私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

生きていれば

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去年の今頃と今年の今について。


先日、

バイト先へ行く迄の道中にある


沈丁花のお花の香りがする場所を通った時に


去年の事を思い出した。


去年の今頃は


行きも帰りも急いでいたせいもあって


ゆっくり匂う事も眺める事も無かった。


あ!?今年も咲いたんだ!この香り!


香りは鼻が記憶していたけれど


じっくりお花を観たのは初めてだった。


「そっかあ、あれから1年が過ぎたんだなぁ。。」


香りと共にしみじみ眺めてみた。


去年の今頃の季節に


咲いていたお花や木々、川の濁り具合や、


増水したらどの辺りまで水が上がっていたかとか、ちっとも観ていなかった。


バイト先の人達ともゆっくり話すことも無く、


挨拶程度で人に興味もなく、


毎日心ここに在らずだった事を振り返るように


最近少しずつなってきた。


とは言え、


人としっかりと向き合って会話をしたり


とけ込んだり親しくなり過ぎる事が苦手な私。


いつかこれを克服出来る日が来るかな。


と言っても、無理する気は無いけれどね。


沈丁花のお花の香りは、


金木犀と微妙に違うのだけれど


温室で守られるわけでもなく、


毎日大事に大事にされているわけでも無い上に、


外で自信を持って凛と咲いてるお花。


更には、両方とも香りが一帯を人を嫌な気持ちにさせず香らせてくれているんだよね。


昔の日本では?外にトイレがあり


その付近に植えられていたと聞いた事がある。


ちゃんとした歴史や事実を調べたわけではないのですが。。。


「人」は、


生活の中でいかに過ごしやすいかを工夫したり


「他」との共有を大事にしていた事が


今の時代に何らかのメッセージと共に形として受け継がれている事に感動する。


毎日が忙しくて


通学、通勤する道すがらも


電車、バスの中、大半の人達は


スマホをガン見しているように見える。


それは決して悪いことをしている訳では無いのだけれど、


道中で毎日見かける景色や人、


生き物をウォッチングするチャンスを失っているようでもったいない。


年齢関係なく色々な気持ちになれるし、


視覚、香り、触感、いっぱい考えたり、感動があるように思う。


今年になって去年の今頃を思い出せた事は、


私の「財産」として


今年は今年風となって香りをあじわえた。


沈丁花さん達、ありがとう。


素敵な事や嬉しい楽しい気持ちも、


嫌な事や悲しい気持ちも、


どれもこれも全部が、


私の財産になってくような気がする。


大事に大事に保管していこうとオモウ。


長く生きたいとか、健康的でありたいとかという希望はなく、


自分の感情がわからない時間が私の人生の大半だった。


何かとのしがらみのない私の人生には


悪い事や悲しい思い出しか無いと悲観ばかりして


「幸せ」も「健康」も他人事のように感じてきたのかもしれません。


本心は最低限は幸せになりたい、人が好き。


ただこれまで方法もわからずに


要領の悪い生きかたしか出来ていなくて


「他」も「自」にも有り難みとは


遠い遠い場所にあって、


決して手の届くものではなく、


届いた手は切り離されると漠然と感じてきた。


だから「他」と深く交わろうとしなくて。


去年、犬くんと一緒に観た空、雲、鴨ちゃん達、桜の木、お花、風。


今年はまた小鴨ちゃん達は産まれてくるのだろうか?


1人でも構わない。観たいな。


寂しい気持ちになってしまうかもしれないけれど、


目では視えなくても、私の足元でクルクル走って


こっそりと一緒に観にきてくれるかもしれないものね。


1年の時間や私に残された時間を、


大切に積み重ねて、


頭の中にある大事箱に保管することが楽しみになるなら、


それも良しなのかな。


私の大事な人から、過去に生きてはダメだと教えてもらった事が


「今」へ物凄いゆっくりな速度だけれど、繋がってきている。


「今」「今日」が、どんどん積み重なって


悲しい悔しい寂しい不安、


それらのネガティブな思考に気づかされる事もまた


私にとって必要な時間になってる事に気づかされる。


これが、きっと「感情」だと思えるから。


そこから、


嬉しい有難い楽しいのポジティブな思考に歩き始めたり


「自」の気持ちを知れたり確認出来たりと


何となぁ〜くだけれど、


飛び石を

1つずつ

渡っているような?

そんな感覚が今ある事を今日は書き残しておこうと思う。