私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

母親を捨てる私の事

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実の母を捨てる気持ち


機能不全家族で育った私。




一昨日の夜、何十回目かの母親からの電話をブロック登録した。

一昨日の夜は仕事が終わったのがたまたま遅かった。


仕事が終わって、スマホを見たら電話の履歴が残っていた。


知らない番号だけれど市外局番で母だとわかった。

帰宅途中の道を歩きながらその番号をブロックした。

母親は、私にブロックされるたびに、電話番号を変えている。


あの人からの着信が無くなった時、


それは寝たきりになったか


亡くなったと思うようになるのだろうと思う。

私には6歳年下の弟がいる。


弟は私と母の間に挟まれて苦渋だったと思う。

それでも弟はもう姉(私)とは


「今後一切連絡は取らないと決めたから。」


そう言われて十数年。

これまで、私は母親と何度か会話を試みた。


それでもやはり「あぁ、この人はもう変わらない。」


私から母親はもうこの世にいないと意識しない限り、


私は一生この母親の事で悩み続けるだろう。

その思いでずっと十数年、


母から連絡がつかないように住まいをわからないようにしてきた。

つい3年程前までは、


私がホームレスになった時から今も固定電話は無い。


携帯の番号はこの十数年変えていないからブロックしても母はかけてくる。

私が娘から絶縁された時、娘が言った事があった。


「ママもおばあちゃんと縁を切ったでしょ」と。


確かに。


私は実母を捨てたのだ。


ただね、私はもしも娘が性虐待にあったりしたら


その人を殺してしまったかもしれないほど


大事に大事に守って育てたつもりだ。


だからという訳じゃない。


ただ、私が実母と距離をおこうとした理由と


私の娘が私と離れたいと思った理由はあまりに違うと思うのです。

大人になってからの事も娘には理解しづらい事が多かったのだろう。


ただ、思います。


理由はどうであれ、負の連鎖を断ち切らないとって。


私の生まれ育った環境や時代の背景の全ては理解しづらいかもしれない。


自分を弁護するわけでは無いけれど、


私は娘を成人させるまでの間、


決して自分が育った環境のようにはしないと固く決めて頑張れたと思う。


誰かにその事を認めてもらいたいとかでは無い。

きっと全ては自己満足だから。


「毒親」という言葉を耳にするようになったのは、


この10年程前くらい?からだと思う。

私は、母親を「毒親」と呼ぶかどうかの判断すら出来ないままだった。


親の愛情を知らずに育った私に、今いったい親に何が出来るだろう?

母親がいったい何を私に求めているのかはわかってる。


だからこそ、私は母親との縁を自分から切ったのだ。

母と一番最後に会話をした時、私からある提案をした。


でもその日、母親はその提案を受け入れる事はなかった。

「この会話を持ってもう2度と私達は会話が出来なくなるけれど良い?」と


私は何度も何度も確認をした。

母親は「わかった。それで良い。」と言った。

その後、私はまるで小さな子供のように数日間、泣きくれていました。


母から「死ね」と言われた時のこと、


子供の頃からの母への数えきれない程の


ひどい数々の経験。


もうあの日、私は母を捨てたのです。


あれ以上、母の将来の事を私が心配して考えて


手を差し伸べる理由が見つからないと思ったのです。

それから1ヶ月か2ヶ月たつと、母親は何事も無かったかのように


電話をかけてきた。

驚いて、無言で切った。

これまでも母親はそういう人だった。

それが十数年続いているのだ。

弟とはこの十数年の間に1度だけ話した。


弟の口から「母親とはもう関わらないで」と再び言われた。


そう言わなくてはいけなかったであろう


弟が気の毒でたまらなくなった。

優しい心の持ち主の子だと知ってるから。

積極的に関わろうとしたのは私からでは無い。


母親が弟にそう伝えただけ。


きっとそれも弟はわかっていたと思う。

弟には可哀想な事をしていると思うけれど、


母親の事はもう任せようと決めて離れた。


弟も決して両親の愛情をいっぱい受けて成長した人では無い。


でも、落ち着いた口調で冷静に言葉を話すような


そんな弟だった。


今もこれからも


元気で過ごしてくれていたらそれで良い。


一昨日の夜、


久しぶりにまた母親の電話番号をブロックした事が

何度も頭に浮かんだ。

それは、悲しいとかそういう感情ではないのです。


申し訳ないという気持ちでもありません。

どんな風に言葉にすれば良いのかぴったりな言葉が浮かびません。


父親も母親ももうこの世に存在していないと


自分に言い聞かせてこの十数年を過ごしてきた。


他人に聞かれたら、もう他界していますと答えた事も。


気づけば、それが頭の中でリアルになってしまっていた。

いや、そう思い込まなければ今日まで生きては来れなかった

ただいざ家を借りようとすると「実家」「血縁のある人」を求められる日本で、


絶縁したり、天涯孤独な人はどうするの!と


私はこれまで何度も不愉快な思いをしてきた。


私は好きで生きている家族を理由もなく捨てたわけでもなく、


簡単に連絡を出来る血縁関係の人間が1人もいないっていうのは


日本で暮らすにあたり、本当に面倒くさいと思う。


私の血縁者は、娘がいたらそれで十分。


彼女は私がいなくなったらどうなるのだろう?と案じるけれど。


いつか時代が習慣が何もかもが変わってくれたらどんなに安心して


私は彼女の前から犬くんの待つ場所へいつの日か行く事が出来るだろうか。


戸籍には一生、両親の名前がある。


私を捨てた父親の名前がある。


私を苦しめ続けた母の名前もある。


私を性虐待して逃げた養父だった人の名前も残ってる。


長い間、私を苦しめたDV元夫の名前もある。


あんな紙切れ、大事ですか??


平穏な家族にとっては、大事な自慢の紙なのだろう。


何だか紙のことなのに切ないな。

自分の戸籍を見る時程、心から血が出る事はない。

世の中には、私以上にもっともっと悲しい苦しい思いをして


大人になった人がいるわけで。

だから、今はね私は幸運で幸せだと思う。


こんな歳になって、見ず知らずの他人の方から助けて頂いたり、


励まして頂いたり、支えようとして頂いたりしたのだから。


こんな事が生きている間に、起こるだなんてどう想像が出来ただろう?

あしながおじさんが突然現れてボロボロの私と犬くんを支え続けてくれた。


自称田舎のかあちゃんも同じ。


私を必死で助けようとしてくれた。


それまで「人の温かさ」「温もり」を知らなかったのだから。

私が社会的弱者になる前まで周囲にいた人達は、


あっという間にどこかに消えた。

私が弱者になってから力を貸してくれた人達は


私の心の中で「親兄弟以上」の存在となった。


きっとこれからもこの気持ちは変わらない。

私がいつか、強くなる事が出来たら、この人達が教えてくれた事を


その時に私の周囲に見えた弱者の力になり


同じように支えや励ましを引き継げたら素敵だな。


感謝しても感謝が一生分では足りないから私はこれからどうするかな。

胃にポリープが出来たり、喘息がひどくなったり、


今は掌蹠膿疱症という病気と共に乾癬関節炎のせいだろうか。


ブログにただ気持ちを書き残したくて


タイプをしようとする指の関節が痛む。

ただ最も今ひーっ!っとなっているのは、


私の全身の関節が壊れかけているからか?去年から調子の悪かったMacまでもが

時々、機嫌を損ねて立ち上がってくれない時や、


突然やる気を無くして電源を落としたりする。


お願いだから頑張って!!


このMacは、私の大事な私物。


私が外で眠っていた頃も、無料wifiを使って繋いでいた頃も、


カプセルホテルで眠った時も、いつも抱えていた大事な私物。


いわば、家族みたいなもの。

このパソコンは生き物じゃないけれど、


私にとって、唯一自分を表現出来たり経験を共有出来る大事なツール。

どうか壊れないでよ。Macくん。


どうか動かないとかならないでよね?私の全身の関節達。

えぇ・・・いつもどおり話が脱線しましたが・・・・。



機能不全家族で育った人は、


他人からはわからない事や自分自身でも何が傷なのか


それすらわからないまま


時間が過ぎてしまった人がいっぱいいると思います。

今の私は、まだまだ考える事柄が多い暮らしだけれど


一番大きな「親」という問題を降ろす事が


出来たおかげでその分平和なのだと思っています。

血が繋がっているから、親子だから、育ててもらった恩があるでしょう?

いえ。


私は親に恩を感じていません。

人として子としてどんなに最低な子供だと言われも、構いません。

幼い頃からこれまで散々な目にあってでも


私は決して諦めずに何度も何度も何十年もかけて母親の面倒をみようと試みました。


それでも去って行った人です。


娘の産んだ孫の誕生日も娘の誕生日すら忘れている私の母親を可哀想だと思います。


認知症だから忘れてしまったわけではありません。


母は、若い頃から自分の子供の誕生日の為に食事1つ作るような人ではありませんでした。


自分の事が1番大事な人でした。


ただ嘘みたいな本当の話、


私は、母親の事も父親の事ももう今は恨んではいません。


どこかで生きているとしても亡くなってしまったとしても、


それは彼らの選んだ人生だと思う事が今は考えているからです。


むしろ私には子供を捨てるという選択が出来なかった人生だから


それもまた私の選んだ人生だと考えるようになりました。


形は違っても、私が娘を思い続ける事は


結局自己満足だったのかもしれません。


両親に対しての自分はとても冷たい人間なのかと悩んだ時期も長くありました。


でも、やっとそういう呪縛から解放された今は


幸せだと思えます。

自分を大事にする事。


私が自分を好きになる事。

それが当たり前のように出来るようになったら、


こんなに幸せで素敵な事はないはずです。

私は、残された時間を大事に


そして自分を大事に全てに感謝するという事を


教えてもらえました。


明日の事がまだ想像力に欠けていますが、


「今」の暮らし、時間に希望を持っています。


私が今生きていた意味や理由を考える時間が少しずつ減ってきました。


思えば生きている意味をなぜあんなにも考え探していたのだろう。

そんな風に意味など考えなくても良いのよね。


目の前にある事、時間を大事に全てに「ありがとうね」って。


そう言える事が「生きてる」って事だから。

次のステップを簡単には駆け上がれない。


そういう時は、過去の自分の重かった荷物を1つずつ降ろす。


それだけで、次の新しい道がみえてくるから。


その為のツールが私にとってはここでの文章。


文章は自慢出来る程に下手ですが。


決して、これ長い独り言じゃないのです。

誰かに聴いて(読んで)頂いているという「人」の温もりが私は大好きです。


自力で生きているというより、


他力で生かされている事に感謝の気持ちを持てる


ブログは、私にとって大事な生命維持ツールなのです。

生きる事に悩みもがき苦しんでいる人は大勢います。


そういう人達は、真面目なのです。


真面目だからこそ誰かに迷惑をかけてはダメだと自死を選んでしまう。

私もまだ完璧ではなくて


自力ではなく、他力で生かされています。


実は、自力より他力って心地が良いのです。


なぜなら、これまで甘えるという手段、方法を知らずに生きてきたから。


「他力本願」←漢字あってるのか?素敵です。

私が自死を考えた事はこれまで数えきれない程。


でも、生まれて初めて他力に救われたのです。


生きていられた事にどれだけ感謝しても私は上手く伝えられない。

それならば、いつか私が助けて頂いた力を私が蓄えて


誰か1人でも構わないから暖かい気持ちになってもらえるような「人」になろう。


そう思えるのです。

全ての人が平和で平穏で繋がる助け合う支え合う。


そんな理想が現実になったらどんなに素敵だろう。


見ず知らずの方々が


私の為に貴重な時間を割いてくださってるって凄い!と思うのです。

芥川賞作家でもなく、村上春樹の小説を無料で読んでいるのなら


時間は惜しくないのでしょうが、

どこかの「おばちゃん」らしき人が、ウダウダ書いている長文。

このここでの時間を頂いている事が有難くて感謝してもしてもしきれません。


「読んだよー」の意味を込めて「星」を残して下さったり、


「読者」になって下さったり。

それが嬉しくて嬉しくて「また明日も生きて頑張ります!」って実は画面のこちら側で叫んでいます!

「機能不全家族」で育った人がもしもこの文章を読んで下さっていたとしたら。


どうか、「今」「明日」「明日」「あさって」に。


「今年」「来年」「来年」「再来年」に。


そんなこんなで、いつどこで人生に変化が生まれるかは誰にもわかりません。


まだ見えない遠い将来を考えて悲観する必要はなくて、


「今」目の前に見える事だけに集中してみませんか?

私自身が「今」ココにいます。

孤独で寂しいと思ったり、思うように物事が運ばない時は、


明日の事を考えずに、今日を終わらせて眠る。


明日の朝が来てからまた目の前のことを考える。

時には悩みが深く、眠れない時もあります。


そういう時は、窓の外がだんだん明るくなってきても焦らないでください。

朝が来たら、昼間があって夜が来ます。


夜がきたらまた外が暗くなって眠る時間がきます。


昼夜が逆転している事に悩むなんて事はありません。


自分はいつでも地球の裏側?へ転居できるのね!と軽く考えてください。


私は過去に7日間、眠れず困った事がありましたが、


8日めにとうとう眠った経験がありました。

そんなこんなで今も何とか生きています。


前向きな人生観、どうやったらなれるのか?


いまだに「謎」です。


足を半歩の半分でも良いから出す。


天国へ行った犬くんがフラフラになっていても、自力で歩こうとしていた


あの姿を思い出して、頑張ろうと私は毎日考えています。



1ミクロンでも良いから前へ進んでと言って下さった人のその「単位」には正直驚き、
おもわずググりましたが。


私達家族を助け支えて下さる人達は私にとって一生の恩人です。


今の私の暮らしは、

「ただいま」に「おかえり」を言ってくれる人も


「おかえり」をいう人も「いただきます!」も

「ごちそうさまでした!」も言う人はいない。


「おやすみ」と「今日もありがとう」と、1人の部屋で言う暮らしと


しーんとしたお部屋に少しずつでも慣れていく他ないのです。


これが私の「今」の人生だから。

たまには、独り言を言っても構わないと最近は思うようになりました。


嬉しいことがあったら声に出して


「ありがとう!」って叫びます。


すごく気持ちがいいです。

何といっても犬くんの遺骨はここで眠ってくれているのだから。

好きな時に沢山話しかけてます。

注意:これは機能不全家族育ちと関係はありません。

私は、きっといつか自分の手にあまる程の


幸せな本当の笑顔のある人生になると信じています。


その事が、これまでや今の私の苦しみや悲しみを全て


解決してくれるのだと思います。

誰かのことを恨んだり、憎んだりしても良き道にも場所にも繋がりません。


それならば。



私は必ず今よりも幸せな気持ちになって生きることができると


信じます。

今日も最後までわかりずらい文章を読んで頂きありがとうございました。