私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

珍道中とは。


ご報告。

長い長い就職活動期間。
ようやく新しい職場が決まりました!



「やっと」という言葉がぴったりの気持ちでいっぱいです。
わずか1ヶ月でしたが、
何十枚もの履歴書と職務経歴書作成の日々。


プリンターが無いので、
コンビニに毎日のように通いました。
(コンビニプリンターくん!壊れずにいてくれて本当にありがとう!!)


そして、
何度も何度も繰り返し受け取った
「ご縁が無かった通知」というお知らせ。

メールで来たものは,ゴミ箱へ。
紙ベースで来たものは、
最初の頃は捨てていましたが、
途中からそれはもったいない!となり、
精神的な悔しさもあり、
裏紙使用の為に大事に使わせていただいています。

(まだしばらくは、使える量がここにあります。)


「採用通知」を頂く事は、
初めてではありませんが
これまでで1番の「決定」のように感じた程、
感激しました。


それ程、今回の
「無職」という時間が、
とても、とても、長く感じていました。


皆の出勤時間帯に、
私も電車に乗って面接へ行くたびに
とてつもなく大きな絶望感を味わいました。

周囲は皆、疲れたお顔なのに、満員電車に乗り
それぞれの職場へ向かってる光景。

彼らが歩いていくその後ろ姿を見る事自体が凄く辛かった。

更に辛いと感じ何度も心折れそうになったのが
帰宅ラッシュの時間。

私はいくつかの面接を終えただけなのに、
沢山のお仕事を終えて
疲れ帰宅して行く人達に混ざる資格すら
無いように感じながら、
同じ電車に乗り込んでいました。


私は仕事もしていないのに、
家へ帰る事に罪悪感しかありませんでした。


土日だろうと、祝日だろうと。
夜だろうと、
深夜だろうと、
台風だろうと。


立ち止まる事に、罪悪感をずっと感じていました。
面接まで辿り着いた会社面接には、体調が悪くても
這ってでも行こうと毎日思っていました。


私を応援して支えて励まして下さっている方々へ
申し訳ない、ごめんなさい、その気持ちが24時間ありました。


どんなに楽しい話題を読んでも、
TVを見ても、本を読んでも
気持ちは休まらず、夜もぐっすり眠れませんでした。



街を歩けば、自然と張り出されている求人に目がいき、
スマホをみれば、メールのチェックと求人探しばかり。
ハロワで順番待ちをしている時間さえも、
罪悪感を感じました。



最後に働いていた職場では、
研修をあと少しで終わるというところまで来て、
「扶養内枠でしか働けない契約になりました」
突然言われた事について、
トラウマになっていたのか??


どの会社の面接へ行っても、
面接官(人事)の言葉が信用できませんでした。


何度も何度も、
正社員でなくても生活が成り立つレベルで働く事が
出来る条件なのかどうか?
採用となった場合、契約書はいつ頃、出来るのか?
変更となったりしないのか?など、
そんな言葉をひたすら聞いていたように思います。


仮に私が面接官だったら、
そんな事をしきりに聞く人材、ちょっと怪しみます(笑)


職種を問わず、家からの遠近の場所も問わずに、
受けられるだけ受けました。



中には、この仕事がもし採用!となっても
99%私に出来る自信が無いな、、、という条件の
ものまで受けました。


そういうのは、体が先に反応しました。
蕁麻疹が出ていたのに、
「不採用通知」を見てホッとした自分がいました。



私にとって
「仕事」とは、
生活に必要なお金の為という部分が大きいですが
社会に関われているかどうか?という
その意味が大半を占めているように感じるのです。


障害者枠で受ける? 

一般枠で受ける?

毎回、毎回、迷いました。



ハローワークへも行っていましたが、
それについては今回はかなり、迷いました。

私の体や、頭を甘えさせる事を優先するなら
「障害者枠」が無理は無かったかもしれません。

でも私はその道を選びませんでした。
自分を大事にする事と、
心に嘘をつきたく無いと思ったから。


再雇用手続きも迷いまくりでした。
金額はわずかだけれど、
手に出来るという説明があり
強くハローワークの人からオススメされた。


ただ、それを実際受け取れるのは
12月!!!
無職の人って、
皆、そんなに預貯金があるの???



私の場合は、
「えー!!!それまで私はどうやって生活するの??」と
なりました。


だからという気持ちもありました。
こうなったら、意地でも再雇用手続きの日までに
新しい職場を見つける!!


そう覚悟を決めて探し続けた。


結果的には、消去法で
今回決定した新しい職場へ面接へたどり着いた。

自分は何が出来る?

何がしたい?

どんな時に私が仕事を楽しいと感じる?

私の強みは?

私の弱みは?

自分の心に嘘をつかない事。


えっと、
今はまだ犬くんを
看取る事が出来たこの家でどうしても生活がしたい。


私が健康でさえいたら、
何とかして日常生活に必要な生活費を賄えるはず。


そして、
私を守ろうとしてくれた「恩人」に
今後頑張ってる私をどうしても知ってもらいたい。
どんなに時間がかかってもそういう恩返しがしたい。

毎日、
呪文のように眠る前に声にだしてから眠っていました。



「私は出来る!」

「私は大丈夫!」と。


今は日々の生活もままならない。
この1か月、そして夏全ての期間に色々な事がありました。


でもね、
「私は生かされてるんだなぁ」って何度も感じました。
上手く言葉で表現出来ないけど、
「うわ〜ぁ、私、息してる!!」って感覚です。


この1ヶ月が無駄では無かったと今は信じています。
それには、理由がちゃんとあります。



私を全力で助けて下さった人から
ピタリとこの1か月の間、
連絡がなくなっていたのです。


私は心のどこかで、こんな私にがっかりして
呆れさせてしまったかもしれないと思いました。

ただ、本当に人として温かさのある人だから
私に気を使って案じて、
わざと連絡をしないで下さってるのかなとか。

色々な事を考える日々でした。

そう、そして
同時に私からも一言も連絡ができませんでした。


それは、
全力で支援して応援して私と一緒に
一喜一憂してくれた人に
理由はどうであれ、再び無職になってしまった事。


2度も就職祝いを贈って頂いた事や、
それ以前から
私の生きる活力になる為の支援、
励まし、
愛に溢れる心ある言葉を
沢山贈って下さった事、
心の底から応援して下さっているというのを
感じていたから。


だからというと言い訳になる。
でもどうしても言えませんでした。



仕事が決まった時の契約書がいきなり変わった?
そんなの、私が最初にもらった契約書の時に
会社に疑いを持ってでも、
何度も何度も確認するべきだったと考えると
悔しくて苦しかった。


言われるがまま、
新しい仕事が決まるまで、扶養内枠で働いておくという
方法も考えました。


でも、新しい職を探し面接を受ける時間的な事、
体力的な事に無理があると諦めた気持ちを言えませんでした。

私の事を全力で無条件に応援してくれている人に
正直に言えなかった。


少し冷静に考えれば、わかった事だったはず。

「報告」をして、

「相談」をして。

それから、仕事探しを徹底的にやれば良かったんです。


それこそが、
私を無条件に応援して下さっている人に対しての
気持ちの部分での大事なマナーだという事。


それでも、私はどうしても言い出せなかった。
仕事が決まるまで、連絡は出来ない。

顔向け出来ない。
そう思っていました。



そして、ようやく新しい職場から採用決定連絡が来た時、
どうしても1番に伝えたかったので連絡をしました。


この1ヶ月の間、私が考えていた事など、
本当にちっぽけでトンチンカンだったと
深く思い知る言葉を温かく投げてくれました。



それは、ここにはあえて書きません。

一生、私の心で生かしておきたいと感じたからです。




感謝しかありませんが、
私は自分の愚かさ、トンチンカンさ、最低な部分、
その時に感じた事の全てを自分のノートに書き出しました。




そして、今のこの気持ちのままで
新しい職場へ行き、今はまだ見ず知らずの人達の中へ
混ざって、一生懸命に働きたいと考えています。



ブログを通じて、
私の為に、一喜一憂をして下さった沢山の方々。


私は正直、ここで出逢えた全ての人達へも、
どう感謝やお礼を現せば?
感謝を現す方法とは?
最適な方法が浮かびませんでした。



だから、いつもどおりに
まとまりの無い長文でも、
嘘のない自分の言葉で
お伝えしようと思いました。



「安心して下さい!私は再び働きだします!!」



今日、ここで今この瞬間、
最後まで読んで下さった方々、本当にありがとうございます。



私は、みんなの事が大好きです!!