私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

離婚を考える(た)人へ

本当はいったい全体どんな人なのだろう?と
いう多き人のほうが
魅力はあるかもしれない。
大昔はアイドルはトイレへ行かないとかいう
都市伝説の時代もあったのだから。
・・・・・・えっとここまでは今思った事。
今日は私が
モジモジしている事について
書き起こしてみます。


「離婚」
これは、綺麗な話題では無い。
何の魅力も無い話かもしれません。
「人の不幸は蜜の味」(あってる?)
こんな人がもし身近にいたら本当にいると悲しくなる。
離婚をする二人にしかわからない事が
山盛りあるはずなのに2人の離婚原因は
「○△□なんだって」と完結にまとめられて伝わっていく。
他人の中でも芸能人がSNSなどで離婚しましたと
あっさり伝えて終わるというものが
定着していてそもそもこの芸能人は誰?と
私のように芸能界に疎い人間は思ってしまう。



そして一般人もまたSNSで離婚した事について書いて
おられる人を見かける。
きっとしかっただろうな、
大変だっただろうな、
これからもきっと様々な事が待ち受けているに違いない。
どうか頑張ってほしいな、
そんな気持ちで読ませて頂いてる。
書いている側の人達は、
戦利品のように離婚届を出した事が
書かれていて大半の人は
他人事だから関係が無いけれど
気遣う言葉が書かれていたりする。
他人の家庭の中の事にちょっぴり興味のある人や
全く興味が無かった人でも見たり聞いて知る事になる。
私も含めてだが敢えて知ってもらう必要の無い事まで
書いていると読んだ側は「・・・」となるだろう。



だ「離婚」について聴いたり見たりしていて
どちらを応援する?支える?
その気持ちになる?
「良かった!」とも、「おめでとう!」とも
「頑張って!」とも私には言えない。
私は自分自身が離婚を考えた時から
「どちらとも関わりたくない」という
見えない空気を醸し出している人を沢山みて感じてきた。
別れる、別れたく無いの感情の2人。
離婚にはお金も関わってくる。
子供がいる2人には子供の目先の事や
将来を親の事情に巻き込む事になる。
誰よりも子供が悲しんでいたり
関わる家族達も苦しんでいるはず。
だから私のようにDV離婚であってもおめでたくは無いのです。


人的に思ってきた事は、
片方の話だけを聴いても
双方の話を聴いても、
どちらかが大袈裟に言っていたり
大嘘を言っていたりする事もある。
2人が事実を話していても他人が聞くと
話が噛み合わない、一致しない。
これは「離婚」を相談している2人なら当然なのかもしれない。
冷静に相談も会話も出来ない人だっている。
食い違う話をどうにかして噛み合わせようと
する場が「家庭裁判所」


自分の事で行く「裁判」がしい人は
いないと思う。
他人に自分の事を何もかも知られる
あの場にはもう行きたくないな。
私はそう思ってきた。
何度か「家裁」で調停をしても
無理だなと判断された場合は
次のステップを考えなくてはいけなくなる。
「地方裁判所」
「家裁」より事務的に感じると思います。
たかが?「離婚裁判」されど「裁判」なのです。


TVに出てくるような判が本当に行われます。
高い位置(椅子)には裁判官がいて。
無表情に周りにも人が数人いて。
訴えた側は
原告として自分が中央に立って話さなくてはいけない。
双方の弁護人が両端にいて。
訴えられた相手は「被告」と呼ばれる。
私の場合は、元夫が被告だった。


夫だった人が「被告」となった。
詳細が書かれている文書を読んだ時は
元夫が「被告」と呼ばれている事に
愛情はゼロになっていたというのに
何とも言えない複雑な気持ちに葛藤した。
理由など当時は考える余裕が無かったけれど
今考えてもあの感覚を上手く言葉には言い現せない。
弁護士とのやり取りでは「相手方」という呼称もある。
「相手方」と呼ぶようになった時
私はそこに距離が(やっと)出来たように感じた。


私の場合、
心、裁判中に殺されそうになったらどうしようか?
どこの出口から逃げるか?
そんな出入り口の確認を入廷した時から考えていた。
静寂というより不気味な静けさ。
今は思い出してもやっと平気になったあの感覚。
色々な「覚悟」をして裁判所へ行ったあの日を
思い出す時が時々ある。
相手方を一切見ないように視界に入らないように
していた事だけは忘れない。
裁判の全てが鮮明ではなくて所々モワッと残ってる。


の時代でのDV裁判では
パーテーションがあったりしてお互いが
見えないように配慮される事もある。
こういう時代が来てくれた事が
私は心から本当に本当に嬉しい。
私の裁判をした当時はDV法が無かったから
いざとなったら守ってくれる警備も警察官もいなければ、
女性が私と私の弁護をしてくださっていた弁護士さん。
以上2名!
それほど当時の日本社会では
DVやストーカーの認識が薄過ぎたという事です。
自身の危険も覚悟はしていてけれど
弁護士さんに危害が及ばない事だけを願った。


方裁判所では、
自分の声で語らなくてはいけない。
宣誓をしたり自分の住所や名前を言って。
私は声が小さくて「もう少し大きな声でお願いします」
注意された。
その辺りの詳細や順序は正直記憶が所々飛んでる。
大抵、このような離婚裁判も1度では終わらない。
ケースによっては弁護人だけでという回もある。
自分の陳述だけは、自分が行かなくてはいけない。
私は中央に立って。
相手方の弁護人から意地悪な質問を沢山される。


の場で自分の言葉で
返答しなくてはいけなくなる。
あまりに酷い時は、私の弁護士さんが
助け舟を出してくれた。
セカンドレイプ、セカンドDV 、セカンド性差別の
ループが続く。正直言えばセカンドどころでは無かった。
今はこういう事についても昔よりは配慮されているはず。
悔しくて家へ戻ってから泣き崩れた事も
何度も何度もあった。
全てにおいて「覚悟」が大前提だったけれど
必死で子供と自分を守りたかった。


ろの傍聴席には
元親戚だった人達がズラッと座っている気配を感じた。
私は、一切彼らの方へ目を合わせなかった。
睨まれてる視線だけを強く感じた事を覚えてる。
私は「緊張」のあまり吐きそうになった。
言うまでも無いけれど私の親族は一人も来ていなかった。
子供もいる大人の離婚裁判を傍聴しにくる
どこまでも過干渉、過保護な相手方の親族一同を
最後の最後まで気の毒で可哀想な人達だと思った。



自身の「離婚」はね。
当時は「泣いたら負け」だと思って戦った。
一生の最期がくるその日までお互いに添い遂げ、
愛を誓った相手。
その人と「戦う」日が来るだなんて。
誰が想像しただろう?
好きな人を「被告」と呼ぶ日が来るなら
結婚などしなかっただろう。
「離婚」をする人は皆がそう思っているのだろうなぁ。
私は5年後に「離婚」が決定した。
地方裁判所の出した判決内容を
相手方が不服として結果的にはそれから半年余で
「高等裁判所」で裁判離婚の判決が出た。
かけらも「おめでとう」とか「良かった」とは感じなかった。
ホッともしなかった。


ただただれた。
心身共に休みたい。
子供に申し訳ない気持ち。
心配をかけ子供を振り回してしまった事を
親として心から申し訳なく思った。
これから私一人で絶対に子供を幸せにしなくちゃと
意気込んでいた。
よく「離婚は結婚よりエネルギーを使う」と言う人が多い。
確かに離婚をしたその瞬間からしばらくは
走り出したエネルギーがアドレナリン全開状態で
持続したままの人が多いように思う。
「興奮状態」が続いているという感じかな。


逆にただ落ち込んで無気力になってしまう人もいる。
一言では「結婚」も「離婚」も語れないという事だと思う。
本当は離婚したくなかったという人もいるから。
離婚カウンセラーがいたり。
結婚カウンセラーがいたり。
人の不幸も幸福も対価とは言え、
「お金」に化ける事が複雑な気持ちになる。
日本では、何を基準にカウンセリングするんだろう?
誰の定規で測るのかな。


婚は元は全くの他人が
一緒の家の中で暮らす事から始まり
恋愛中にはわからなかった相手が見えてくる。
お金が関わったり、子供がいる人は
子育ての事で意見が分かれたり。
親戚のことで2人の考え方が違ったり。
お互いの日常の些細な習慣や感覚の違いが
噴火するようにお互いに溢れ出てくる。
解決したり折り合いをつけて仲良く
前向きに暮らしている家庭もある。


じTVを見ても同じ気持ちかどうか?
同じものを食べていて
美味しい、好きじゃない、とか。
これらはちっとも不思議じゃない。
むしろこれが自然で他人と家族になる醍醐味だと今なら思う。
相手を思いやるという気持ちが
少しずつ「慣れ」から薄れてしまうという感覚が
無意識の日々の中で出てくるのかな。
ワガママでは無いけれど、甘えのような?


私が離婚のを進んだ理由は
「子供を守る」「逃げる」「身を守る」だったから
他のチョイスが頭に浮かばなかった。
今は有難い事にDVという言葉だけで
説明をしなくても通じる時代。
私が離婚の裁判をしていた頃は「DVって何?」
そんなDV法もストーカー禁止法もない時代があった事を
誰かが忘れないでいてもらえると救われます。


私の護士さんは私の身に起きていた事以外に
まず「DVとは」を知ってもらう為に
力の実態を
裁判で知ってもらう為に、色々な国のDV資料を
莫大に集めるという終わりの見えない作業を
一生懸命にしてくださいました。
私と同級生の女性弁護士さん。
いつも険しい顔で常に忙しくて
笑顔の無い弁護士さん。
絶対に隙を見せないたくましさを
常に感じる人だった。
だから裁判の全てが終了して
私を送り出して下さった時の
笑顔だけは今でも忘れていない。


彼女にはい子供が3人いらっしゃった。
私と打ち合わせの時に子供さんが具合が悪くなったという
連絡が入った事もあった。
子供さんから直接電話が入ったりして
私との話が中断した事もあった。
ある時、
彼女が子供さんと電話で話をしている時の顔が
一瞬だけ「母親」の顔になった時に
この人に依頼出来て本当に良かったと直感的に感じた。


私自身もきながら夜は莫大な量の陳述書を手書きで書いた。
まだパソコンも持っていなかったから
手書きは仕方が無かった。
私が逃げ出すまで何年も隠れて書いていた日記
一部は元夫に見つかって
目も前で笑いながら破られ捨てられたものも
沢山あった。
唯一残っていて持ち出せた数冊は
紙がセピア色になっていた事で
後に「証拠」として陳述書と提出する事が出来た。
まるで「アンネの日記」
私などと比較してはいけない日記だけれど
私自身、常に「死」を意識していたから。
私を殺して自分も死ぬという元夫の言葉が
どんどん現実味をおびてきていた頃は
人間らしい日常じゃなかった。
人が「死」を意識しだした時に
自分が存在して生きていた証を
残したいと感じるのものなのかな。


判中も、離婚後も
日本を脱出していた時も、
私は子供の存在に沢山救われた。
存在してくれていた事で強くなれた。
娘は私にとって天使のような存在だった。
彼女をこれ以上傷つけたくない。
彼女のパパである人を何があっても
悪く言ってはいけないと
毎日そう思って過ごした。


    「離婚」
に関わらない離婚でも、
人が人らしく、自分らしく生きて過ごせないと
感じたら、そこから抜け出す事を私は勧めたい。
誰の為にもならないから。
そして離婚後は、元妻や元夫を思い出す事なく
前へ前へ自分の人生を進んで行ってほしい。
何十年もの時が過ぎて、やっと恨みつらみもなく
良い時も最悪な時も含めて
離婚という経験が今の私のとなって
原動力となって、ネジ巻き式時計が
動き出したというところ。
もの凄く時間がかかったように思うけれど
今は過去を思い出すよりも
忘れている時間が長くなった。
「今」が大切だから。


きていれば
1歩進んで3歩下がる事もある。
停滞して。空回りも時にはあって。
そんな繰り返しでも
今の私にとって
その時間は決して無駄にはならない。
これからもこれは同じ。
どれも私にとって必要な事だと信じてる。


「過去に生きる」とは。
去を思い出す事じゃない。
「過去に生きる」とは、
自分がいつまでも、過去の空間(縛り)から抜け出せずいる事。
人には皆「過去」という「歴史」があるから格好良いと思う。
嬉しい事も、悲しい事も、ついてなかった事も、自慢出来る事も
どの瞬間も過去を忘れようとする必要は無いと思う。
過去があったから、「今」の自分が存在している事を
褒めてあげたいと思う。


それが、
去に生きないと決めた
今の自分に送れる最高の
プレゼントだと思う。
それを1つずつ、1つずつ積み上げてくと
間違いなく前進して顔を上にあげて生きれる。
自身が沈下する事はもう無いはず。
周囲を見渡せる程の余裕という力(エネルギー)を
少しずつでも得ていると信じる事。
私は信じる。
自分自身の頭から足の先までに
「ありがとね」と純粋に思う日々が大好き。


今日も最後まで私のモジモジしていた話を読んで頂いて
本当に有難うございます。