私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

否定からの解放

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私という人間が、とにかく最低だという事について。

私の事を決して嫌いなわけでは無い娘から離れようと考えてしまいました。




もう疲れてしまいました。



もはや自分の事が誰の事よりも、わかりません。


5月1日「令和」という新しい時代が来たその深夜から1週間。



私はあの深夜に



娘に「もうこれ以上辛い会話の時間を繰り返したくない」と



伝えました。


私はこれまでどんな事が起きても何があっても世界中を敵に回してでも



娘を守ると心と体で想い生きていたけれど



その私が、娘が生まれてきてくれてから初めて最低な事を考えました。




「もう私を解放してほしい」と思ったのです。

たった1人の家族である娘からさえも否定される人生から解放されたい。

もしかすると頭のどこかでそう思っていた悪魔のような母親の部分が

私にはあったのかもしれません。


元々は娘から絶縁宣言されていましたが、少しずつ少しずつでも



私との距離を縮められるような日が



いつかきっと来る事を信じ一生懸命に生きる事を目指していました。



先週、娘と会話をしている時、




娘のもがき苦しみよりも、自分の苦しさを減らしたいと
考えた最低最悪な親でした。



これが仮に一瞬であったとしても私は最低です。


今後娘に私が「母親」だとは名乗りたくない程に落ち込みました。



私の体に彼女の命が宿った時から、



彼女が産まれてきてくれた瞬間にまでもどり、



今日に至るまでの時間が走馬灯のように頭の中で流れました。



絶縁された娘と
行き来が時々は出来るという事になった時には



手放しとまではいかなくても嬉しかったのです。




でもね、



私は彼女の前でいつしか頑張って



会話をしていた事に気付いてしまったのです。



娘は家族なのにふと気付いたら彼女を怒らせないようにしていた。


彼女の顔色を伺っている自分が見えた。


絶対に何があっても口にしてはいけないと意識をしてきたのは、



娘の父親と生活をしていた頃の私と同じだという事。




だから絶縁をする事を撤回すると言ってくれた娘と会うのは数時間でも緊張感があった。



会えて凄く嬉しいのに、ものすごく疲れた・・・・と。



正直な気持ちに気付いてしまったのです。


ただね、自分の娘だもん。



地球が2つに割れたとしても嫌いになる事などない。


愛おしいし、健康で笑って過ごしてもらいたい。



それは過去も今もこれからだって変わらない。



こうして1週間を過ぎただけなのに、



娘は今頃何をしているだろうか。



自分と私を悲観していないだろうか。


娘には生きる知恵があり強い部分と



逆に同世代の子達よりも幼稚で精神的にはうんと弱い部分が同居している事を私は知ってる。



ただね、何だろう?



とにかくもう娘と私の時間について考える事に



疲れ切ってしまったのです。


私は過去についても今現在についても将来についても



否定される事ばかりでいては頑張れない。


そう思ったのです。



娘に対してそう思ってしまったのです。

あの日。



令和になった瞬間。



娘から連絡があったその時に。


お互い近況を少し話し・・・・そうこう会話を進めていたら



あぁ・・・またいつもどおりの会話の流れになってきたなと感じていた。


娘は私が体調を崩すと必ず言う言葉の中の1つに、


「ママもおばあちゃんと一緒だ、似てるから。」というのがある。


どうせきっとママもそうなるよという意味が含まれた会話。



これまでの私は娘のそういう言葉を聞き流すか、笑い飛ばしてみせれた。



それが本当は出来ない自分に気づいてしまったのです。


娘の記憶に「おばあちゃん」の記憶がどのくらいあるか?


最後に会ったのは娘が10歳になるよりずっと以前。


1桁の年齢の記憶ってどのくらい残っているのだろうか?


彼女の父親の記憶も殆どないのと同じくらいなのに。


私の実母は決して健康な人ではなかった事は事実。


私は実母と違い、大きな手術をした経験はない。



私が似てるだとか同じだと言ってほしくないには


いくつも理由がある。



私は娘を1人で必死で育ててきた事だけは



自分の中で、
唯一自慢できる事だと思って今まで生きてこれたのです。

ホームレスにならなかったとは言え、



確かに裕福では無かったと思う。


ただ、娘も私も衣食住に困る、周囲の子と明らかに違うぞ?という暮らしはさせた事はない。



離婚後、公的にもらえるものは全てもらっていた。


娘の父親と離婚後に裁判で決定されたお金も受け取った。

ただ娘が言うには、


ママはキャリアウーマンでもなく、公的な力が無かったら


自分1人の力だけで子供を育てられなかった。と、言うのだ。

言われてる事に間違はない。


でもそれを言えば、世のシングルペアレンツ達は?と言いたくなってしまったのです。




まず比べて欲しく無い事の1つに、私の実母は1人で子供を育てるタイプでは無い。

いつも男性がいないと生きられない母だった。
母が1人で一生懸命に働いて私達を育ててくれたという記憶など1カケラも無い。
母の味など無い。



実母が12歳の私に



「お母さんはお母さんである前に女だ」


あの言葉を忘れる事が無い。


だからこそ、



私は自分の子供が出来たら抱えきれない程の愛情を子供に伝えたいと考えていた。


まだ若かった私が当時はネットという環境も無い中で


唯一の頼りと言えば料理本と育児本。

私が睡眠不足で、倒れるまで


ピッタリ3時間置きに起きて母乳を飲んでくれる娘が愛おしくてたまらなかった。

離乳食の作り方を必死で読んで作っていた頃、周囲の友人達は


遊び呆けていた頃だった。


でも不思議と私のほうが幸せだという自信があった。


育児については残念ながら誰にも相談が出来なかった。


でも不思議と私はそれが幸せで幸せでたまらなかった。


嫁いだ家の人間から何を言われても何をされても



娘が私を母親にしてくれた事のほうが



彼らよりも数千倍幸せだと思っていたからだと思う。



嫁いだ先の姑舅、小姑、親戚達から「あなたは育ちが悪いから」と



言われるのがただただ嫌で


必死で料理も家事も頑張ろうとした。


そしたら、何のことはない。


長男の嫁なのだから家事をするなと言われあっさり家事が消えてくれた。

今思えば、ムキになることなど無かった。


今ならもっと要領よく行動が出来たかもしれません。


ただただ必死で娘の育児だけはこの手で!と一生懸命だった。


私が暴力を受けるようになっても


娘から父親という存在を奪う事は出来ないと本気で思っていた。


それでも私が出した結論は、この環境では娘が幸せになれない。



だった。




娘が5歳になるまでの間の元夫やその家族の言動、行動から考えて


私1人がいなくなれば、間違いなく娘が次の被害者になるという確信があった。


何1つなくなっても、私は娘の身を守る。



失敗しても失敗しても何度も何度も逃げ出した。



全てを捨てる覚悟と娘を守る気持ちだけで海外へ逃げたのです。



私はただ逃げたのです。


あれから今年で23年。


私が娘から逃げ出したくなるなど想像が出来ただろうか?


何て酷い母親なのだろう。

娘に私から距離を置きたいと伝えた時、


彼女は中々電話を切ろうとしなかった。


翌日に娘からメッセージがきた。


その内容をどう理解して良いか?今後どうすれば良いか?


今もまだ答えが出ない。


ママはあんな人(私の実母)と一緒じゃない!
ママは娘を必死で守り育ててきた。



1度だって虐待をした事ない。



どんなに毒を吐かれても、どんなに否定されても


サンドバック的な立場になったとしても


私は娘から「おばあちゃんと同じだ」と一緒にしてほしく無いだけ。






これまで娘に、その言葉だけは言わないでほしいと頼んでも
ダメだった。



私が実母を思い出すと


養父に性虐待されていた過去のことを思い出し苦しくなる。



私を助けようとしなかった実母についても忘れる事はありません。


そして自分を汚く汚らわしく思う。



養父の顔を思い出そうとすると真っ黒でどんな顔だったのかすら思い出せない。


私にとっては嫌な記憶。




母をもうとっくの昔に私は母だとは思っていないという事。


この事を娘が成人してから説明しましたが、理解は出来なかったのです。


娘は何歳になっても私に甘えがあるからこその言動なのだとわかっています。


彼女の思う理想の母親像であってほしいと


私に対してそれが現実的では無いとわかっていても、



娘の心の中で葛藤したのだと思います。


苦しめてやろうとか悪気があったりわけではないのだとわかっています。


ただ。


彼女は何かで自分の頭の中の怒りのスイッチが入ってしまった時


自分(言動)を抑えるという事が出来なくなるのです。


これが彼女の障害です。


彼女自身もそれに気づいているのです。


だから、


「ママを苦しめたいと思っているわけでは無いけれど


絶対に言わないという約束ができない」と泣きました。



「ママが健康で幸せでいてくれたらそれが何よりも嬉しい」



そう娘は言いました。


これは本心だと思う。

彼女は、「ママが病気になってもしも死んでしまったら?」


そういう漠然とした恐怖が娘を襲うのだと思います。

だから、私が少しでも具合が悪いという現実を目の当たりにすると


おばあちゃんにそっくり=いずれ私もそうなる



そういう気持ちが頭の中に浮かび、言葉にしてぶつける事で現実逃避しているのです。

「自分には兄弟がいるわけでも親戚がいるわけでもない。
だから、ママが死んだら私は天涯孤独」
なのだとこれまでも娘はよく言っていました。


だからと言って、


彼女のその漠然とした不安のために出てしまう暴言を含め


私を否定したり悲しませる言葉を言って良いという事ではありません。

「自分なんか生まれてこなければよかった」


娘にこう言われる事が苦しくてたまりません。

世の中には生きたくても生きられない人もいます。


ママがいなくなったら私は迷わず死ねると言った事がありました。



その言葉の裏には、



「私が心配だったら長生きしてね」という意味です。




どの言葉も彼女の甘えから出る幼稚な言葉や考えである事を


私も娘もわかっているのです。


他で言える人や場所が無く、そういう人を作ろうとしない事が悪循環となっています。

無人島で2人きりでいるわけにはいきません。



でも恋愛や結婚を押し付けるわけにもいきません。



親としての責任はどこがゴールだったのか?



子供に何らかの障害がある親御さん達は、



皆それぞれの子供への想いがあるのだと思います。


私は、娘を連れて逃げると決めた時、



自分の老後の事まで想像が出来ませんでした。



当時5歳だった娘が将来、結婚しないという選択をした時にはどうするのか?



そこまで考えられていなかったのです。


いつ私がいなくなっても彼女が1人で生きる為に必要な知恵を



必死で伝えながら育ててきたつもりです。


私は、養父に感謝しなさいとひたすら母親に言われて育ちました。



性虐待されても我慢しなさいと。



それは生きる知恵だったのでしょうか?



あんな人と私は同じでしょうか。



娘を想う気持ちは絶対に私の実母とは違うと断言したい。



親子間で起きる悲しい負の連鎖を取り壊してしまいたい。


だからこそ、もう過去の事を忘れる事は出来なくても


これから将来どうありたいのか、どこを向いて生きたいのか。


そういう前向きな発想や気持ちになろうと娘に勧めても


「現実はママは何も出来ない人だ」と言われてしまうと悲しくてたまらなくなる。


娘は言います。

「ママはいつも理想と夢を追いかけてばかり」

私は心の中で自分に言ってきました。


「娘はいつも私にだけ理想ばかり言う」「やめて」と。

先週、私は娘に言いました。

「結果が全てでは無いとママは考えているよ」と。


ママがこれまで生きてきた中でのプロセスが


生きるために力を出してくれた事もあったと思うと伝えました。


それは、ママだけではなく、これからの娘もそれは同じだと思うと伝えました。


決して彼女に母親の考えを押し付ける気はありません。


なぜなら、母娘と言えども「個」だと思うから。


考え方をどちらかに合わせなくてはいけないって


なんかおかしくない?


もう娘は自分の人生の判断が出来ると思うから。


娘は、「普通」と「一般的」という言葉を使ってどうにか自分の想いを


私へ伝えようとします。

私だって、一般的な普通のという言葉を普段使う事はあります。

ただ、普通じゃなくても、一般的じゃなくても


もしも、ママと娘が「幸せだね〜」って思えたらそれは最高に素敵で


それが人生の成功者じゃないのかと考えている事もこれまでから伝えてきました。


まさに、そういう私の気持ち、考え方が、娘の怒りのスイッチを押してしまうのです。

いつも2人の考え方が一緒でなくてはいけないわけではないと思うのです。


彼女はもう大人だから、1人で生きる事ができるのです。


娘はとっても現実的だし、自分の足で歩いていると思う。


私(母親)なんかよりもずっとしっかり立っていると思う。


「あの時はこうだった、ああだった、」とお互いに言い合う事は


2人にとって幸せだろうか?

ママはもう過去を引きずって生きていたくない。




前を見たい。
少しだけ。
ほんの少し先でかまわないから。

何か目標を持ちたい。

だから、たった1つだけで構わない。
ママのことを思ってくれているのなら
どうかママの母親の話をしないで。




ママは、知ってのとおり出来た人間じゃなくて


これから先もずっと
何を言われても聞き流したり


我慢してみたりして
おばあちゃんと一緒と言われる事に


もう耐える自信がないよと伝えた。

娘に私から何度も何度も謝りました。

娘の理想の母親にはなれず、


彼女の言う「普通」になれず


ごめんね。と心から謝りました。


これがママなのよと。


娘は私を想い


私は娘を想う仲なのに、近くなるとお互いを傷つける。


まるで、ハリネズミ親子。

私は娘を心から愛して大事に育ててきた。

でも、今の私はその愛情を上手く伝え持続させる自信をなくしてる。

心と言動の葛藤の中、



「ママが健康で幸せに暮らしてくれていたらそれが一番よ」と娘は言いました。

娘の思う「ママ

枠」から私がはみ出すと、途端に許せずに出てしまう暴言。

私が私の実母と重ねられる事にはどうしても耐えられず、

私が苦しむ娘を受け止めてあげられなくなった事を認める日がきてしまいました。

彼女はきっと私のことも含め、



自分の事で本当はとっても苦しんでいるのに。


ママはわかっているのに。


今はどうやったら助けてあげられるのか。


人を苦しめる事を、


見て見ぬ振り、



聞き流すふり、



我慢する事はあなたの為にならないと思って育ててきたはずなのに。


私の中で張り詰めていた糸が切れてしまったように全てが崩れてしまった。


私の生き方がいけなかったのだろうか。


私の存在がダメだからだろうか。


過去に私がした事は許されない。


だからこそ前に向かって少しずつでも歩きたい。


反省する事は心底反省し、改めなくてはいけない事は
誠意を持って身をひきしめようと。

娘に今の私は母親として力及ばず。


ただ親は何才になっても自分の子供は子供です。

私は彼女が思う理想の母親にはなれない。


「絶対」が人生には無いという事が


苦しくて悲しい。



きっと娘自身も今そう思っているかもしれない。

私が今生きている理由は、


天国にいる犬くんとの約束だから。



疲れても疲れてもとにかく歩き続ける。


諦めない。


最後まで生きる事を諦めない。


犬くんが私へ身をもって教えてくれた事。

犬くんとの約束。


守らなきゃ。

母親としては失格なのだろうけれど。


せめて犬くんのママでいさせて。