私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

「無理をしないで」という言葉

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「一緒にカネ恋みよう」 三浦春馬さん出演ドラマ、
放送直前に親友の佐藤健&三浦翔平が生配信 久々の“春馬”呼びにファン涙
#Yahooニュース
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らは三浦春馬さんと近く親しい存在だったと思う。だから7月18日にどれ程のショックを受け今日まで悲しい気持ちで過ごしてきたか?
常識的に考えると、それまでの日常とは全く違ったかもしれない。ただ
精神的な事以外での日常は何が変わるわけではなく他の友達とは会う事も出来ただろう。

三浦翔平さんと佐藤健さんのファンが放送前にSUGARで「みんなで一緒に放送を見よう」と声かけされている事に私はがっかりした。
佐藤健さんは、ドラマの内容を一切知らず、横におられたドラマに一緒に出演されている三浦翔平さんに聞いていた。


「寄り添う」とは、どういうなのか。
放送が始まる前に、三浦翔平さんは「観るのが辛い人は無理しないでね」と言っておられた。ファンが聞けば、
「あぁ、なんて心優しい思いやりのある人達」と思ったと思う。でもね三浦春馬さんが死を選んでしまった
それすらも否定しているように感じた。

「無理しないで」は三浦春馬さんに言っても
無理してしまったと思えるから。


日から始まった三浦春馬さんが出てるドラマ。私は1話を観るのに2日にわけて5回にわけてやっと観れた。ファンの人ならもっともっと何百倍も悲しみの中にあると思います。私自身は自死を跳ね除けた人間なのにこの2ヶ月足らずの間、
彼の死を今でも忘れた事がありません。無理をするのです。私のような人達は「無理」をするのです
「みんなで一緒に見よう」という言葉にまで。だからこそ無差別に聞かれるこの言葉を影響力のある人達から発信してほしくはなかったのです。三浦春馬さんご自身は途中で投げ出す事は本当は辛かったはず。それでも、やっぱり何かが限界で。その限界も超えて。自分で死へのスイッチを押してしまったのだと思う。仕事が家族がお金がという理由は付属だと思います。自分自身の何かが許せないという事の限界は自分でしかわからないものです。
死を選んだ全ての人達を擁護しているわけではありません。個々の理由が皆違うはずだから答えも出ず正誤は出ないのです。「命」より大事なものは無いと思う人もいれば、自分の置かれている状況の全ての事柄をきちんとこなせてこそ生きる事だと思う人も。「出来ない」「無理だ」「辛い」「助けて」を言えないという人は中々周囲からの目では見えません。


死を選ぶ人は、頑張って、頑張って、努力して、必死で。それなのに更に無理をすると思うのです。
誰にも相談が出来ないのです。むしろ周囲の人達に優しく温かく、寄り添っていると思うのです。1つの言葉。出来事。仕事。どれもさらっと流せないのです。ひとりでいれば

丁寧に文字にしたり。頭の整理をするように日記を書いたり。記録に残すために文章にしたり。そこで自分なりに頭の中の整理をするという長い長い終わりの見えてこない日常の繰り返し。気づけば答えが出ないかもしれないと薄々気付いていたり、漠然と察していたり。それでも生きようとする自身の体を動かす道は想像が出来ない程、茨の道なはずです。三浦春馬さんは、きっと生前いくつものサインを周囲に出していたと思う。そのサインとは裏腹に、明るい笑顔で元気なそぶりでおられたと思います。そうやって何度も間違ったスイッチを押さない為に自分と戦い頑張っておられたように思います。


「みんなで一緒に見よう」この言葉が余りにも悲しくて切ない気持ちになった。


三浦春馬さんが、本当に作品として心ばで置いていったものを本当にみんなで見て欲しかったのだろうか。ファンは、彼が最後まで頑張った作品をみたいだろう。その反面、心が健康で見終わったあとも、眠って翌日もまたその翌日も頑張って日常を送れる人ばかりじゃないと思う。「何で、私は皆と一緒に三浦春馬さんが頑張った作品を観れないんだろう?」そこで、まず自分を責める。
辛い。苦しい。どうしよう。悲しい。みんなで見ようとか、無理してみないでと声をかけた人の立場になって考えても、本末転倒。
皆と同じように出来ない自分を責め、無理をするのです。


三浦春馬さんのことが直接的に因ではなくても、自分は今のままこんなふうに生きていて良いのか?心が健康でいる時には想像出来なかったような考え方になるのです。勿論全ての人達にそれを理解してほしいとは思わない。ただ、三浦春馬さんは元気な顔をして、頑張っておられただろうし、笑顔で周囲の人達の前では役者さんや歌手として頑張っておられたのだと思う。繊細で、演技にも作品にも本気で入り込む人が周囲を気にしなかったとは考えにくい。彼の死を無駄にしないでください。彼が選んだ道を正当化はしません。ただ、それを今言ってももう時間は戻らないのですから、せめて今、生きている人で心が弱くなっている人を悲しみに誘ってはいけないと思うのです。私は5週、時間がかかっても何回かにわけても観させて頂きます。

もう1度書きます。そう頑張るのです。無理をして。誰に頼まれたわけでも無いのにです。心が健康では無いばかりに。言葉は自他共に温かいものにもなるし、不発弾かもしれない爆弾にもなるのです。人は1つの言葉を聴いて全ての人が同じに受け取らないようにです。もしかすると生前、三浦春馬さんに「無理をしないで」と言った方々がいたかもしれません。いなかったかもしれません。
「無理はしてないよ」と答える人ではなかったですか?「大丈夫」だと答えが返ってはきませんでしたか?今、三浦春馬さんの辛いことのサインを
受け止められなかったことについてご自分を責めている人が周囲にいるとしたら、それはどうか、ご自分を責めないで下さい。昨夜は悪意なく自分達が出来る事として、「友」としてみんなで一緒に見ようと声をかけたのかもしれません。

ただうか無理をしてでも、
今はまだ彼の作品を見ようとして悲しまないでください。苦しまないでください。無理をしてしまう自分を責めないでください。いつか心が元気になって苦しむ自分を俯瞰できる日が出来、「死」を思い浮かべることなく悲しみを払拭する自信がついた時。その時はこれを作品として観てはどうだろう?今では思い浮かべない私ですら時間がかかったのだから。人によるでしょうが、どうか悲しいスイッチを持って判断を誤り押してしまう人がこれ以上増えませんようにと祈っています。と、


私はそう思うのです。