私の裁判

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

助けてからありがとうと言えるまでの期間

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年末に書く文章なのかどうか?迷いましたが思い切って書いてみる事にします。



この世の方とは思えない程、暖かいわっと (id:watto)さんのブログから、

性虐待と闘う、矢川冬の場合 id:yagawafuyu さんという方の


本の紹介がされていたので、読ませて頂きました。

(本は私が来月お給料を頂いたら購入させて頂こうと思います。ゴメンナサイ。)

そして、許可なく勝手にお二人のお名前をここで出した事をどうかお許しください。


お手数ですが、削除したほうが良い場合は、即刻お知らせ下さい。



著者である女性は辛い想いから55年という時間が過ぎても強く生きておられ

これから強く生きていこうとする女性を助ける為の行動を実現されていらっしゃるとの事。

実現されるとっても素晴らしい方だと思います。



(注意)

著者の方も書かれてありましたが、

性虐待などでPTSDのある方は、フラッシュバックを起こす可能性があります。

不安がある方は、私の文章をどうか読まないでください。ごめんなさい。










私自身の経験など悪夢の比較にはならないでしょうが、

私の場合は、母が再婚した元養父から性的虐待を受け育ちました。


悪夢の日々は12歳から18歳まで続きました。



その7年間、私はお風呂(バスタブ)へ入れませんでした。

なぜなら、その養父が最初に入るからです。


シャワーをする時間もつま先で立っている事が当たり前になっていました。



自分の下着が同じ洗濯機で洗われる事がいやで、


自分の下着は手洗いをするようになりました。




一家に1つの歯磨き粉を使う事も出来ませんでした。


元養父が同じ歯磨き粉を、歯ブラシにつけているのかと思うだけで気持ちが悪くなり、


私は、チューブの先に出る10cmか15cmは捨ててから、使うようになっていました。





この著者の方と同じように、


私の時代でも性虐待と言う言葉がそこまで浸透していなかったと思います。


当時私は、誰にも言えなかったのですが警察に駆け込んだ事がありました。


警察は、未成年だった私を保護するどころか

親に連絡を入れられて悪魔に連れて帰られる事になり悪化する他ありませんでした。



もはや学校で相談するなど、想像が出来ませんでした。



凄いなぁと思ったのは、この本の著者の方は、勉強に打ち込んだそうです。



当時の私は、勉強に集中出来ない日々を過ごしていました。


ただ毎日の恐怖だけが日課でした。




中学校の卒業式を終えた翌日から

最初は家へ帰る時間を遅くする為にアルバイトを始めました。


そのうちに、元養父は学費を払ってくれなくなりました。


仕方なく?高校の学費も自分で頑張りました。


卒業近くなってから、滞る事もありましたが必死で何とか支払い卒業となりました。



そうこうしているうちに、

大学へ入るお金を貯める為に必死でアルバイトをして貯金をしていました。

当時から私は頭が悪かったのでしょう、入学してからの事まで考えていませんでした。



ただ、この家から逃れたい。

だから大学入学をきっかけに家を出るという事だけで。




入試を受ける為の費用、入学する為の費用、家を借りるための費用、

当時、電話は家の電話だけの時代でしたから、私は家の電話の権利を未成年という事で買えず

皮肉にも元養父の名義を借り買いました。



今では信じられないですが、

昔は、7万〜8万という費用を使ってNTTで電話番号を買っていました。




これら全てのお金を支払った途端、

中学校の卒業式の翌日から高校3年間の間に貯めたお金が空になりました。





私は、今でも

元養父からの「性的虐待」を

「レイプ」「暴行」「強姦」だったとしか考えられません。

あれは、虐待だったの?いえ、犯罪でしょう。そう思っています。



確かに、食事を抜かれたり、閉じ込められたりした事もあったり、

殴られた事も蹴られた事もあるので、虐待だったのかもしれません。


ただ、私は元養父が私にした事は、犯罪だと今でも確信しています。



それを助けてくれなかった母親もまた同罪で、悲しいけれど実の母です。




私が、大学入学と同時に家を出た数週間後に、

母は弟と共に家から追い出されました。

まだ子供だった弟には本当に悪い事をしたという後ろめたさが今でもあります。



家から追い出され、再離婚になった原因は私だったと母から言われた時から、

自分の生い立ちやルーツについて

打ちのめされたような気持ちになりました。



ただ、

「20歳になったら、実父を探して会いにいこう。」

頭の中でそれだけが強くこだましていたように思います。



大学へ入学後もバイトを続け、

6歳下の当時まだ中学生で高校進学を控えていた弟へ仕送りをしていました。

当時の私は昼も夜もバイトをして生活していました。




やっと性虐待から逃れる事が出来た日から、スッキリした気持ちにはなれませんでした。

何十年が過ぎても、悪夢を私の記憶から消せる事はありません。


自分の存在自体の有無を今もなお、考える事はあります。



そして私は、思うのです。

自分が性虐待を受けても、強く生きようとする人は大勢いると思います。

勿論、今の私もそれは同じです。

ここに至るまでには余りにもアップダウンが有りすぎて、

これまでの私の人生のどこを切ってみても、思い出すには時間がかかるほどです。


そしてまた、人間の頭は凄いなぁと思う事の1つに、

あまりにも辛い経験の部分が切り取られたかのように思い出せないのです。

私にとっては、都合の良い健忘です。


ただ鮮明に思い出す事はなくても、記憶が100%消えてしまう事はありません。




ふと思うのです。

今、まさに辛い思いをした人達を

近い経験をした人達が手助けをする事で良い結果を生むのだろうか?と。



自分が同じような経験や思いをしたからこそ、理解してあげる事は多くあると思います。


ただ、カウンセラーのようにあえて客観的になりすぎるか、

もしくは、気持ちを移入し過ぎるかだと心配になります。



どちらへ偏っても良い結果を生まないと個人的には思っています。


なぜなら、

元被害者だった人が現被害者に対して客観的に対応する事で、


現被害者は、助けようとしてくれている人に対して「冷たい人」


受け取りかねないからです。




やはり私の心の痛みや強く生きようとしている気持ちが伝わらない、などと


誤解してしまう事で、せっかくのリスタートしようとする気持ちが


違う方向へとエネルギーが向かいかねないと思うのです。




精神を病む程の経験をした人が

精神を病んでいてもおかしくない人と時間を共にする事で

新しい道が狭くなるような?

こんな世界があったのか?という光が遠のかない事を願います。




普段、自分を誰かと比べてしまうとしたら、


周囲から見ればどんぐりの背比べレベルで


自分と近い境遇の人とでは無いでしょうか。


例えば、同級生、同期入社、などなど・・・・





「誰かを助ける」「支える」という事は、

近い経験をしたからこそ出来る事もあり、

全く異世界の人だから出来る事もあるのだと思います。




ただ、辛い経験をされた方が1人だけで、

今まさに辛い誰かを支える事は、

どちらもが疲れきってしまわない事が大前提だというのが私見です。

そうならない為にも、誰かを支える為のチームが必要だと思うのです。



虐待されて育った人が、

大人になって虐待されて保護された子供のお世話をしようというケースは

よく耳にします。




実はお恥ずかしながら

私にもおごりに近い浅はかな気持ちが芽生えた時期がありました。



私の場合、性虐待から脱出出来たと思った矢先、元夫からのDVが始まった為、


自分が育児をしながらの悪環境、子育てをいかにしてきたかを


これから頑張ろうとしている女性のために何かをしようという想いがありました。



自分の経験を生かして、他人様のお手伝いで何か出来る事は何か無いだろうか?


その結果、

助ける側、助けてもらう側、全てにおいて、自分と比較してしまいがちになるのです。



今ならはっきりわかる事があります。

性虐待と言ってもひとつ、2つのパターンや家庭環境だけではなく、

個々に違うのです。

だからこそ、1人の人を助ける為には、チームが必要だというのが私見です。

同じ手助けをしてくださる方々でも、そこにはお金が発生しているだけで

助ける側も、助けられる側も、気持ちが違ってくると思います。



自分の利益など考えずに、人助けをしている人は、本当に素晴らしい人達です。

平成最後の年に、ボランティアで幼い子供を探した男性が有名になりましたが、

あの方は、表彰も受け入れないという自分の考えが徹底した方です。



話が逸れましたが、、、


幼い頃からの性虐待を始め、人が

悪夢を悪夢だったと理解するまでには相当の時間が必要です。


何十年が過ぎた今でも、私は当時の夢をみて泣きながら目覚める事があります。

夢ですら、体中がこるほどに力が入っているようで、

目覚めたら体中が痛いのです。



矢川冬さんが、戸籍のことを書かれていたので

私もここで同じことを思い出しました。



私の場合は、私の旧姓は私の父方の姓となっています。


なぜなら、母が再婚した時に元養父の姓になったのですが、

母が再離婚となった時に、何を思ったか?彼女の両親側の姓ではなく

私達の実父(母が最初に結婚した人)の姓に戻したのです。



未成年だった私は、勝手に戸籍が書き換わっていました。

大学生だったとは言え、未成年だった私は、

父方の氏が私の旧姓となりましたが、その後、結婚して苗字は変わりました。



でも、数年後に私が離婚をしたために、氏の選択が必要となりました。



念願だった20歳になって、生き別れていた実父に会えて嬉しかったのもつかの間、

実父は、新しい今の家庭や家族の事があり、

度々私と会うことは今後控えてほしいと宣言され、

氏についても、使わないでほしいとの言葉がありました。



結局、私は離婚は出来たとは言えども戸籍も離れたと言えども、

旧姓が父の苗字なので、戻す事は出来ず

元DV夫の苗字を使う以外に選択肢はありませんでした。



娘にとっては実父ですし、違う氏を使った事がないわけですから

それで良しとする他ありませんでした。



数年間、探され続けていた事もあり

姓名を変える事をどうにかして出来ないか、裁判所に何度も足を運びました。


「DV」という言葉が今ほど、社会で浸透していなかった時代、

見つかったら殺されるかもしれないと説明しても裁判所で

首を縦にふってもらえる事はありませんでした。



海外で暮らしていた頃は、氏を滅多に必要とされませんでした。

心の中だけは救われていた時期です。



日本へ帰国した途端に、氏はつきまといます。


光熱費の支払いや、公的な場での姓名を○年以上使い続けたら

姓名の変更が認められるケースもあったのですが

私の場合は、元DV夫から居場所を常に探されていた事もあり、

毎年のように転居をしなくてはいけなかったりと、

公的な場で、違う姓名を使用し続ける事は難しいというのが現実でした。





この年齢になるまでの間、

私もまた数々の性虐待をうけて育った女性の執筆を読ませて頂いた1人です。


中学に入学してからは図書館だけが綺麗な空気だったように記憶しています。

多くの友人に囲まれた経験は殆どありません。

高校へ入学してからは、イジメの対象となりました。

学校と名のつく場所に楽しかった記憶はありません。

大学へ入って初めて色々な世界に触れる事がでてきました。


大半は、自分の生い立ちなど口が裂けても言いたくない、知られたくないと

いつも思うような人達しか周囲にはいませんでしたが。



私は、幼い物心ついた頃から否定しかされずに育ってきた。

自分の意見を言う事はいけない事で、自分の想いのまま行動する事はダメな事だと

信じて30代に入るまで過ごしてしまった。



私は人として生きる為に必要な全てが欠如している人として見られ過ごしてきた。


SNSやブログという時代が将来来ることになろうと、あの当時の私は

想像すらしなかった。


自分の考えを言葉にしたり、

気持ちを文章にしたり、

その文書を見ず知らずの人が読む日が来るなんて

想像も出来なかった。



私は、全ての偶然が重なって「今」があると感謝してる事も沢山あります。



もしも、はてなブログを初めていなかったら?

もしも、ホームレスになっていなかったら?


私のことを、助けようとしてくれた方は決して私を上から見下ろすこともなく

私が苦しくならない方法で助けようとして下さった。

確かに今、寂しさはあるものの、私に助け船を出してもらえる存在すら無かったら、

孤独すぎて、将来に何の光も期待出来ず、自分を見失っていたかもしれない。



私は今、辛いことが起きた時に必ず頭に浮かぶ言葉がある。

「過去に生きてはだめ」という言葉。


生きていれば、辛いことが起きる。

楽しいこともある。


でも、幼い頃からの余計な辛い経験をしている分、

同じ辛さでも過度に痛みとして脳が反応してしまうことがある。


これは、薬でどうにかできるものではない。


生き辛さを感じるだけの多くの障害を背負っていても、

「今」だけをいかにして意識して過ごして、楽しむか?と

常に意識を持ちたいと思うようになってきている。


1日をいかにして笑顔を増やして過ごすか?

綺麗事ではなく、これだけに全てのエネルギーを費やして今はここに居る。


「私は幸せ。幸せなのよね。あぁなんて幸せ。」

「ありがとう」


そう言ってから眠ることもある。


不思議なもので、言葉には見えない魔法があるようです。


これまでの人生で自然に口にしなかった言葉でも、

毎日、口にするようにすることで、そこから

何らかの催眠術にでもかかってしまったかのように

自分の「今」を幸せに感じることが出てくる。



眠る前だけでは無い。

道を歩いている時や、仕事中や、それまで怖い乗り物でしかなかった電車にも

苦しまずに自然に乗れる機会が多くなってきた。


仕事中に、嫌なことが起きても

24時間、そのことに縛られることが減ってきた。


家族を天国へ見送ってから、四回目の月命日を過ぎ

1月には私もまた1つ年齢を重ねる。


天国へ旅立った大事な家族にいつか、また会える日が来ると

漠然と頭に思い浮かべては、1日を過ごす事が自然になった。



私自身が、大きな声の独り言だと感づいてるけれど、

天国にいる犬くんとは、毎日会話している。


こうして、パソコンに向かっている時に

膝の上で眠ったり、足元で眠っているような。


私が子供の頃からしてきた辛い想いは、

決して恥ずかしい想いでは無いと、本当は誰かに言ってほしかったのかもしれない。


そしてまた、ホームレスになった経験までをも、

関わりたくないともせず、全力で私を支えようとして応援して下さった方達。



私には、様々な障害があるけれど

私を助けようとして下さって励ましてくれた方々のことを忘れる事だけはありません。




矢川冬さんの今これからしようとされている事は、素晴らしい事だと思う。

だからこそ、

どうかその純粋な想いが壊れて再び辛い想いの中に迷い込んでは

頂きたくないという節なる願いを持って、ここで私の想いを書かせて頂きました。




分かり辛い文章だったかと思いますが、最後まで読んで頂きありがとうございます。