私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

罪悪感はどこからくるのか?

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私の罪悪感はどこからくるのかを考えてみた。


昨日、ふと思った事。


私はこんな明るい時間に家へ帰って良いのか?
でも何だか「良いもんだなぁ〜」なんて
色々想いを巡らせながら帰っていった。



年間かは夜遅くになって自宅へ戻るという生活を
していたせいだと思うのですが、
まだ外が明るい時間に
駅へ向かって歩く働く人集団の中の1人に
自分がなっていた事に不思議な感覚いっぱいで
歩いていた。
掘り下げると、「罪悪感」みたいなそんな感覚。


そもそも。



供の頃から、
「自分は笑っていなくちゃいけない」とか
「今は黙って見なかった事にする」とか、
「返事をしなくちゃいけない時」とか、
「自分の部屋で黙って静かにしていなくちゃいけない時」とか
「ごめんなさいと言う時」とか、

ここで書き出してみるとキリが無い程、人の顔色を観て成長してきた。


人になって、
結婚してからも周囲の人間の顔色を伺う日々を過ごし
離婚してからは、少しずつ自分が変わったように思う。
年々、空気を読めなくなっていたのです。
なんとも不思議。
それでも、何だかんだで自分を前へ進ませてきて
奇跡のように生きていた自分の「運」を憎んだ時があったのは
事実。
自分の事を「不幸」だと客観的に考える余裕が無かったのが現実。




「死ね」と言われてった私は、
存在を消せと物心ついた時には頭の中に
絶えずあって、勿論不健康な思考だけれど
自分自身が存在しているだけの事に常に
「罪悪感」があったように思う。




よりも前を歩いてしまっただけで、
「罪悪感」
ドアを開けて自分が先に出る(入る)シチュエーションに
なっただけで
「最悪感」
1日中、そんな気持ちでいるのだから
ドッと疲れる。




人と一緒の時だけではなくて、
1人の時にも罪悪感は結構ある。
ものすごく幸せな気持ちで、
「天にも舞い上がる気持ち」とはこの事かも!
そう思ったあとに、ドッと大きな罪悪感に襲われる事が今でも時々ある。
「おまえは幸せになってはいけない」という言葉や
「おまえなんか幸せになんかなれない」という言葉の
呪文は、そう簡単には消えてくれない。



カルト宗教などのマインドコントロールと
近いのかもしれません。(オカルト宗教の方、ごめんなさい)
機能不全家族で育った事や、DV経験から顔を出した
数えきれない程のPTSD症状は、
時間がどれだけ過ぎたからと言っても
すっかり忘れる事が出来た!という
瞬間は今のところない。
それともある日、あっさりくる人いるんだろうか??
少なくとも、容易ではないと私自身は感じています。

そして。

職先が決まった時も心から嬉しい!と思いました。
その気持ちの奥底では、人材が足りないとわかっているのに
自分の事だけを考えて投げ出して行ってしまう事、
残っている人達、本当にごめんなさい。
それでも自分の今後の健康を優先しました。
そんなこんなで、自分の気持ちと行動に葛藤しながらも、
自分を優先してしまう身勝手な人間だと
自分を責める感情が勝っている日があります。
(この先の感情がどうなるかは出来るだけ考えない事にしています。)



の気持ちはお雛様の菱餅や十二単のように
何重にも重なって毎日暮らしています。
朝、起きて。
昼間は仕事をして。
通勤ラッシュと言われる時間帯には会社を出て
駅へ向かう人に紛れて歩いてる自分を客観的に想像すると
ウキウキ気分と、罪悪感の気持ちが
入り混ざっています。
そして、夜は自宅でささやかながらも夕食を食べ
エネルギー使い果たす程働いてもいないのに
寝てしまっているでは無いですか!!

「今日も1日無事でありがとう」と動いてくれた体へ
感謝したのも数分。(たぶん)
次にハッ!と気づいて
目覚めると「あぁ、寝ちゃったよ」の罪悪感。



して、こんな罪悪感の奥底を覗くと
「私って何て幸せなんだろう!!」と思っているのです。
なんて幸せなんだろう!と思うごとに何度も罪悪感がやってくる。
だから、文字にするだけではなく
口で「私って何て幸せ者だ!」と言っていたけれど
言い方を少しだけ変えてみようと思う。
それはいたってシンプルです。



私は幸せ!



前からこのブログにもよく登場させて頂いてる
「自称母ちゃん」ですが。
彼女は言葉の魔法をわかりやすく私に伝えてくれます。
絶妙なタイミングで。
その言葉の中から今こそ、この言葉が大事だ。
私はそう感じています。



私の今回の職が決まった時も
本当に心配して頂いて、出勤の何日も前から案じて下さっていました。
初出勤の日の前日も。
当日も。
土日の休みまであと何回だよと言って励まして下さったり。
顔から笑みが出る程、嬉しくてはりきって出勤してしまうわけです。
気持ちが張り詰めている緊張感をそっとほぐしてくれるわけです!
本当に有難いって心から思います。
これを書いていても笑みがこぼれます。


そんなこんなでいつもどおり話は逸れましたが。



った環境というのは、もう元にも戻れませんし
やり直すという事が出来ません。
ただ、ここで希望を捨てる必要はありません。
どんな人にも平等に「未来」があります。
未来というのは、素晴らしい未来ばかりではありません。
未来起きる事なので、中には嫌な事も悲しい事もあるかもしれません。
不謹慎に聞こえたり、不愉快に思われる方もいるかも
しれませんが、私自身は、
余命が1ヶ月の人には「未来」が無いかと言うと
個人的にはそうは考えていません。



私が「今日」然天国へ行く事になったとしても
「後悔」したり何かのせいにして悲しい気持ちを増やさない事。
朝起きて、今日の夜には息が止まっていたとしても。
1分を大切にし丁寧に過ごしたいと思う事は「悪」では無い。
少しずつ少しずつですが、そう想いたいの気持ちが強くなってきています。
「〜でなければいけない」の子供の頃からの呪いの感情(言葉)から
少しずつでも「悪」という部分の感情が薄まってくれる事が
今の私の目標。



生、社会人生活、、結婚生活、
育児、子育て、社会人生活
シングルペアレンツ、独り身。
生きている間には、いろんな経験をするんですよね。
悩みが無いという人が時々いますが、
彼らは、悩みを作らないように努力しているのだと思います。
だから、日々を大切に丁寧に生きるって
物凄く私には難しい事ですが、「未来」に希望や夢を持てます。


はまだ
「生きてる」それだけで感謝と同時並行で「罪悪感」があります。
でもね、
これは決して悪い事では無いと思うようになってきました。
生きている事を良い意味で「実感」できるから。
一般的な人生を送ってきた人と私を比較は出来ません。
これは、「私の場合」だと思ってください。



「生きてはいけない」と信じて大人になり今日まで
きていた私にとって
全ての感情は「今」生きている「実感」になっているのです。
座っていても、お尻が浮いたような状態。
立っていても足元が浮いた状態で長い間生きてきたせいか
眠っている事さえも申し訳なさを感じるのです。


にとって、睡眠導入剤が無くても眠れる日が増えるという事は
とても健康的に体が頑張ってくれているように
感じます。明日は仕事があるとか、
気持ちがざわついている時などは、
「お薬」に頼っています。
でも、気づいたらめちゃくちゃ沢山の睡眠導入剤のお薬が
余っていました!!
わからなくなってはいけないので、今度のお休みに
きちんと整理して処分しようと思います。^^


能不全家族からDV被害者という環境で
生き延びてきた私は、時間を経てもなかなかどうして
突然のように感情、意識や感覚が
正直なところ一向に変わりません。
でも、「希望」「期待」目標に変える
事は出来ます。
遠い先を考えると気が遠くなって挫折しそうになりますが
「今日」の事だけを考える。
目の前の事を一生懸命にとにかくやってみる。


それだけで、この「罪悪感」
薄く薄くなって、私の気持ちは
まるで湯葉か手漉き和紙のようになっている
日が訪れるかもしれません。

誰かの心にもこの気持ちのシェアが届きますように。


今日も最後まで読んで頂いてありがとうございます。
皆さんの貴重な時間を私の時間に付き添って頂いている事に感謝です。