フリーダイヤルだったとしても何らかの事情で自分の素性を明かしたくない人だったとしたら、自分の電話番号を知られたくないと考える人もいるかもしれない。いのちの電話で散々話をしても、「それじゃあ」と電話を切る時の何とも言い様の無い虚しさ。孤独さ。経験した人なら感じたかもしれない。


そして、24時間受け付ける相談の窓口電話があってもそれは電話があるという大前提。家を失いシャワーを使えなくなって沢山の荷物があって周囲に迷惑がかかるかもしれないと思いながら、区役所へ出向く事すら物凄い勇気が必要となる。そんな事になる前に何らかの対策を打てば良かったのに。大半の人はそう考える。皆がそれを出来るわけじゃないという事を心のどこかで思い出してもらえるともっと良い国になるのになと、個人的にはずっと感じてる。皆がおしゃべり好きで、言葉にして伝えるのが上手で、要領よく生きられて、知恵があり、健康で周囲に知り合いや友人がいて、親戚、家族がいて、そんな人ばかりでは無いという事を知って貰えたら。そう願っています。
ここでこういう内容を書く私の考え方に反感を感じる人がいるかもしれません。でもこれは私の考え方です。決して全てが正しい事だとは思っていません。そして私は今、路上生活から脱して今の生活があるからそんな事が言えるのだろと思う人もいるかもしれません。事実私には今、家があり仕事があります。ただそれは決して私が強い人間だったからではありません。1度に多くの事を乗り越えられたわけではありません。要領の悪い私は1つの事をする為だけに人の何倍もの時間とエネルギーを要しました。そして今でも全て乗り越えられた事ばかりではありません。今でも前を視る気持ちと日々連れ添いながら歩いています。
人間ですから、下を向いてしまう事もあります。ただ私は生きる為の「ヒント」や「温かい言葉」を沢山頂きました。物資や経済的な支援も頂きました。その温かさで今の私は成り立っていると心から感謝して生きています。確かにお金が無くては生きれられませんが、人からの温かい言葉は生きるお金を稼ぐ糧になると実感しました。孤独で真っ暗な時もその言葉を思い出す事が何度もあります。きっと私はこれからも同じだと思います。



私は今回、「社会と繋がりたかったのでは?」という捜査員の言葉に何が最も許せないと感じたかと言うと、理由があり路上で暮らす事になってしまった人も「社会」にいる人です。その認識が全く感じられないという事がどうしても許せないと感じました。不本意にも亡くなってしまった女性もきっとこう思ったのでは無いでしょうか。この言葉を言った人へ、この考えが伝わるとは思えませんが、日々過ごしている人達皆の意識がそうなる事を心から願っています。


今日も最後まで読んで頂き、お時間も頂いてありがとうございました。