私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

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私の住む最寄りの駅の近くに本屋さんが出来た。




その本屋さんの中には、小さなスターバックスがあってコーヒーを飲みながら読書が出来る。




(まだ行った事も無いおしゃれな「蔦●書店」には程遠いけれど)





そしてその本屋さんへ行ってみた時に、カナダで暮らしていた頃をふと思い出した。





私は、


カナダへ子供と一緒に日本脱出の為に行ったものの、英語が全くわからなかった。





家と子供の学校の送り迎え、



近くのスーパーマーケット、



そして近くの本屋さんへ行くのが



ほぼ日課になっていた。






その本屋さんには、素敵な雑貨やカードがあったりしてとにかく全ての香りに癒されていた。


子供の本だけのコーナーにちょっとした遊具的なものが


あったりして、自分が持って行ったコーヒーを飲んで行っても良かった。



買いもしないで、無料で本を読めた。


(嫌な顔1つされない本屋さんだった)







英語が読めないのに、本屋さん?と当の私自身も思った事がありました。




でも、不思議ですが



英語の羅列を目で追ううちに、少しずつ日常で耳にする英語の音と



一致したりして、本が理解出来るようになっていきました。


完璧に読解出来たわけではなくても、


ただ活字を目で追うその行為が好きだったのかもしれません。






外に出ると、1年のうち、10ヶ月は雪という環境だったのですが、


本屋さんが暖かい為に、外へ出ると乾燥した雪の冷たい空気が新鮮でした。





今の私の生活に、いかに本が無いかを思い知ります。


図書館で時間を潰したホームレス期間は別として、


全てがネットさえあれば解決してしまう今の時代が便利でもあり、


定期的に無性に「本」が恋しくなる事があります。





駅の近くに出来た本屋さん。


ちょっと有難い。


また行こうと思う。


スタバのコーヒーはもう少し落ち着いたら飲んでみたい。




本屋さんへ行った時、赤ちゃん連れのお母さんもいた。


いいね。


何だかホッとする。




育児中の人の何かお手伝いが出来たら良いななんて、


育児に失敗ばかりだった私なのに、


そういう気持ちが、おこがましくも頭に浮かぶ。






忙しいからこそ、本を読む時間って素敵だと思う。





私が育児中は、パソコンもスマホも無かった時代。



「本」だけが私の救いだった。



気持ちの逃げ場だったといっても良いかも。



人生で最も本を読んだのがあの頃だったと思う。





沢山あった本を全て売ってしまったけれど、


娘が幼かった頃に彼女に何度も読んだ本だけは手放さなかった。


娘がある時、


「この本は実はあまり欲しかった本じゃなかったんだけど、


ママが私に買ってあげたそうにしていたから喜んだふりをしたのよ」と


言った「本」も、手放せない。




なぜならその「本」を見ると、本を購入したあの時の光景や思い出が


蘇ってきて幸せな気持ちになるから。


小さな手を絶対に離すまいといったい何に誓っていたのだろう。



絶対私はこの子を幸せにしなくちゃと思っていたあの意気込み。


息切れしてしまった時にも、「本」だけが救いだった。


「本」はやがて色が変わっていたものもあって。



これから益々全てのものの電子化が進んでも、


「本」は、なくならないでいてほしいな。