私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

ギブミーマネー

今日の事。

見た感じ70代、
もしくは60代後半の女性が、
道を歩く外国人
全てに声をかけているのを見て、
かなり強い衝撃を受けた。



「ギブミーマネー!」

「ギブミーマネー!」

涙が出て止まらなくなりました。

身なりだけでおばあさんを判断をしたら、

ホームレスになのかも?

そういう印象。

声は、凄くしっかりしていて、

日本人には一切声をかけない。


英語圏では無さそうな外国人の人達にも

「ギブミーマネー!」と。



私が、声をかけようと近くへ行っても

こちらを見ようとも、

してもらえなかった。


自宅までの帰り道の間、
ずっと
あのおばあさん?のことを
考えていた。


日本の貧困。

私自身が、今は無収入だから
助けが無ければ
新しいお仕事にも就けなかったと断言出来ます。

助けが無ければ、
大事な家族の犬くんを最期まで
看取る事も天国へ送る事も出来なかったと
思っています。


どれだけ感謝しても足りないし
お礼も恩返しも
追いつかない。




私がホームレスだった時。

なぜ、道行く人に「お金をください」と

言わなかったか???


本音で話すと

すれ違う人に「お金を下さい」と

言う発想を私が出来ていなかった。


頭に、その発想自体が無かったのです。




今日のおばあさんは、

厳密に法律で言えば

軽犯罪法で禁止されているからアウトだろう。



でもね、ふと思い出したことがあった。




私が京都で暮らしていた時のこと。

その頃に何度も何度もごく当たり前に

見ていた人達の事です。



ここを読んで下さっている方々、

「托鉢」(たくはつ)をご存知でしょうか?


どれが正しいのか?
私は、実はよくわかっていなかったので
帰宅して色々読んでみました。



ひとまずwikipediaから
お言葉をお借りして少し
ここに書かせて頂きますと・・・・
下記のとおりです。



托鉢(たくはつ、サンスクリット:pindapata)とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)街を歩きながら(連行)又は街の辻に立つ(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる修行。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)


現代の日本において乞食行為は軽犯罪法で禁止されているが、
托鉢は信教の自由に基づく修行の一環であり正当業務行為であるとみなされるため、適法とされる。





なぜ、これを思い出したかと言うと。

京都で暮らしていた時は、週の半分くらいは

お坊さんが5、6人縦1列に並んで、

うお〜〜?と

声を出して、

家の前に立たれるというのが日常的にあったから。





昔は、手に持ってる器?のような所に

お米を入れていた事もあったけれど、

私が東京へ来る少し前には、

申し訳ない気持ちで、小銭を入れていたのを

思い出したのです。




僧侶は乞食(こつじき)ではなく、

信教の自由だから問題が無いという。



街中で、通りすがりの外国人に

お金を頂戴というのは、軽犯罪だとのこと。




この違いは何だろう。





私にもブログには
必要なものリスト(ほしいものリスト)がある。



今日は、新しく始まる仕事の研修の為に

遠出をした為、

その帰りにずっと欲しいと

気持ちが変わらないから、

練習を兼ねてApple Storeに

見に行って今日も色々教えてもらい

私は改めて必要なものリストに追加をしました。



これは、私が
歩いてお願いをして回っているわけでは
無いとしても、無言で
ギブミープレゼントと言ってるのと
同じでは無いだろうか??


私がホームレスだった時に
道で、何度も何度も
「おまえ、乞食か?」と言われた事が
ありました。

今思えば、

身なり、持ち物、固まりつつある髪や

臭かったからかな。




ただ「乞食」という言葉に拒否反応を

未だに起こします。


もちろん、自業自得ですが。



他人には絶対に使いたくない日本語です。



私は必要なものリスト(ほしいものリスト)で

物乞いをしているのでしょうか?

信教があってのお願いリストでは無いから

リストに追加する時、今日は凄く考えました。

注:

すぐ買って下さいという訳ではありません。

いつの日か?
自分で買える日が来るかもしれません。


私は、家族の犬くんが

亡くなって天国へ旅立ったあと

もう二度と私に必要なものは無いと思いました。

そして、全てを消しました。




でも、残念ながら7月に入り

新しい仕事を退職してしまい、

殆ど収入が無い1ヶ月を過ごし、

助けて頂きながら、何とかこうにか

今月も終わりが近づきました。



良くない事は重なるものなのか?

私の大好きな

大事な思い出の詰まったMacが

壊れています。



図書館へ行ったり、本屋へ行ったり。

大好きなApple storeへ
行く事がここ最近は増えていました。

買っていないのに、
スタッフの可愛い女の子から
色々教えて頂けるから
素直になれる嬉しさもありました。



やっぱり、ブログを書くには
スマホでは厳しいなぁ・・・と
弱音を感じています。


私は、
今日見かけたおばあさんよりも、
ずっとずっと、心が弱いです。


私は贅沢な気持ちでいるという事です。

そう、これは私の「甘え」です。


壊れましたが、
思い出の詰まったMacは、
Apple storeで教員や学生の枠で少し安くなるという
価格で買いました。



何度も、
息を吹き返して頑張ってくれたと思います。



「ありがとう」と「感謝」がいっぱい詰まっています。

犬くんが時にはお尻を置いていたMac.

あれ・・・・。

何でこういつも犬くんの話になるかな。^^




そう。
気をとりなおして。




今日は、都内で見かけたおばあさんが

頭から離れなくて、少々興奮気味なのかも。

読みつらいと思います、ごめんなさい。



東京へ移り住んで

初めて、こんな気持ちの衝撃でした。



何か、良い方法は無いのか?


逮捕されずに、
あのおばあさんを保護してもらえるような
制度は無いのかな、、、、



京都で週に何度も托鉢を見て

僧侶達の声を聴いていた日々の暮らしを

私は、なぜか今日思い出したんだよね。




17時に街ごとの音楽が流れる事や、

回覧板が回ってくるような感覚で

京都で暮らしていた時には

日常で托鉢はごく自然な声と行為の記憶。




宗教も奥深いのでしょうが・・・・

今日のギブミーマネーというおばあさんの声は

どう説明したら私の頭の中が整理出来るのでしょうね。



今の私は、まず自分自身の暮らし、

日々を立て直さなくてはいけない。


誰かの心配している自身に

正直、かける言葉が見つからない。




それでも私には違う明日が

ある事を楽しみに眠りにつこう。



私は諦めない!と、誓いたい。



倒れても必ず立ち上がって、恩返しするんだ!

「夢」も叶えたい。


今日もありがとう。私の体と脳。

一生懸命に動いてくれました。



よくわからない私の話を最後まで読んで頂いて

今日も感謝です。


セミさん達、おやすみなさい。
また明日ね。