私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

人たらし

「人たらし」という言葉が目に飛び込んできた。
そこには良い意味も悪い意味もあると書いてあったけど
どう考えても、どう読んでもしい気持ちになったから
最後まで読む気がなくなって閉じた。
これには理由がある。


人に利用されたり、騙されたりした経験者だからだと思う。
心のどこか深い場所にしまい込んであったダークな気持ちが
この言葉を見た途端、ふと蘇ったのだと思う。

「人たらし」と聞いて、
持つ意味も印象も人によって違うらしい。
私には良いイメージが無いけど。
ただ今日はこの言葉について
みつらみを書き残したいわけじゃない。



もう私は人を恨んだり憎しみ続ける事が
今はなくなったから。
それは、自分がもっともっと深くつくという事に
気づいたからだと思う。
傷つく事が怖いという気持ちに立ち向かう事が
大事だと考えた時期もあったけれど
自ら傷を開き大きくして傷つく必要は無いと今は考えてる。



人は、ある程度の年齢になると、
もう変わらないものだって思ってた。
でもってた。
今はね、無理をして誰かの為にとか
何かの為にじゃなくて、
自分の為に笑顔になれる時間をもっともっと増やしたい。
笑顔ってこんなに自然に出てくるものだったんだね。
自然に笑顔が出た瞬間こそが、
私を穏やかで優しい気持ちにさせてくれる。



な現実や情報を避けてばかりで、
現実逃避をしている弱いダメな人間だと
自分を責めた時期もあるけど
自身を受け止められない程に悲しくなる事なら、
逃避も悪くないなって思うようになった。
優しい気持ちになれて穏やかな気持ちになれて
自然に笑顔になっている自分の時間を大事にしたら良いよ。


自分で自分にそう言ってあげる事が増えた。


分に必要な笑顔や笑いだけで1日を過ごすと
作り笑顔じゃなくなってきて、気づいたらごくごく自然に
口角が上がって、笑顔になってる。
ふと気づくと、
最近はにんまり笑顔に自然になってる自分が
大好きになってくる。


たとえ、他人から見てそれが気味悪くても
そんな事は、ちっとも気にしない。
にっこりだろうと、にんまりだろうと、
その時の私の感情がそうなのだからそれ以上に
然な事は生まれないなって思ってる。



笑顔は探さなくても身の周りに沢山あるという事に
ようやく気づいた。
高いお金を出して講演会へ行かなくてもごく身近に。
以前の私は人付き合いを中々断れないところがあった。
自分をしめていた事すら気づいていなかった。
いつの間にか、自分の作り笑顔にすら気づかない人生だった。
場に合わせて
沢山の顔を作る事が「普通」なのだと疑いもせずにいたから。



多くの人との付き合いを全てった私は
孤独に感じた事もあったけど、
重い荷物を下ろせたように気楽な事もある。
独りで不安になり寂しいと感じる事も多いけど
少しずつでも大切な人に
早く安心してもらえるようになろう。



そして、何一つ持っていない私を知られた事が
丸裸の私を知ってもらえるに繋がった事は奇的。
沢山の事を教わる事が出来た。
頑張って顔を沢山持って無理をする必要がないと
生きるヒントを教えてくれた人に一生涯感謝の気持ち。
手探りでもこれは大切なのだと実感してる事。


にこの1年は感謝とはどうするのかも知らなかった自分に気づいた。
そして何より私が幸運だと感じた事は
「安心」するという気持ちを知れたこと。
これを知らずに生きていたら、
私は誰にも「安心」を繋げられない。
その事に気づけた事がありがたくてたまらない。
時間がかかっても良いよ私。
悪い意味での緊張感から解き放たれるのも
あとちょっとだと思うよ?
そんな気持ち。
毎日が気づきの連続で細やかでも安心を知る。



何もい丸裸で素性もよくわからない「私」の
近くに駆け寄って助けようとしてくれた人の
幸せを一生想い続けたいと本気で思ってる。
応援してると言ってくれる人全ての幸せを。
これは決して義理とか義務感じゃないよ。

私がそうしたいからそう願ってるから。


笑顔の大切さや生きがいを教えてくれた人はね
のどこかで思い描いていた「親」みたいな存在。
だからと言って、私の人生を見届けないといけない
とかそういう事ではない。
存在自体が嬉しいのだから。
いつか、私が誰かの「親」のような存在になれる日が
くると信じて貰えると嬉しいな。


本当の愛情をこの歳になって授けてもらった事が日に日に
しくてたまらない。
この嬉しい気持ちを誰かにも味わってもらいたいって
心から思う。
この夢も叶うといいな。


界を歩き回れば「親切な人」は沢山いる。
でも一生のうちで「親身な人」とは
そうそう出会えない。
そう思っているのは私だけなのかな。
自分を大事に出来ている人は、他人にも親身になれる。
つまり、私もそうなりたいと願っている。



書きなど一切関係なく、
人が丸裸になった時、
他人は自分の何を見てくれるのか?

身を持って感じる事のできる人生になった事が
私の場合、幸運だったと感じてる。
つい最近も就職活動をしていた時、
不採用通知ばかりが送られてきて
(これは今後だってある可能性はあるけど)
あくせく履歴書と職務経歴書を作りながら思いました。


出身大学を知って何かあの私の4年間がわかって貰えるのかな?
職歴の欄の中に「ホームレス」と書いたらどうなるのかな?
時にはそんな意地悪めいた事を思い、
ひねくれたりしながら書いていました。
どうしてこんなに不運にぶつかってばかりなのだろう?と。
ただ私はある日、究極な事を思いました。
この人(会社)に嫌われても私は違う人に出会える。
違う人(会社)が何度も私を嫌いだと思っても、
く無いよって。


なぜなら、私には丸裸になっても応援してくれる人が
この世で間違いなく1人は出会えたんだよ。って。
気づいたら折れた心がくなっていました。
今もきっとこれからも、この気持ちが支えになります。


就職活動をしていた時に、
採用になった会社がありました。
面接の段階で、すぐにでも来てほしいという言葉のサインが
いくつも出たにも関わらず、その会社の面接担当者は
私を試しているように感じました。
「1週間後に返事をします」と言われました。
1日考えて結果的にその会社は、私から辞退をしました。


自分に打ちをつける人(会社)は、
社員(人)を大事にしないと私は感じていたからです。
実際、私から辞退の連絡を入れた時、
「弊社に何か希望があるなら、考慮しますから考え直して頂けませんか?」と言われた。
それなら、翌日にでも3日後にでも連絡をするべきだと
心の中で思った。


事や総務で人を沢山みていて、更に面談をしている人は
人を見るプロだと自負している方が多いと感じるけれど
面談を受ける側も沢山の人を見てるのだ。
学生で、何十社も受け就活で心が折れそうな人は沢山いると思う。
でも、自分が会社(人)を見る目や気持ちを持ってどうか自身の人生を大切にしてほしいと思う。


学生で起業する人も珍しくなくなった。
社会経験を数年積んでから起業する人も多い。
世渡り上手で生きる知恵のある人を大勢見た。
ただ私は、そういう人達との距離を置く事を
自分から選んだ環境やきっかけを見つける事が出来てラッキーだったと思う。
離を置いてみると面白みの無い部分が多く見れた。


良くも悪くも自主性が強い人は、客観性に欠けている人が多い。
以前の私のように。
自主的を目指していたはずが、気づけば、
自己満足で全力疾走で走っていて
切れしていたという人もいるんじゃないだろうか。

今の私は、無理をして走る事自体をやめようと悟った。
疲れたら休もうかなと。
何十回目か?道はスタートしたばかり。
後ろを振り返らずに
何度でもスタート地点に戻ればスタートは出来ると感じる。
人生を楽しまなくては生かされている事が無駄になってしまう。
ゆっくりでも大切に丁寧に。


私は、ホームレス生活を経験後、
会社員(正社員)ではなく、派遣社員でもなく、
その日になるまで何をするのかわからない日雇い仕事や、
アルバイト、パートタイムで働くようになり
それまで深く考えなかった社会の構図のようなものを沢山経験した。
その経験が出来た事は、私にとって幸運だったと思う。



年と言われる年齢まで1つの会社で一生懸命頑張っている人も
その人の人生として素晴らしいと思う。
ノーベル賞を志し研究している人もいるのだから素晴らしいと思う。
ただ、多くの経験が必要な時が人生にはあると私自身は何度も感じた。
何かの拍子に階段を一段踏み外しただけなのに、
一番下まで転がって行ってしまう事がある。
その時に人生経験が強みとなって経験が活かせる。
そんな事ってない?


自身はと言えば、
1番下まで転がったのか、階段の途中にいるのか
最上段にいるのか、実際は生きていく事に必死すぎて
自分が見えていなかった時期が長かった。
仮に最上段にいるという意識があれば、
落ちないように転ばないようにと常に一生懸命でいなくてはいけない。
これは、本人が気づかないだけで、
しんどくなる時があると思う。


一番下までがり落ちたと思っていたら、実はまだ下に階段があった。
これは、大して痛みを感じない。
立ちあがれる見込みや可能性を感じるから?かな。
問題は、自分で立ちあがれる程のエネルギーがあるかどうか。
私が思い知った事は、年齢も環境も関係なくて、
「健康」さえあれば、どの段階や環境にあっても
自分の夢の場所を目指せるんだよって事を私は知った。


私の思う「健康」とは、
五体満足である事ではなくて、
最期の日がくるまで生き続ける意欲があるか無いか。
心身が健康で無ければ一歩も前へ進まない事を知った。
明日が最期だとしたら、今日中に私は
思い存分、微笑んだり笑い転げたい。


大事な家族の犬くんが天国へ行ってしまったあと、
私はよその子も見れない程、落ち込んでた。
道で見る鳩を見ては涙を流し、鴨を見ては泣き、
よそのお宅のお散歩中の犬ちゃん達を見ては涙し、
こんなに苦しく寂しいなら私も天国へ行きたいと
本気で思った。


それがどうだろう?騙し騙し?日を重ね、
どうにかこうにか1年が過ぎ、ごく最近。
よその子を見る事が楽しみになってきた。
やっと純粋に可愛いと思えるようになってきた。
「私って薄情なの??」と落ち込んだりもしたけれど
笑ってる時の私を、天国へ行った犬くんは
誰よりもきっと安心してくれていると感じるようになった。
嘘みたいな都合の良い話だけれど
すぐ身近に犬くんを感じる時がたまにある。
それは、私が顔の時。



ごく最近、あるの可愛い動画を見る事が
私の楽しみになってる。
その子は私の事を知らない。
だけど、不思議な事に「情」みたいなものが
生まれてきた。
暖かい家族と暮らしている事を観れるだけで
私の気持ちが和らぎ無駄な緊張や疲れが取れる。


今日はも元気かな。ねんね中かな。風邪ひいてないかな。
お散歩行ったかな?歌ってるかな。ごはん食べてるかな。
それはそれはもう、毎日気になる。
その子のおかげで、私はどんどんよその犬ちゃん、猫ちゃん、
鴨も鳩もカラスも生き物すべてを優しい気持ちで観れるようになった。


きる意欲ってひょんな事から湧き出るんだね。
まだ体調不良ばかりだけど「健康」だと感じています。
毎日のように嫌だなぁ、しんどいなぁって思う職場や仕事中でも
笑う覚悟で行くと、面白い事が見つかる。
嫌だなぁ、の覚悟で行くと、嫌な事ばかりが見つかる。



ホラー画を観る前って「笑う」覚悟は無いでしょう?
お笑いを観る前って「嫌悪」の覚悟は無いでしょう?
日常も、そんな感じなのかなって思うようになってきたのです。
おかげで、私にはいくつかの種類の「覚悟」が増えた。
どれも誰かの為じゃなく、何かの為じゃなく、
全部が自分の事を大切にしようと思える気持ち。
今の私は誰かに媚びて生きる人を見る事が
自分に余裕が無いからか、切ない気持ちになるから避けてしまう。
ごめんね。
自分を大事にするって簡単じゃないって気持ちもわかるだけに辛くなる。


「いつか」じゃなくて、「今日」を大事にしたい。
日を大事にして過ごしていたら
きっと想像も出来ない「いつか」が私に来そうな気がする。
今の私は良くも悪くも
「自分を大切に」が日常のどの場面でも最初に頭に浮かぶ。

ラッキーな自分を大事にしたい。
自分ができる事を。
自分がそうしたいと思える事を精一杯出来るように。
こんなに健康的な生き方は無いと思える。
まだまだくみたいです。

私の「にっこり」