"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

1990年の話をいつまでも覚えてる人

すみません、また私の話です。




1990年6月17日 (日曜日)父の日


大昔過ぎる話ですが・・・・・


私はこの日に結婚をしました。





今日、書き残したい事というのは、

結婚した日でも父の日でもなく、


私がまだ若かったからかもしれませんが、自分が結婚するその日を


父に祝ってもらいたかったという話です。





私の父は今、生きていれば72歳。


生きてるかな。


もし何か理由があって亡くなっていたとしたら、


無事に天国で眠っているだろうか。







どちらにしても、もう会えない父だ。



数年に1度くらいの割合で、夢に出てくる父は



とっても若い父親だ。




私の母親に「さようなら」と言いなさいと、


父に向かってそう言わされた日、父は33歳でした。





今考えれば恐ろしく父はまだ若かった。 


若くで結婚した事を深く後悔したであろう。





何年も連絡していなかった父を探して


2人だけで会話が出来たのは、それから数年後。




私が結婚をすると伝え、式だけで構わないから


出席してもらえないかとお願いした日だった。



誰よりも沢山のお祝いを手渡してくれたけれど、


「出席は出来ない」と言われた。


私は相変わらず物分りの良い子で。


笑顔で「大丈夫よ」と父に伝えたあの場面だけを覚えてる。





お祝いのお金がほしかったわけじゃなかった。

父は、もしかしたら私がお祝いを貰おうと連絡してきたと

思ったのだろうか?





懲りずに、私の娘が産まれた時に、連絡して生まれたての娘を観てもらえた。



その数年後。



娘の父親に殺されるかもしれない程の恐怖で逃げたくて



助けてほしいと連絡してみた。






その日に、父にとって私は、邪魔な存在だと知った。






そう、私は気づくのがとにかく何でも遅い。



「気づくのが遅くてごめんなさい。」



それも言えないまま


永遠のお別れになってしまった。







父を恨んではいない。


父は無責任で自分勝手な父親だと自分を責めただろうから。


そして、新しい自分の人生の家族を守り、親族を大事にしなくては


いけなかったという事情が今なら理解出来るから。




もし生きているなら、

家族から


父の日のお祝いをしてもらえていたらいいなと思い出していた。






私がこうして、自分の父を想いだすように


私の娘も父親を想い出す日があるのだろうな。


ごめんね。


私が関わる全ての事で周囲に悲しみや苦しみを与えてしまうのだろうと考えると


全てのツジツマが合う。






でもね、


面倒くさい存在だなーなんて思いつつ、毎日の自分と付き合う。


これが生かされてるという実感なのだと思うから。


今私は、生かされている事とその全てに感謝してる。