"私の裁判"

高等裁判所で裁判離婚したその後の人生(女ホームレスから自己破産→人生再生中←今ココ)

悲しい人生観と生きざま?

私の命を繋いだ友人のこと

今、私が何だかんだで生きているのは、

食べ物も家も無くなった私を助けてくれた友人のおかげ。


犬くんがこの世を去るまではまだ私は死ねないそう思っていたから

救われた事を感謝している。



でもね

ただね


どうしても頭から離れない言葉


この間の日曜にLINEで読んでから、頭から離れないんだ。



「私がしたいことをしてるように見えるかな?」とそこには書いてあった。


その時に、お金を得るために、取り敢えず始めたことの方が多いよ。 と。


「でも、どうせするなら、頑張ってみようってね。それだけだよ。」

「本当にしたいことは別にあると、思う。多分」

「常に生活に追われて、仕事に追われて、気がついたら今日」

「生きる意味も、大切なことも、深くは考える余裕もなく、ただただ毎日が、高速で進んでいく。」
「でも、それでも構わないと私は思う。」

「 誰のものでもない、私の人生でしょ。」
「誰かに誉められなくても、羨ましがられなくても、構わないと。」




私は、正直この言葉を読んでいて悲しくなったんだ。


私を助けてくれた友人だから、否定的な事を言える立場じゃないなって思ったから、

友人が後悔しない人生ならそれで良いと思うよとだけ書いた。


でも、心の中で思ったんだ。

もしも、この言葉が自分の娘の口から出たのだとしたら、ショック過ぎるな。と。



自分がやりたくない事であろうと、生きていくためにはしょうがない事もある。

確かに、仕事をしたら辛い事のほうが多いのだろう。

だけど、気づいたら「今」やったという人生には私はしたくないな。


私自身、自分で自分の人生の選択が出来ない幼少期や少女時代を悲惨な時間を送ったせいか?

自分で自分の人生の選択が出来る立場になってからは、自分が選んだ道が失敗だったとしても

後悔をするような人生にしたくないと思ってきた。



結婚をした時も、出産をした時も、今もそれは同じ。


結婚は確かに、間違いだったのだろう。

だけど、結婚していなかったら、娘に出会えていないわけだ。

だから、娘を産めた事は幸せ以外に無い。


そして、娘を連れてDVから逃れるために、海外へ逃げた事も後悔をしていない。


海外で、嫌な思いをした事のほうが多いけれど経験が沢山出来、自分のキャリアのプラスにもなったと

どこかで、思っているのか?後悔はしていない。


娘を必死で育てたとは言え、しっかりした母親ではなく、娘に迷惑ばかりかけたと思う。

自分が親からしてもらいと思ったことは全てしたいと思って育ててきたけれど、

私からの愛情はただ重いだけの心象しか娘には残らず、悲しいけれど、後悔はしていない。



私は娘に対して、強制した事よりも自分で考え判断し、行動出来るように育ててきたつもりだ。

だから、門限を設けた事も無かった。

あれは駄目、これは駄目とルールを作りすぎたとも思っていない。


結果的に、それは良かったと思っているんだ。


だけど、娘が今大人になり、彼女なりの考えがあって親に対する考えや、社会に対する考え、

色々ある事も認めてあげたいと思ってる。


ただ、私の友人のようになってほしくはないかなと今回改めて思った。


娘は、他人の事を肯定も否定も出来たような人間では無いのだろう。

ホームレスになるような人生になったのだから。


ただ、こんな私でも子供に対する愛情だけは健在なようで、娘が発する言葉の裏側に隠れている

彼女の心の内も、手にとるようにわかってしまう。


本人に判断させる他、無い事だとはわかっているけれど、本人がもがいている、悩んでいるという時、

私は、母親として認めてはもらえないのかもしれないけれど、人生を失敗してきた人間として

何か、良い言葉を残せたら、そう思う。


今の娘は、私が何か言葉を発するたび、反抗的に否定するから、耳には入らないと思うけれど


いつか、私の言っていた言葉の意味を理解してもらえる日がきたら、いいな、そう思う他ない。



自分の好きな事をして、食べていく。生きていく。これは私の残された人生の中での希望だ。



理想や夢ばかり言ってるような人間だと思われてしまうけれど、

きっとこれが私。



どこかでいつか野垂れ死んでしまうのかもしれない?


そうだったとしてもこれが私の人生なのかもしれない。

どこか、そう考えていて覚悟も出来ている。




今はね、娘同様、犬くんは大事な家族だからね。


犬くんはね、犬だから人間の勝手な理由で人間のちからなしに、生きてはいけないという運命に置かれてる。



私には、その犬くんの人生をいかに少しでも幸せに思ってもらえるように生命がある最期まで見守るか。


私にはその責任があるとやっぱりどうしても思うから。




私にこのチャンスを与えてくれた友人には悪いけれど、今も今後も私は、彼女の生き方には肯定は出来ない。

私は、自分の人生で反省する事ばかりだけれど、後悔はしていない。




そして、犬くんは今日も私の横でスヤスヤ眠ってくれている。