私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

ちょっと聴いて?

「ちょっと聴いて?」的な事です。
深く無いレベルの声を書かせてもらうのです。


「働く」って凄い事だと日に日に思っています。
給を貰って働くも、
農作物(食べ物)を作る人も
家を作る人も、壊す人も、
お金を渡して働いてる人も、
時給をもらって働く人も、
ボランティアで働いている人も、
ハラスメント満載の中で働いている人も、
中には対価を求めない人までいて。
とにかく、
「働く」って事自体が奇跡的に凄い事だと感じるのです。




も環境も意識も感情もみんな違うけど
「何か(自分、誰か)の為」
ここは共通してるように感じてる。
独りでも大家族でもね。
好きでも嫌でも仕方がなくでも。
お金の為、生きる為、誰かの笑顔が見たいから・・・・
何て素晴らしい!
私自身、お金で人生が大きく狂った一人。
でもお金は人を動かす、
働かせる小道具の1つなんだなって感じる。
(あ、犯罪は論外ね。)



もしも私が々交換の時代に戻ったら幸せになれるのに。
お金なんか無い時代とか場所に住めたら最高なのに。
コレ、結構最近まで本気で思っていました。
でもね?
客観的に自分を分析してみたところ。
もしも物々交換の時代に戻ったとしたら、
私は、わらしべ長者のようには生きられなかったように思ったんだよね。



えば
自分が大豆1粒持っていて、
すれ違う相手が小豆1粒を持っていたとして。
私は小豆が嫌いだから、
大豆1粒を持って素通りしたと思うんだよね。


に、
枝豆を持っている人がいたら?
枝豆をどうやって食べただろう?ボイルする力が
私に備わっていたら良いけど。鍋無し、火を起こす力無し。


あーだめだ。
私やっぱり大豆から抜け出せない。

それを然見かけた人が、
「お米1粒と交換しませんか?」と言ってきたとしたら?
私は、大豆が1番だと信じてずっと持ち歩いてきたわけで。
大豆1粒よりも小さい「米粒」を見て、
「是非!!」と
言えるかなぁと想像してみた。


際、お米1粒を口に入れるのと、大豆1粒を口に入れるのとでは
口の満足感が明らかに違う。(私はね)
そこで、きっと私は言うんだと思う。
「ごめんなさい、ご遠慮します。」



はい。また大豆から抜け出せない。
やっぱりまだ引き続き大豆1粒をりしめて歩いてるんだと思う。
でね。
私は力強く感じてる事はね、
「働く」を思いついた人は凄い!


最初は農作物を作ったのかな?(働く)
何から何までをも管理しようとした人達(今でいう政治家?)も
それは、少しずつ決まりごとを作り出して
何かの為にくに至ったんだろうなって思う。


おばあさんは川へ洗濯に。おじいさんは山へ芝刈りに。
もはや、どの民話も感動する。

「三びきのこぶた」の話。
子供達だけになったのに悲惨な状況なのに
働いて自分の家を作ってしまうなんて凄い「働き」だと思う。

(フィクションなのかノンフィクションなのかは触れないけど)



私は、今の代に生まれ、
たまたま今はこの国で暮らしている事、
「働く」場が見つかり
偽造するとすぐわかる凄い技術のある貨幣がある時代と国で
私は良かった。
「今」にご縁と運命を感じずにはいられない。


平和よね。
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