私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

陽性感染者になったあとの事

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8月中旬頃から体調が良く無い事は感じていた。それでも這ってでもお仕事へ行こうと頑張った結果。8月末にお熱が39.7となった。


8月中旬から目眩の症状があった。病院へ行ったところ熱中症だと言われ
心から反省して体中を冷やして必死で水分を飲んだ。
病院で点滴はしたのだけれど、3日分の出勤日を、欠勤させて頂いた。
その後は、自力で水分を出来るだけ取って何とか職場へ行っていた。
まさかその後、これ迄で1番私が後悔する事にがるとは考えられなかった。



何度かブログやツイッターでは書いているけれど、私は今スーパーマーケットでレジのお仕事に就いています。
職場の決まりでレジに入ったら、水筒やペットボトルで飲み物を飲む事を止されています。正直なところ、お客さんが途切れる事が無いのでお客様の目の前で待って頂いてまで
飲む事は物理的にもモラル的にも難しいというのが現状。


ただ私が熱中症と診断された事を職場の人が知り、レジの中でも水分補給をしても良い事になった。(が、しかしこのタイミングがかなり難しいのだけれどね)敢えて救いとなったのは倒れて3日欠勤した事は無駄にならなかった。
と、ポジティブにえる事にした。


そうこうしていたのも束の間。
8月最後の金曜日。
出勤して帰宅する頃には目で見てもわかる程、顔が真っ赤でお熱を測ると。はい、体温がいっ!となっていた。金曜の夜はとにかく冷やしてうなされながら寝た。



土曜日の朝、開いてる病院を探して連絡。フラフラしながらも何とか病院に到着。
やはり分が足りていなかったようだ。
確かに自分の唇が飲み物を飲んでも飲んでも乾いている事や、飲もうとしても吐きそうになっていた。
口だけでなく全身の水分が無いと少しずつ実感出来るほどになっていた。
あぁ、これはまた熱中症だ。そう思った。


院の指示としては、
私のお熱が高いので、コロナ感染疑いとして
救急診察の場所へ来るようにと。
そこで、完全防備の医師と会う。
感染症対策の医師からの問診。
あぁ、これは3月の末に受けた問診に似てる。
そんな事をぼんやり考えながら、答えた。
そこで、医師はまず診るからに
水分が足りていないので
点滴を受けて、その時に血液検査をさせてと。



滴をしてくださった看護師さんが
傷だらけの私の左腕に気づいておられたのか?
それは結局わからないままだけれど
私から差し出した「右手」の血管を見て
血管が出づらいから、ちょっとだけ痛いけど
動かせるからねって言いながら笑顔で
腕の内側ではなくて手首あたりの外側に
刺してくださった。


終始優しい笑顔。
点滴の針をさすときに、血液検査出す分だけ血液をもらいますねと。
あぁ、何て温かい心い。
さり気ないこの優しさ。
病院でこんな経験は初めてで
もの凄く、もの凄く感動した。


目の前には1人だったけれど、ドア越しに他の護師さんとの会話が聞こえてきていたのだけれどお互いを思いやる何気ない会話。あぁ、何と素晴らしい職場なの。こんな時に微笑ましい会話を久しぶりに耳に
出来た。もうそれだけで「ありがとう」です。


血液を取ったあと、点滴をしながら横になっている私に、「ご家族はいらっしゃるの?」と聞かれた。
「近くに娘が1人います。」と、そこから世間話のようにして私の近況を聞かれていた。私がスーパーで働いている事を話したらその看護師さんは、「コロナ感染が始まってからというもの、医療従事者ばかりが
大変だからと感謝の言葉を言ってもらってるけど、私個人的には食料品売り場で働いている人達に世間はみんなもっと感謝するべきだよって思ってるのよ!」と私の目を見て笑顔で仰って下さった。
あぁ、もう感激。お熱と水分不足でなのかお礼以外には咄嗟に上手く言葉が出てこない状態。


その後、師が来て血液検査の結果、3つの項目で感染しやすくなる要素のある数値の部分が全て高いですとの事。
「3月にもPCR検査を受けておられるけれど今日は心配だからどうか是非受けて下さいと言われた。「えーーーっ!」お熱の高い状態だったけれど、この言葉に血の気が引いた。


頑なに断る理由も思いつかず、受ける事にした。この時3秒程、頭の中に浮かんだ事。それは人生で国内最多人数の感染者の出た街で暮らす経験をしているだけでも凄い経験してる。史上に残るこの時代に存在してる事も。PCR検査なるものを受ける経験があるのも凄いのでは?しかも2度も。


医師から検査を受けて下さいと言われた理由の裏には私には呼吸器基礎疾患がある事が大きかったと考えられます。
私の本当の地獄はそこからだった。査を受けて、一旦自宅へ帰宅。検査を受けたのが土曜日だった事もあり、私の検査は外注に決まった。(病院内の検査技師さんが月曜まで来ないとの事もあった)早くて4日はお待ち下さい。と言われました。


とにかく自宅へ帰り翌曜は勤務が入っていたのでまずは職場へ連絡。
店長の電話に報連相。
はぁ、頭の中で”これデジャブ?”って言葉が回りながら。高熱の為なのか思考能力が普段以上に減って報告しかできなかった。


1人暮らしで高熱が出ると最悪です。更に、熱中症ではなくコロナ感染疑い有りと言われた為
勿論の事、に出る事が出来ず。
入院とかになればという事を考えると今の時点ではネットで買うとか出来ないなとなった。
水分はまとめ買いストック(防災用)があるので良しとして。アイスノンで冷やす、飲む、を繰り返して時間問わず眠って起きてを繰り返していた。熱が出てから4日めのお昼、少し熱は下がったが37.7度のお熱があり。私は平熱が35.0台という事もあってこの熱だとまだかなりフラフラ。


でも本当の地獄はここからだった。それは検査結果の事を考えたら?
だった。なぜなら、店長さんは、今年3月に私が同じように体調を悪くした時には
「お店の事よりも自分の体調を1番に考えて」と仰って下さっていたのに今回はあからさまに・・・・違った。
病院に行った翌日(日曜)に店長から電話がかかってきた。
私の「お疲れ様です、ご心配をおかけしています。」の後に興奮気味な声でピリピリとした空気が電話越しに伝わる言葉に思わず固まってしまった。そして次は「検査結果は4日後と病院で言われたと聞いたけどそれまでにどうにかしてわからないの?」「何とかして病院に聞けない?」だった。「病院内の検査ではなく外注らしいので、結果が来て医師も初めてわかると思われますが・・・・」「ただ私から確認の連絡を入れる事はやってみます」とお答えした。


長が言うに「陽性だったら、あなたが歩いた場所、使ったエレベーター(業務用)全ての通路、レジ、ロッカーなどを消毒作業しないとダメなんだよね!」と。お店が閉店してからなのか、店舗毎閉めるのか。これが大きな問題なのだという内容だった。念を押すようにこの違いが大ごとなのだと言われました。中身としては理解出来る。立場も違えばって事。ごもっともな事しか仰っていない。
その時は検査を受けた翌日でまだ高熱があって、私は店長やそれ以外の社員との電話の内容についても深く考えずに会話していた。結果論だけど、それが良くなかった。


査を受けた当日に話した社員から2週間前に遡り、どこを通ったか、何を使ったか、等の聞き取りがあったのだ。レジは毎日、数時間毎に入るレジが違う。それに関しては社員が毎日作成する表が過去2週間前のものが残っているそうでそれは私が記録したノートが無くても大丈夫との事。スタッフの中で10分、15分以上同じ部屋(場所含め)で1,5Mか1M内の距離で話をした人はいるか?などの詳細の聞き取りもされた。


その中で申し訳ない事に1人(社員)だけいた。私は何も考えずに正直にその方の名前を伝えてしまった。その方(社員)から検査を受けた翌日に連絡があった。「私は15分以上は話していない、プラス1Mの距離では無いよ」と言われたので、答で、私は「はい、申し訳ございませんでした」とお返事をした後「名前を言われると私が出勤停止になるので。」と。お熱があっても、その内容の意味がやっとそこで飲み込めた。


その後、とにかく起き上がれず横になっている事しか出来ず。思えばこの頃からコホコホ咳が出だしていた。災のために買っていた飲物をよいしょよいしょとベッドサイドに持って来て少しずつ飲む他無かった。この時何だか理由もわからず涙が出たよね。独りという意味はこういう事だよね。必死で意識を強く持って頑張っていても、体調を壊している時にちょっとでも冷たい言葉や態度の空気を感じてしまうと途端に私は崩れ落ちる。こういうところがダメだね。



検査結果がもし性だったら?に始まり退職しなくちゃいけない空気が職場に流れる?その恐怖心は上手く言えない。無職になるかも?とかね。陽性だった場合は、入院かホテルへ等、医師が話していた言葉が
頭の中でウロチョロ走った。隔離入院の準備などとてもじゃないけれど頭も体も回らなかった。ホテルだった場合は結果の出た日に空きがある場所へとの事でどこへ行かされるかもわからず。


こういう時に、ポジティブ思考が一切生まれないのは私のまだまだダメな部分。くんの写真を見て涙。遺骨の前で涙。彼の大好きだったブランケットを抱えながら毎日眠っていた。私にとって長い長い4日間となった。そして4日目の朝。病院の医師からは電話無し。お昼になっても電話がならない。とうとう、夕方。16:00を過ぎてやっと連絡が鳴った。
その時私はスマホを持つ手が震えていた事を書き留めておく。とする。ここに至るまでの時間はまるで死刑宣告を待っているようなそんな心境だった。ただただ孤独で不安で不安という心境。もし入院となっていたらと想像すると血の気が引く。


師から「陰性でした」と聞けた時にスマホを落としてしまう程、手が震えていました。自分でも笑っちゃう程。陰性でしたが加えて検査は100%ではありません、とも。今後お熱が下がったからと言っても安心せずに体調や自分の状態に注視して下さい。と。この電話の間に私がチワワになっていた気がする。きっと神様と犬くんが守ってくれたのだと感じました。


これを読んで下さった方々だけでも伝えたい事があります。
決して私は今回の事を大袈裟に書いていません。私の周りにもコロナに感染したら感染した時だと考えている方は想像以上に多いものです。家、外関わらずお仕事をされている方。学校に通われている方。通院中の方も含め2週間前に遡り、家族との接触。自分が歩いた場所。会話をした第三者。一緒に出かけた人。行ったスーパー。乗った交通機関。一人暮らしの私でさえ多くの人と関わっています。


その人達に自分が惑をかけてしまうのだ。という覚悟が足りなかったと私は今回強く強く感じました。自分さえ我慢すればなどという考えは成立しません。同居のご家族にもお友達がいたり知人がいたりするからです。全ての関わりも追われます。隠す人も多いと聞いていますがそれは自己中心的な人のする無責任な行動だと私は思っています。学生ならもっと範囲が狭まって感染した時は辛い思いをする可能性も否めません。


もはや今は都内に関わらず全国のどこであってもいつ誰が染してもおかしくはありません。そして仮に感染したとしてもそれには悪意があった訳では無いはずです。それでも感染したら、不本意ながらそれまでの自分の日常に戻れるとは限りません。働いていない、学生ではない、だとしても知人がいたり、ご近所の方と付き合いがある人もいらっしゃると思います。幼い子供さんがいる方なども、自分が高熱がある状態と陽性になった場合はどうするか?などを改めて考えて是非第三者が見てもわかるように書き出しておくのも良いと思います。私のように身内が居ない方は特に。


そして私を含め、何らかの事情で身元をしていなけばいけない状況の方々。
不本意ながら感染して陽性だった場合、こういう風に色々な事が動き出し答えたくない事も答えなくてはいけなくなります。
感染してから考えるより健康でいる間に色々な事を想定して書いて置いたほうが良いかもしれません。


私は高が出た時に聞かれて、困ったのは自分が飲んでいるお薬の名前が全く出てこなくて、困りました。勿論、しっかりされている方々はもう既に今の時点で準備されているかもしれません。
(お薬手帳等を持ち歩く等)
もしも、私のようにパニックになるのでは?とご不安がある方は是非私の経験が参考になれば幸いです。


さて話が少し戻りますが師から連絡をもらった後、すぐに職場へ連絡を入れました。私の働いている店舗から陽性者が出ていたのですが、私は今回の事があるまでその事を一切知らされていませんでした。今回私が病院で「職場や身近な人で陽性だった人はいませんか?」と聞かれた時に返答に困った事を職場の人に言ったために知ったという事実です。


私の場のスタッフだけでも派遣さんを含めると何百人といます。
正直、全ての方のお名前やお顔を覚えていません。陽性感染者が出ても事実は知らされていませんでした。今回の事に限らず以前から店内の事情については一切の口外が絶対NGです。陽性感染者についてだけ言えばなぜ知らないかと言えば私が正社員では無いからです。これまでから職場へ入る通用口の近くには月に1度程度は〜について取材をさせてもらえないか?等という人が立っていたりする事があります。


科書で習った程度しか私にはわかりませんが、歴史を振り返ると日本では感染症で長い間隔離される人生になった人達がいたという事実があります。その身内が社会から心ない言葉や態度をとられたり社会から阻害された人達が現実に存在したという事についても私は当事者では無いですが今を含めて今回の私の気持ちに近かったのでは無いかと考えさせられました。私の場合絶望する事は初めてではありませんが身内がいても居なくても自責の念が生まれたと思います。周囲に恵まれている人でも欠勤する事に大小はあっても自責を感じるかもしれません。


は、身内が感染症になった場合その親族だというだけで結婚が破断になったり就職が出来なかった人が実在したと聞いた事があります。親族全員で転居に追われる等という事実があった事も。戦争が実感出来ないのと同じくらい感染症の事も深く考えさせられています。日本独特の悪習慣?人種差別も含めて。残念ながらグループに分けたがる。人は愚かな部分があると個人的に考えてしまいます。個々の優れた部分をもっともっと生かせば素晴らしい国なのに。と。


然とでしたが911テロの時に「戦争の始まる前の恐怖の心境」を海外で経験しました。「人種差別」も経験しました。そして今回の「感染症差別」経験です。私が今回結果は陰性でしたがPCR検査を受けた事を全スタッフにも対外的にも一切事実を自分から告知しない様にとの事。一部の社員だけの認知とするとの事でしたが本心を言えば、私が次回出勤した時にその答えはすぐ出ます。


屈抜きに不安でいっぱいですが、無職になって無収入になる事を避けられるなら私は全力で戦います。無職、無収入、転職の怖さを思い知っているからです。私の事を生かそうと救って頂いた恩に始まり健康が何よりも大事である事を決して忘れないと誓った事も。コロナ感染問題で、多くの事業者が困っている中、就業先や就職先もなくなったとかハローワークは人だらけだと聞いています。今、求人があるのは、余程のキャリアがある人以外は感染リスクの高い会社が多いというのも現状だそうです。=そこで働いている人達も私のように毎日不安の中でお仕事をされているわけです。



職、無収入にならない為ならイジメがあったとしても「いーよ?かかってこい!」と思えるかどうか?今はまだ体調が万全では無いせいか気持ちは半分半分です。
ただ。私は簡単には負けません。貧困だろうとイジメにあおうがです。それは「衣食住」のありがたみを実感しているから。
私の場合「天国にいる犬くん」と「家」さえあれば、心身の健康の持続可能と信じています。それ以外のことは大抵くだらない事です。自分を俯瞰できる能力が生き残る原点だと信じています。居場所を守る為にはお金が必要。こうやって体を壊した時の貯金も大事だと学びました。ここまで来るのに私の場合ですがあまりにも時間がかかり過ぎました。恥ずかしいです。残されている私の人生を大事に過ごしたいと考えています。辛い事の中にあっても私なりの愉しみを模索しながら自分を大切にする事が私の1番の生きる源になるはずです。それを持続出来るようになりたいから。そう考えつつお陰様で何とかこうにかで今日があります。笑われるかもしれませんが姿が目には見えなくても犬くんは私の心で毎日一緒なのです。


そして、幸せなことに「家」があります。狭いとか古いとかそういう事は全く問題ではありません。自分を守ってくれる鍵のある玄関。雨風を凌る屋根や壁がある。窓もあります。
トイレもお風呂もあります。キッチンまであります。これらは、当たり前の事では無いと思っています。私は毎日家の全てを大事に使っています。一生ここで暮らす事は出来ないとしても。です。



かにつけ他人を差別したり苛める人の心理は私には全く理解不能ですが意外にもこちらから笑顔を投げ続けると会話のキャッチボールに繋がるものです。だから今は不安でいっぱいだけれど次の決まっている出勤日までに1日も早く健康に戻して、目の前の事を一生懸命頑張る事と、意地悪な人には何か私にはわからない辛い事があるのだろう、そう考えて私は笑顔で有りたい。上手くいけばそういう人達も笑顔になってもらいたい。



私はすぎる経験をするとどうやらその時間を忘れてしまう脳の持ち主らしいので
この次に何か辛い事が起きたらその時にはここを見て思い出して、振り出しに戻ってでも前へ進もうと思う。
そう考えて今日はこれを書きました。

最後まで読んで頂いた方々には心から感謝です。
そして皆様が温かい心と共に健康で過ごせる事を祈っています。