私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

「映え」と「バズる」の風

ンスタをしている人達は、「映え」という言葉。
美味しそうな食事や景色や
可愛い動物達を沢山撮っていて。
はてなブログを書いている人達は?
「バズる」という言葉?
「風向き」「言葉」に踊らされていない?
どちらも私はその言葉の温度感についていけていない。


私はにも言葉にも振り回されたくない。
ブログを書いて生計をたてる?
インフルエンサーを目指してる?
You Tuberを目指してる?
これらで生計を立てている人がいるのだから
そこを目標にしている人がいても
変では無い。


にはそんな才能は無い。
文才も無い。
何が映えていて
何をしたら沢山の人が観てくれるのか?
そのリサーチ能力が私には無い。
何しろ説明書が理解出来ないのだから。
理解出来る事があっても人の何倍も
時間を要する。
コレ生きるうえで本当に不便な事が多い。
それでも、ただただ好きな文章を書いていたい。
もし外へ行って仕事が無かったら
寝る時間以外は
ずっと文章を書いていたい。
それは多分、自分宛の手紙のように。


自分のいを
つたない文章でも、心の中を書き起こしておきたい。
日常の出来事を自分の知ってる使いたい言葉だけで、
他人にはわかりにくい文章だったとしても、
間違いなく私が存在していた事を
ここで残しておきたいというのが本音かな。
だから書く度に最後まで読んで頂いている人達には
申し訳ない気持ちになります。
なぜなのかな。



かにアフリエイトやアドセンスで収入があると嬉しい。
(私は、まだそれを手にした事は無いけどね。)
子供の頃、椅子取りゲームが苦手だった。
ううん。
何をやってもそう。

競争がダメ。
何かや誰かと競う事、
順位を気にする事が苦手だった。



稚園の時に椅子取りゲームが苦手だった事を
人に話したら、
「そのまんま大人になったんだね〜。」
言われた事が何度かある。
椅子に座れなくて、
ぼ〜っと立っているとつい?ニコニコしてしまう。
それは嬉しいわけじゃなくて、
椅子が取れなかった自分を
面白くなって笑い顔に
なってしまったのだと思う。


争では無いけれど
多くの人がPVや収益、順位をお知らせしてくれている
ブログを見かける。
実は、あれを見て私には理解出来ていない事を白状します。
はてなブログの
ブックマークの仕組みも使い方も
何度読んでも何度読んでも、理解が出来ない。
「ま、いっか」となってから既に2年目。
それでも私は今日現在、95人もの人達が
読者登録をして下さっていて
私の書いた文章を読んでいいよ。頑張って!と
思って下さっていると感じています。
事情や使い方が理解出来ていなくても
幸せ者だと感じているのだから
これで良いのかな?


私が章を書くのは気がむいた時だけで。
体調の良い時だけで。
頭の中がいっぱいで
引き出しが溢れてしまった時。
忘れそうだから、その日に感じた事を
書きおこしておこうという焦燥感に近い感覚で
文章にしているように思います。


「誰かの為になる文章かなどは気にする事はないよ」と
かい言葉を頂いて、
物凄く安心出来た。
こうやって私の為に「貴重な時間」を
頂いているのだなと心から
感謝したい気持ちが生まれる。



はブログとは別に自分の頭の中に浮かぶ物語を
自分のメモ帳に書き起こし溜めています。
パソコンが壊れてからは、スマホだけなので
毎日は書けなくなっていますが、
気が向いたら書き起こしています。
それは、小説のようなものとは違うかもしれません。
ただの空想?です。
自己満足の物語。
決して誰かに見てもらいたいものではなくて、
ただの「メモ」


簡単に言えばにも見せる必要の無い「独り言」
なんたって空想は、正直面白い。
眠っている時に夢を見たら、
覚えてる間に起きてその夢をメモる。
最近は、特によく夢をみる。
自分の笑い声で目が覚める事も多い。
寝言で目が覚める事も。
だ、だ、大丈夫か?私。
怖い夢じゃなくて楽しいから良しとしましょ。


則正しく心身共に生活をする事で、
健康に少しずつ近づいている事を
身体がどんどん満足してる感覚があります。
TVのニュースで、台風のあと被災してる方が家は流され、
家族の家は浸水していたり、
ご高齢で自分は健康ではなくて
体が自由に動かないともおっしゃっていた。
もう心が前向きになれないと話されていた。

私は今。
いがある屋根の
ある安全な家で、
衣食住の不自由なくどんどん
健康に向かっている感覚があって
とてもとても申し訳ない気持ちになりながら
今ある全てに感謝してTVを見てる。
今の私に出来る事をしよう。
そして祈ります。
どうか全員が生きて頑張ってほしい。
全てが真っ暗な気持ちになって
心が折れる気持ちは、痛い程に理解出来る。


私は、何年も前にはてなブログでは無い
ブログで文章を書き出した。
最初の頃は、ただの日記だった。
を吐き出す場所だった。
不満、泣き言、ネガティブ100%の日々をひたすら
文字にしていた。
はてなブログに移動をした事で、
私は全く新しい所へ
引っ越したようなそんな錯覚?があった。


実際の暮らしは、
仕事をいたった一人の家族の娘に
縁を切られ、ホームレスにはなり昼間は図書館や無料wifiのある場所を探して歩き。
夜は外の公園のベンチで寝る。
運よくたまにカプセルホテルで過ごせた日は
全ての荷物を預かってもらい日雇いバイトへ行った日もあった。
パソコンだけが私のそばにいつも居てくれた。
(今はそれが無くてスマホだけで泣きそうだから

iPad Airを買おうと今頑張って貯金を始めてる。
まだペンも買えないレベルの貯金額だけどめげません。)

だから文章を書くという事だけは
私の日常で欠かせないものだと思う。


書かなくちゃいけないとか、そういう気持ちがこれまで
一切無かった。
お金の為に文章を書いてブログで生活が出来るようになろう!
と、数日程?本気で思っていた事があったけれど
ぬるまの中にいる私を
恥ずかしいと思った。
どうしても私は「〜でなくてはいけない。」
壁にぶつかる。
「〜しなくてはいけない」があると
全てがフリーズしたようにちっとも前へ進まなくなる。
幸い「〜してみてほしいな、してみてください」
言って下さった存在が私を救ってくれました。


かに読んでもらいたいとか
そういう気持ちが最初はなかった。
単純に、頭の中の引き出しのデータを預かってもらえる場所。
そんな感覚に近かったように思う。
数年が過ぎて何が変わったか?
今は、私が書く文章を最後まで読んで下さる方々の存在が
ただただ有難いと感じる。うん。ホントに。


これは料ブログなのだから何か書き続けないと!
と、頑張ろうとしていた時期がシレッと過ぎ去ってしまった。

私は自分の書いたものを読み返すという作業をしない。
それであとになって
気づいた事が沢山あった事は確かです。
あんな事書いたな・・・とか思い出す度。


白くて、もっともっと
「続き」が読みたいと思える人の
ブログは特徴がある。
文章の所々や最後に目には見えない
「つづく・・・・」がある人の文章。
これは絶対的に魅力がある。


人は、「次」「先」が気になるらしい。
え、私だけなのかな。
次を知りたい。
そう思えるような人の書く文章を
私も書ける日が来たらもっともっと
自分をしんだり日常が面白いと感じるはず。


夢とか目標はう叶わないは別にして
持ち続ける事が
自分の足を前へ一歩出してくれて
背中も押してくれる。
そういう「風」なら巻き込まれていたいな。
って、生意気ながら思ってる。

今日も最後まで読んで頂いて有難うございます。
私は幸せです。