"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

私はここにいる

録画していたものをまとめてイッキ観した。

その中に、コウノドリというドラマがあって

やっと遅れて最終回を観れた。


最後のほうで主役の医師が言う言葉。


奇跡の後には現実が続いていく

苦しくて心折れそうになることもあるかもしれない。

進む道に迷うこともあるかもしれない。

けれど 僕はここにいる。

ここで 赤ちゃんと家族の人生に寄り添っていく。

これは、ドラマの中の産科医の言葉だけれど、


私自身にあてはめて考えていたら涙が止まらなかった。




基本的に、脚本家はあまり好きじゃないんだけれど、


この言葉は、誰にでも当てはまるんじゃないかなって思ったんだ。


ここで言ってる言葉は、ごく当たり前の言葉を言ってる。


だけど、

こうして毎日忙しい日常を必死で過ごして、

生きてるだけでも

疲れている日々の中で、

こういう当たり前な事を

ふと立ち止まって再確認してみるのも悪くないなって思うんだ。




私が今こうして生きているのは、「奇跡」だって思う。

私自身が母親のお腹から出てきた時は勿論、

私の記憶には無い。



ただ、娘を出産した時の事は鮮明に覚えている。


私は、娘がお腹の中にいる時に

2度も切迫早産で入院をした。


私の育児は「妊娠5週です」と医師から言われたあの日から

始まってたんだね。



娘がとにかくお腹の中で育ってくれる事に一生懸命だった。

今のようにスマホもPCもipadも無い時代だった。

わからない事があったら、本で調べたり人に聞いてみたり。



「育児書」程、強迫観念に襲われるものはない。

まだ若かった事もあって、友達で結婚している子も出産をした子も

いなくて、私独りで考える、調べる、それの繰り返し。


とにかく、
無事に生きて産まれてくれる事だけを祈ってた。

私がどれだけ痛い思いをしようと、

毎日、何十回もおそってくるツワリで吐いていようとも、

赤ちゃんを早く会いたい。

そればっかり考えてた。




いざ陣痛が始まってからの、48時間は「死」も意識する難産。

その後、

医師がこれ以上時間をあける事は、母子共に命が危険。

と、言った途端、

娘の頭は下向きに旋回してくれた。



そんなこんなで、やっと私に顔を観せてくれた出産出来たあの瞬間。

一生忘れる事の無いあの娘の体のあったかさ。

怪獣みたいな顔して泣いてた。

「愛おしい」とは、こういう事なんだってお腹の中にいる時よりも

顔を観て小さな体を観て、改めて私は、娘に感じた事は一生忘れる事は無い。



「出産は、病気では無い」と当時の姑や舅に毎日のように言われた。




長男の子供(跡継ぎ)を産む道具としか扱ってもらえなかった

私にとって、娘は、唯一、血の繋がった家族として待ち遠しかった。





産まれてからも、育児の方法の違いなど・・・・


嫁いだ先の家では

色々と言われて肉体的にも精神的にも辛かった。



確かに妊娠、出産は、病気では無いけれど

母子共に健康で産まれてくる事は「奇跡」だと今でも私は思ってる。



陣痛が始まってもおさまらなかったツワリの吐き気と戦い、

出産の途中でも吐き、痛みは酷くなる一方で、



それでも、頭の中で

「もう辞める!」と逃げ出せないんだって改めて思った。


私がしっかりしなくちゃと覚悟を決めた事が26年も前の事だなんて信じられない。



今思えば、私の立場になって誰も助けてはくれなかった。

妊娠中の苦しさも、大変さも、出産の時も、育児が始まってからも

いつだって全力で1人で頑張ったさ!!!と

自分を褒めてあげよう。と

このドラマを観ていて純粋に思えた。



娘が6歳から私は1人で何だかんだで、

私が頑張る事が出来たのは

全ては娘のおかげだ。



彼女の命があって、この世に産まれてきてくれたからだ。



温かい「家庭」を知らずに育った私が、

手探りで、娘との家庭を温かいものにしよと必死だったけれど

2017年は、子育ての結果が出た事が

いっぱいある1年になった。




私が母親としてやってきた事は、娘にとっては

嬉しかった事よりも、悲しい事、辛い事、苦しい事が多かったんだなと。

ごめんね。ありがとうね。

私が頑張っていた事なんかよりも、

娘はもっともっと頑張っていたんだなぁって反省してる。



ただ、

もう1度、出産からやり直すという事が出来ないのが子育て。

自分の人生は、違う形でもう1度やり直す事が出来る事もある。

でも、

子育てだけは、1度しか無いと痛感した。



「〜つもり」ばかりの言い訳子育てだったのだ。




今日、犬くんとお外を歩いていた時に、

ふと思ったんだ。

考えたくなくて現実逃避ばっかりしているけれど、

来年の今日、この子は私と一緒に歩いていないかもしれないんだなって。



今年のクリスマス、お正月が、この子と過ごす

最後のどれも大事な瞬間なのかなって。



私は、その時が来たら

いったい何を支えに、自分のこれからの人生を生きるんだろう?

これは、今考える事をやめようと思う。




娘を1人で必死で育てる事が支えとなり、生きがいがあって走ってこれた。

彼女が成長したと思った矢先、想定外だった犬くんの看病。



自分がホームレスになって外で過ごさなくてはいけない事になるなんて

想像もしていなかった事がわずか365日の間に起きてしまった。




人生のプランは大事だと思うけれど、

そのとおりにならない事のほうが多いと痛感してる。

こうして何十年遡って思い出してみても、

計画どおり出来た事、何だった???

いくつある??




ことごとく、運が悪い道を歩いてきたと思う。

つまり、私は運は悪いけれど

今生きてる事は、「奇跡」なんだなぁ・・・って思う。



「運の悪さ」と「奇跡」に感謝して日々を大事にしようと思う。