私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

偽善。

ネットで叩かれている多くの意見。

毎年ある日本テレビの24時間テレビ。


毎年言われてる。



「偽善」


「視聴率稼ぎ」


「障害者に山登りさせたり、
スポーツさせたりして
それが出来ないと障害者は認められないの?」


「頑張っていないと認めてもらえないの?」


「障害者を見世物にしている?」

「差別している?」

「特別な事をさせたい?」

「上から目線?」


24時間テレビを「感動ポルノ」
という人こそが、
障害のある人達を
上から目線で見ていて
差別化、特別な目で見ていないですか??



私はそう感じます。




「普段の普通の障害者の生活を放送すればいい」




普通の障害者って何?


どんな人達の事?



仮に。

私(障害者)の日常を生活状況を放送しても
希望や勇気に繋がらない。
だから、
24時間観て下さる人が
いるとは思えないのです。





障害に、「軽い」「重い」はあっても、

それは病気(身体、精神障害)の症状のことを
表しているだけで、人それぞれ。


障害の「重い、軽い」を
TVで、決める基準は何ですか?

Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん・・・・


比べられますか??





なぜ募金をするか?



個人だけで
日本中で暮らす障害を抱える人全てに
会って、
話をして、
何かヘルプをすることはありますか?と
聞いて回ることは、現実には
難しいのでは無いでしょうか?


シンプルに考えると24時間TVは
TVを使って、募金したい人の代行をしてる。
そう考えると、わたしは、しっくりくる。



障害者の1人としてはっきり思っている事の1つで
「お金」は、大事。
勿論、健康な人もそれは同じですが。


最低限の
自分の生活を守っていく事に
必死です。

お金に少し余裕がありません、
程度ではありません。


「お金にかなり余裕がありません」



障害がある分、収入の出所は人それぞれですが、
一般的にフルタイムで働いたり正社員として
働く人達に比たら、
圧倒的に、収入は低いのです。


私のように毎日フルタイムで働くことを
目指しても目指しても、実際には
出来ない障害者も沢山いると思います。



そして、障害があって
全く働けない人達もいます。

障害があっても、国会議員になった人。

勿論、中には
障害があっても自分で起業をして
人並み以上の収入があり余裕のある暮らしを
している方々もいらっしゃいます。

でも、それは物凄く少数の方々です。




もし、
募金の一部が障害があり生活が苦しい人、
(私含め)
つまりお金が必要な人、
それを心から感謝して有り難く頂く事が出来るのが
募金の意味になると思います。

日常に必要なもの、
または、病気の為に役立てたいと思う事は
悪ですか?





募金(チャリティー)がテーマなのに、
障害者が色々な事にチャレンジしていたり、
芸能人がマラソンで走っていたり。


「それ、必要なの?」



それを言う人に聞いてみたい。



あなたが24時間という限られた時間内で

どれだけの障害者の方々、人、子供達、動物達に
「勇気」や「励まし」「生きる力」「募金」を
形にして送れますか?と。



どんな形で、障害のある人全てに
元気になる為のパワーを送る事が出来ますか?



私は、障害者の1人として24時間TVを観ています。
どれだけ沢山の勇気や励みになるか。
言葉に上手くまとまりません。

忘れかけてしまうことを毎年
24時間TVを観て、自分に必要な事、
大切な気持ちを思いださせて頂き
考える時間になります。



ご存知の方も多いでしょうが日本テレビは、
億単位の募金を集める為に、
それ以上の費用を使って、番組を作っています。
ただ、
全く興味が無い方々も沢山いらっしゃると思います。



広告会社と癒着しているように言われ、
視聴率稼ぎだと言われ、
一生懸命走った水卜アナウンサーの事に
ついても、
ブラック企業、
チャリティー精神を忘れている、
視聴率獲得に奔走する番組、
番組のコンセプトを考え直す時。

などと言ってる人がいて、悲しくなります。



24時間テレビには、
何ヶ月も前から、約1年近く前から
多くのスタッフが関わっています。



普段、自分の番組を制作している人達も
関わりが出て、24時間テレビのために、
睡眠時間を削る事になります。


中には、強制的にその仕事をする人も
いれば、あの番組関われる事が
夢だった人も沢山います。


水卜アナウンサーも、総合司会をやりながら、
フルマラソンを時間内に走り、再び
司会をアナウンサーとしてする事が
夢だったと仰っていました。
あれは、嘘の言葉でも
会社から言わされた言葉では無いと感じました。



正義感が強く、忍耐強く、常に謙虚で
人によって顔を変化させる事もなく
全てに全力で行動をする人です。
あの笑顔の力は素晴らしいです。



会社の意向は、TV局でなくても
どこの企業でもあるのでは無いでしょうか。


「1局員に過ぎない女子アナを酷使した」
という意見を見て、感じた事は、
日本テレビという組織内で
水卜アナウンサーへの信頼や、期待は、
どれほどの大きさなのか?

仮にパワハラや大きな力がアナウンサーに
圧力がかかっていたとしても
判断は、「本人」がする事です。




確かに、
1局員に違いありませんが、
水卜アナウンサーという存在の事実を
もっと知ってもらいたいです。


TV局を悪く言い続ける方々には
TV局へ入社したいと願う人が
どれほど多いのかを
ほんの少しでも知って頂けたら
お気持ちに変化が生まれるのでは。

そんな、やんわりとした期待の
気持ちになります。




TV局での仕事が、
9-17時で終わる仕事では無いという事。
広告会社と繋がりがある事。
芸能人との関わりがある事。


日本TVのアナウンサーでも
世間にあまり知られていない
アナウンサーはいます。


水卜アナウンサーを知らない人がいたとしても
その比では無いと思います。




言うまでもありませんが、
テレビ局にとって、視聴率は大事です。


それは、一般の企業の人達が
売り上げを上げたり、
ボーナスをアップしてもらう為に、
上司の支持に従い、期待に応えるだけの
仕事をこなす。

形は違いますが、それと同じ事だと
私は思います。


全てではありませんが、
TV局を目の敵にする理由が私にはわかりません。
「人」が作るものには、
色々な見方があって意見がある。
それだけで良いのでは無いかと思うのです。


ネットの力に押され、TV業界はどんどん
苦難の道へ追い込まれています。


私のように、昭和な人間は
TVが大好きです。

携帯電話で、TVが映るようになった時の
あの感動!今でも忘れません。


車でもTVが観れるようになった時の感動。

皆様はいかがですか??


TVはもう必要ないですか?


確かに、インターネットにさえ
繋がっていれば、TVニュースを観て
いなくても何も生活に支障はありません。


ドラマやバラエティーなど、
リアルタイムで観なくても
観たいものだけをまとめて観れます。



TVも、インターネットも同じですが、
1番組を送り続ける為に
数えきれないほどの
人間の力が集結していて、
一生懸命に制作しているのだという
事実があります。
素晴らしいと思います。



偽善と言われ、視聴率稼ぎと言われ、
それでも続ける。
なぜそこまでして続けているのか。
バッシングの裏にメリットが?



上層部にメリットがあったとしても、
それは、一般の企業の人が仕事で接待を受けたり
お中元を頂いたり、対価を頂く。
それと同じだと考えています。





私は思うのです。



仮に100歩譲って、偽善であっても


何らかの障害のある人達が
「何か」にチャレンジ出来る機会を作って
もらえたりして出来た経験は、
お金で買えるものでは無いと。


一生の思い出となり、その後への
繋がりになると思うのです。




芸能人(今年はアナウンサー)が
マラソンをする事について。


走る姿を観て、
自分も1歩ずつで良いから歩こう、
走ろう、
そっか!
しんどいって思えば、
休憩しながらでもいいんだーって純粋に思う。



少なくとも、私は
そう思います。



それが今年は、
水卜アナウンサーだったというだけで
違う方であっても、
何かに一生懸命頑張ってる姿を見て、
「私も頑張ろう」

「まだ頑張れるかもしれない。」

「疲れたら、休んでみよう。」

「喉が渇いたら水分を補給しよう。」

体が痛くなったら、

「痛いよー」と、叫んで誰かにマッサージ
してもらってもいいんだな〜って思わせてくれる。


スポーツも同じ気持ちです。

大学生駅伝だろうと、24時間マラソンだろうと

私は、何かを一生懸命に頑張ってる人を見て

励まされます。


それまで悩んでいた事など
小さな事だったなーとか。


私もまだまだ走れるかもしれない。


その想いをTV経由で頂いてると思っています。


毎日は難しくてもその日だけでも。

誰かのために、自分も何か関わりたい。

その気持ちになれる事は素晴らしいと
思います。

募金に見返りを求める人はいないはずです。



私が言うまでもありませんが、

TV局は、組織です。

経営者がいて、多くの社員がいます。

一般の会社と基本は同じです。


様々な会社のカラーが違います。
TV局の裏側の経済事情まで
バッシングする人達にも、色々と
ご意見はあるでしょうが、
募金、チャリティー番組とは違う
事と繋げて、TV局が障害のある人達を
まるで利用しているかのような
言い回しは、どうか、
障害者(私も含め)の人達を
傷つける事に繋がると思うので
やめて頂けないだろうか、
私は毎年そう願っています。




人間は、1人で無人島で生きていない限り、
誰かの力を借りたり、
誰かを応援したり、
誰かを励ましたり、
何かしらの「力」が働いて、
自分が動いているように思う。



「自分だけの力で生きてる!」と
断言してしまう人へ、
いつの日か感じてもらいたい事があります。


「自分は、卵で生まれて1人で小さな池で育ち
巣立った」と思っているならそれは間違いだと。


生まれたての赤ちゃん。

親や、他人であろうと

誰かの手を借りて、「今」があるはず。


屁理屈を書いているように思われてしまうかも

しれませんが、

私は、もっと純粋に「感動」したり、

「すごいねー!」とか

「頑張ったんだねー!」と思ってみたり

それを

自分に置き換えて考えてみてほしいのです。



私の場合だと。


今ある障害全てが、

「焦らなくても良くて自分定規の精一杯でいいんだ。」とか。

「半歩でも、一歩でも構わない。

左足を出せば、右足が出る。前へ進む。

苦しくなったら、立ち止まる。

しんどいと言っても構わない。

休憩もして構わない。

そして、少し楽になったら

また歩き出し、走り出せばいいんだなぁ」




この思考が停止することが

1年に何度も何度もあって、

小さな池の中で溺れそうになります。

だから、有難い番組なのです。




日常生活において全てに当てはまると

考えているのですが、

歪んで「何か」を見ると、

自分が歪む。



まっすぐに、

純粋に「何か」を見ると

言葉も音も画も真っ直ぐに入ってくる。



おまえは社会を理解出来ていない、甘い、

そう言われたり思われたりするかもしれません。



自分の「本当」をどこかへ置き忘れ、

周囲の意見が大多数になっている事があったとして。


そこへ自分が気づかぬうちに

入り込んでいて、大多数の人達と同じように

「そうだそうだー!」と言う表現方法。

それは、

間違いでも悪いとも思いません。


1つの表現方法だと思うから。




本当の自身の心の内側(本当)に

私も含め、

気づかなくなるほうが

心が寂しくならないか、

そんな気持ちになり心配になります。





長々と生意気でごめんなさい。

ただ私はこう思い考えているのです。


どうか、

来年も私の心の本当が見えなくなったり

していませんように。


そして、日本中が

輪になれますように。



今日も最後まで読んで頂き、
貴重なお時間を頂いてありがとうございました。